11年前に夫が交通事故により高次脳機能障害になりました。
ある冬の朝
夫を見送ってすぐに、救急車、消防車、警察のサイレンの音が鳴り響きました。まさか!と思っていたら、その直後に家の電話が鳴りました。「ご主人さんが交通事故に遭われました。今から〇〇病院の救命救急センターに搬送します。電話番号を聞き出せた後に意識無くなれました。後ほど来てください。」と救急隊員の方から電話が入りました。しばらく震えて動けませんでした。
しっかりしなきゃと何とか車を運転して運ばれた病院に向かいました。到着するや否や「この書類にサインしてください。手術ができません。」と書類を渡されました。正直中身を読んでいる暇なんてありませんでした。書いて助けてもらえるならもう何でもサインします。お願いします。助けてくださいってそう思いながら書きました。待っても、待っても手術は終わらなくて、娘たちを迎えに行かないといけない時間になりました。受付の方に「子供を迎えに行ってまた戻ってきます。」と告げて迎えに行って、また病院に戻りました。娘たちは待合室のテレビを観て待たせました。「パパ大丈夫だからね。テレビ見て待とうか。」と言って・・・。
無事に手術は終わりなんとか命は助けていただきましたが、運ばれた日はICUの面会時間が過ぎたので会えませんでした。娘たちは「会えないの・・・。」と残念そうでした。病院から帰ってご飯を食べさせている時に「大丈夫かな?」と心配そうに言うので「大丈夫だよ。明日、ママが代わりに会いに行ってくるね。きっとあなたたちが何回か寝たら元気になって帰って来てくれるよ。」と嘘をつきました。そんなこと先生から言われたわけでもないのに・・・。
翌日、夫に会いに行きました。目覚めた夫に会った時、肺から管を通されて、酸素マスクをつけ、折れた大腿骨は金具で固定されて、「痛い。痛い。」と吠えるように叫んでいました。目は開けているけれど意識は朦朧とした感じで、夫の中身はまるで違う人のようでした。本当に治るの?こんな状態で、と怖かったし、心配でした。
病院からは「この1週間は状態がどう変化するかは分かりません。いつでも連絡がつくようにしておいて下さい。」と告げられました。寝る時は病院からいつ連絡が入るのか分からないので携帯電話を枕元に置いて寝ていました。娘たちはまだ小さくて「もしかしたら、この1週間でどうなるか分からなくて、もしかしたら、パパ死んじゃうかもしれないんだって。」そんなことを伝えることなんてできませんでした。だから「すぐ良くなるって先生は言ってくれていたよ。だから安心して寝てね。また明日に病院に行って元気かどうか見てくるからね。」と嘘をつきました。だって、本当にどうなるか分からないのに心配させたくなかったから。嘘でもそう言ってたら大丈夫かなってそう思えたから。
それから、毎日、朝から面会時間まで病院に通いながら保険会会社への事故の手続きや、会社へのお休みの連絡、娘たちの事を一人でしました。どうやって一人でやったのか、あまりはっきりとは覚えていません。必死でしたから。
この時はまだ、命が助かってくれたらとそればかりでした。後にこの事故が原因で高次脳機能障害になっていたと気づくまでは・・・。本当に大変な目にあうのは体が回復してからだなんて、そんなこと思ってもみませんでした。傷が治ればまた元の生活ができる、そう信じていました。
事故当時の傷病名
大腿骨骨折、助骨骨折、外傷性血気胸、脾臓損傷、脳挫傷、外傷性くも膜下出血、微慢性軸索損傷
後遺症
記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害、病識欠如、性格の変化