分断と教育
内閣府が主催している、とある国際交流事業に参加して気づいた。圧倒的地方勢の少なさ。関東圏出身・在住の人の多さ。この事業は全国から参加者を募集しているというのに。
とあるキャリア教育プログラムに参加して気づいた。私の出身地域からの参加者の圧倒的少なさ。このプログラムはオンライン開催で、地理的条件は関係ないはずなのに。
全ての18歳を祝う、とあるイベントに参加して気づいた。関東圏からの参加者の多さに。私の県からの参加者は、結局いたのだろうか。
とある北欧教育系ワークショップに参加して気づいた。参加者は都市圏に暮らす、教育にお金をかける余裕のある層ばかりだった。
東京に頻繁に行くようになってから、色んな人との繋がりが増えてから、たくさんの貴重な機会に恵まれてから、高校時代から感じていた、違和感みたいなものが、ますます強くなった。
この国は、世界は分断されている。地理的要因による選択格差、経済格差による教育格差。分断は世代間に継承されていて、その垣根を越えるにはいくつかの障壁を突破しなければならない。
同じ能力値、同じパーソナリティを持つ人がいたとして(いないけど)、どこに生まれるか、どんな生育環境か、周りにどれぐらいの選択肢が当たり前に存在しているかによって、その人の人生は大きく変わってしまう。
都市部に生まれるだけで、当たり前に数万個の選択肢があって、地方に生まれるだけで、その選択肢すら知らないまま、自分の可能性を知らないまま生きていく人もいる。
経済的に余裕のある家庭にたまたま生まれたことで、習い事や塾へ容易にアクセスできる人もいれば、公教育の学費でさえ支払うのが厳しくて、そこにすらたどり着けない人もいる。
至極当然、当たり前のことで、そして仕方ないことだというのは分かる。どこに生まれるとかどんな生育環境かとか、自分ではどうしようもできない範囲の話で、運命とか運とかそういう話のような気もする。
だけど、それでも、教育だけは、公平で、平等であってほしいと思ってしまう。お金を積めば積むほど、人生に有利に働く切符を手に入れられる。資本主義社会ではそうなるのは仕方ないことなのかもしれないけど、分断を加速させる教育は存在してほしくないと思ってしまう。
たくさんの選択肢の中から、自分で納得して選んで、その人にとっての幸せな人生を歩んでほしい。そのために社会が動いていてほしいし、そのために教育があってほしい。
彼らが、これからの社会を担う大切な人たちが、これからの社会を生きていくために、この国でより幸せに、豊かに、美しく生きていくために、
今すぐ花が咲かなくても、いつか自分らしい花を咲かせるために、種のまき方、肥料の作り方、水のやり方を、誰にでも等しく公平に与えられる教育をしたい。
綺麗事を並べても、机上の空論って言われるのは想像がつく。私に資本主義はとことん向いてないとも思う。それでも綺麗事を追求したいと思ってしまう、この持ち前の頑固さが、私の原動力のひとつになっているんだろうなと思った。
2023/3/14