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休むことの難しさ

「休む」って難しくないですか?

休んでる間にライバルはがんばっているし、もっと気を張って目標に向かって突っ走っている人もいる。
自由時間を削ってがんばっている人もいる。

そう思って、これまで休むことに罪悪感を抱き、自分自身にムチを打ってきました。

でもそれって長続きはしないんですよね。

第一にライバルって誰?って感じだし、もしライバルがいたとしても比べている時点で相手に振り回される他人軸な生き方なんだよ、ってこと。

こうやって、書いてみれば理解はできているんだなって思うけど、心が納得してないんだよね。
だからインナーペアレントの存在が大切。

インナーペアレントとは「内なる親」という意味で、自分の中にいる子どもの私に接しているもう一人の自分です。ちょっとややこしい……

インナーペアレントが育っていないと、インナーチャイルドと和解ができなくて、余計につらい。

そんな私のインナーペアレントは、めちゃくちゃ厳しい。

「もっとちゃんとやれよ!」
「なんでそんな基本的なこともできないんだ!」
「早くやれよ!」

そう言って、インナーチャイルドを怖がらせています。

そりゃあ、しんどくもなるよな。

じゃあ、全部が全部そのインナーペアレントに支配されているかというとそうではなく、調子がいいときは自分のいちばんの親友(イメージの中でだけど)が隣にいてくれてる。

「大丈夫だよ」
「あなたならできるよ」
「怖いよね」

って、勇気づけてくれたり共感してくれたりする。
なぜかそれは調子がいいときだけ。

落ち込んでメンタルが保ててないときは、そんな親友がいることも忘れて視界が狭くなる。
そして自己嫌悪。親友がいるはずなのに、ほったらかしにしてる罪悪感も。

もうなんて自分は情けないんだ。こんな風なダメ人間にはいいところは何もないって思う。

そういうと、
「そんなことないよ!」
「いいところいっぱいあるよ!」
「自信持って!」

とありがたい言葉をかけてくれる。

うれしいんだ。うれしいんだけど、自分の中で納得いってないから、受け入れられない。
なぜなら「観念」があるから。

自分にいいところがあると思ったら、キラキラ輝ける。
そうしたら、親を置いていくことになる。
そして、幸せになってしまう。

書いてて気づいた。
この観念は外したと思ってたけど、今出てきたってことは解除できていなかったんだ、って。



幸せになりたいし、自分をもっと表現したい。
そう。私は「自分を表現したい」んだ。

幼い頃から自分の意見や考えを抑圧していた私は、感情を発散する必要があった。

そして見つけたのが音楽。完全に親の影響だけど。
エレクトーンを習っているとき、発表会やコンクールで、音楽に自分の想いを乗せることに喜びを感じていた。

大学時代はトランポリン競技をしていたけど、本番で技をやることを「演技」と読んでいる。まさしく「技を演じる」んだ。

こうやって自分を表現する場を見つけてきた。

社会人になってから自分を表現することを忘れていたが、そういえばライターを目指したこともあったっけ。今度は文章で自分を表現しようとした。

そして今はお花で自分を表現しようと奮闘している。
でもそれもなかなか上手くいかなくて。

お客様に渡すものを丁寧に扱わなければいけないのに、それができなかったり。細かいところに気を配ると精神力を使って疲弊するのがわかっているから、自分で無意識に止めてる部分もあると思う。

とはいえ、お客様はそんなの知らないから、ちゃんとしたものを渡さないといけない。本当に花束もアレンジメントも難しい。

もっとうまくなりたい。


日々の想いを綴り、理念を言語化することを目指しています。
今日の気づきは「自分を表現する」がキーワードになってくるということ。

どんな風に表現するのか?
どんな手段を用いるのか?
それはカウンセリングや花屋にどう関連してくるのか?

そのあたりも追々書いていきます。

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