こころの問題と親との関係
小さい頃の自分に会いに行って、
もう大丈夫だよって言ってあげる。
昔、自分が寂しかったこと、悲しかったことを伝えて、
お母さんを許してあげましょう・・・
って、聞くじゃないですか。
いろんな経緯があって、
実践してヨカッタって思う人も
いるとは思うんだけど、
私は否定派です。
どんだけ上からやねん
って思う。
親を悪者にするな
少なからず、
親が自分を見てくれていない気がして
淋しい体験をする事はあると思います。
これだけ近い存在ですから、
ぶつかる事は避けられません。
もちろん、
虐待とか行き過ぎた事実がある場合は別ですよ。
そんな親のところに生まれてくるなら、
私のところに生まれて欲しかった・・・
と思う事件は沢山あります。
親子間のコミュニケーションって
もともと難しいと思うんです。
今回の試験であがり症を受け止めた事で、
あちこちで親との関係を指摘された気がします。
でも、親が一方的に悪いわけじゃない。
「勝手にうちの親を悪者にしないでくれる?」と思います。
いわみちゃんのお母さんって
厳しいんだね
さぁ。
そんなことを言う私が、
「私のお母さんって厳しいんだ」と思うようになって、
一悶着あった時の話です。
小学校の頃お友達が
「うちに泊まりにきて」と言います。
私は「お母さんに聞いてみる」と言います。
当然の行動ですね。
母に聞くと
「いけません。相手のご家族にご迷惑だし、まだ小学生でお友達のお家にお泊まりは早い。」と言います。
私は何せまだ小学生。
私は長女ですし、母親も全てが初体験。
運動部に入っていてチーム団結が大事!とかでもない。
親同士が仲良いとかでもない。
家族ぐるみで付き合っていた訳でもない。
「お泊まり会」と言う響きに憧れが生まれたところだったのでとても残念だったけど、普通の流れですよね。
大人になった私だってそう思います
少なくてもうちの家庭ではそうです。
それをそのままお友達に伝えました。
「えー!楽しいのに!」
そうですよね。
私もきっと楽しいと思います。
でもお母さんがダメって言うから。
自分の家では出来て当然のことが
出来ない家庭がある事を理解できないお友達は
そんなのおかしい!って思ったのかも知れません。
「いわみちゃんのお母さんって厳しいんだね。」
え?
そうなの?
うちのお母さんって厳しいの?
その後私は、
「うんそうなの」と言ったのかもしれません。
だって、そんなのやだー!泊まりにきてー!と言われても、親がダメって言ってる以上、幼い私にはどうしようもないじゃないですか。
最初はお泊まりできないと伝えるのが悲しかったけど、
断ってるのにいつまでも誘ってくるので面倒だったのは覚えています。
諦めきれないお友達が自分の母親に言ったのか、
親が厳しい私を助けようと思ったのか、
お友達のお母さんから家に電話がかかります。
結局母はお断りしました。
当時の私は想像も出来なかったけど、
その電話で母は相当傷ついたのではないかと思います。
その夜父親に
「お母さんが厳しいとか言うな」と怒られて、
私が言ったんじゃないのに!
って言うか、なんで私が怒られないといけないわけ?
と思っていたけど、
厳しいと言われたことに対して、
否定はしていないと思うんです。
同調したと言うか、
親のせいにしてその場を終わらせようとした。
でも、その電話の後、
いつも気丈な母の目が赤く見えたと感じていた私は
「私はわがままを言った」
「母に対して悪い事をした」
と言う気持ちが生まれ、自分を責め始めます。
幼い私は、お友達に嫌われるのが怖くて
母を守らなかったんです。
ここで大事なのは、
自分を責めているのは
「自分」だと言うことね。
被害者と加害者は誰だ
さて、改めて
被害者は誰でしょう。
お願いしたのにOKと言ってもらえなかった私?
せっかく誘ったのにお泊まり会が出来なかったお友達?
娘のお友達のお母さんが厳しいから、
うちは全然平気ですよーと言ってあげたのに結局断られたお友達のお母さん?
なんか知らないけどいきなり他人から
「お母さんもっと優しくしてあげましょうよ。」と諭すような事を言われたうちの母?
