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私の推し歴 推しという言葉
私に初めて推しと呼ばれるものができたのは小学校4年生から5年生くらいのことだった。初めは私の母の推しだった。母が推しの映像などを見ているうちに、私もハマってしまい、推しに夢中になった。恋愛のような好きではない。私は推しになりたかった。推しと同じ職業を目指して、推しの真似をして過ごした。今思うと黒歴史かもしれないけど、私にとって紛れもない初めての推しだった。推しと言うのは便利な言葉だ。とてつもなく好きな対象がある時に、推しといえばみんながわかってくれる。当時は推しという言葉がなくて、ジャニーズやイケメン俳優に夢中な友人たちの中、私だけがちょっと違う人を追いかけているので変わり者扱いされていた。今はもう追いかけていないけど、ふと推しが現れると私は誰よりも早く見つけて、かつての推しだなぁ、頑張ってるなぁと思うのだ。
2人目の推しはあるバンドのボーカルだった。恋愛に似た種類の好きだった気がする。本当にかっこよくて、かわいくて、彼がすることならなんでも素晴らしく思えて大好きだった。ライブには行ったけど、直接会えるようなイベントには行くことができなかった。彼の視界に入りたくなかったのだ。私が彼の視界に入って、彼が何かしらの感情を抱くのが嫌だった。私はただカメラのレンズみたいに彼を見て聴いていたかった。そう言う類の好きだった。きっとこの気持ちをわかってくれる人はたくさんいると思う。
2人目の推しから3人目、今の推しができるまでの時間は結構開く。その間ハマったものや私にとって神様みたいに思っていた存在はいたけれど、推しとはすこし違う気がする。推しのことを神様みたいに思っている人はいると思うけど、あの人は私にとってやっぱり当時の神様であって推しではないのだ。そして今の推しに出会ったのは2年前である。精神を病んで休職していた私はあるゲームを始めて、推しに出会った。私が夜中眠れずにパニック発作を起こした時、ゲームを開いたら彼もパニックを起こしていた。彼も薬を飲みながら生活をしていて、その姿が私に重なった。パニックが治まった後、タイミングよく彼は私に「今日を生きてくれてありがとう」と言ってくれた。それだけで私は救われたような気がして、画面の中の彼に心酔してしまったのだ。それからずっと推していて、今も私の心の支えになってくれている。改めて推しってすごく便利な言葉で、そう言うだけで私の大好きな彼を正しく表現することができる。その言葉の中に、私は彼のことが好きで好きでしょうがなくて、彼に支えられながら生きているし、私も彼を支えたいと思っている、という意味が込められている。大好きな存在を大好きだと言って応援することが日常に溢れている時代。私もその時代に乗っかって、存分に愛をぶちまけていこうと思う。