じゃあ加害者は?
お泊まりを許さなかった母?
人の親を厳しいと言った友達?
人の家のやり方に口を出したお友達のお母さん?
母を守らなかった私?
コミュニケーション
どれもコミュニケーション不足からくる行き違いだと
今の私は思います。
過去の自分に会いに行っただけでは
今は変わらない。
あの時は辛かったと親に伝えても
親はごめんねと言うしかない。
それで抱き合って和解したと思ってるのは
子どもの方だけなんじゃないかな。
自分の気持ちに向き合うことで得た体験は重要だけど、
相手の気持ちは自分と全く同じだと思う?
親としてみれば、
謝ったら納得するの?
あの頃どうにかしようと思って頑張っていた自分の気持ちはわかってくれてる?って事ですよ。
親になった今はそう思います。
相手のせいにして自分を守る事でも
相手を無条件に許す事でも
全てはうまく行くと信じて待つことでもなくて、
今目の前にいるわかり合いたいと思っている人と
今、コミュニケーションをとる事が大切なんです。
喧嘩だってコミュニケーション
娘が中学生の頃取っ組み合いの喧嘩をしました。
色々な経緯があってね。
私は娘に甘えて欲しかった。
娘は私に弱いところを見せたくなかった。
でも私はわかっているから
なにせ私の娘だから
強がってるの知ってるし
私を気遣ってるのも知ってた。
でも、全て出して欲しかったし
娘を丸ごと受け止めたかった。
で、話し合いでは治らなくて取っ組み合い。
で、最後は抱き合って泣いて仲直り。
それの繰り返しです。
成人した娘はその頃とは別の気持ちで
私に不満を持っているかもしれない。
私だって外で自分の世界を作り始めた娘が心配で
口を出したくなる事が沢山あります。
孫をちゃんと育てているか不安な母が
私に口を出したいことだってあるでしょう。
私には私の考え方、やり方があるように
母には母の考え方、やり方、
娘には娘の考え方、やり方があるんです。
親子も
兄弟姉妹も
恋人も
夫婦も
親友も
社会での人間関係の全て
絆を深められるか
深められないかの違いがあるだけ。
生きていればどんどん新しい感情が生まれて、
共有しなければ誤解が生まれる。
そこで勝手に引きこもって傷ついて、
相手を悪者にしているのは自分なんです。
受け止めてもらえないことを怖がって、
相手を避けているのは自分なんです。
受け入れてもらえなかったら
離れればいい?
もし、
どれだけコミュニケーションを取ろうとしても受け入れてもらえなかったら・・・。
悲しいけど、離れるのが楽なんだと思います。
でも、
コミュニケーションをとる前に勝手に離れるのは
違うんじゃない?
もしこれを読んで何か感じる事があったら、
もっと、
大切な人と話をする時間を持ってみてください。
そこから、
これからどうするか考えればいい。
飛び込め‼︎
ちょっと話が飛躍したかな。
私が言いたいのは、
私があがり症なのは
親のせいじゃなくて、
受け入れてもらえるか不安な自分が、
自分の考えを話しもせずに勝手に強がっていたせい。
失敗したらバカにされるのではないかと
勝手に思っていたせい。
だと言うこと。
母に
「沢山勉強したけど緊張して試験うまくできなかった」
と電話で伝えたら、
「あらそうなの。残念ね。」って。
なにせ母は、学習発表会でも、ピアノの発表会でも、
私のお漏らししたタイツを、何やってるのよって文句を言いながらも、急いで処理してくれたんだもの。
着替えがあったと言う事は、
もしものために母が準備していたと言う事。
私があがり症で失敗する事が
ちゃんとわかっていたと言う事です。
大切なのは、
あと2年もすれば50歳になる私が、
母に弱音を吐けたと言うこと。
色々と強がって、反抗もして、
面倒で生意気な娘だったけど、
いい大人になった今も、
弱音を吐けるくらい母親を信頼していると言う事。
恥ずかしくて普段そんな事言えないけど、
外からは見えない絆があると言う事。
大切な人とコミュニケーションを取るとは
そう言う事だと思います。
BE HAPPY ‼︎
私の気持ちが誰かに刺さって
素敵な体験が増えますように♡