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認知の歪みなんかじゃない

 「認知の歪み」という言葉が、ここ数年流行った。

 発達障害や精神疾患を抱える人たちは「認知の歪み」を持っていて、自己評価が過小だったり、白黒思考になったり、個別事例を過度に一般化したりしてしまうらしい。

 わたしは発達障害で、精神疾患を抱えている。
 「認知の歪み」が激しい人たちの特徴に当てはまっている。

 これは認知の歪みだ、と唱えたことは何度もある。でも、心の奥底ではずっとそれを信用していない。これは歪んでいない、正常な認知なのだと思っている。

 人につめたくされたり、心ない言葉をかけられたり、避けられたり、笑われたり、その全てがわたしのことを嫌っている証左にしかならないし、全てが事実だ。

 ほんとうにつめたくされていなかったら、その温度はわたしに伝わらないはずだ。ほんとうに笑われていなかったら、あの人はこっちにちらちら視線を向けていないはずだ。

 嫌われているのだ。ほんとうに。
 原因なんかいくらでもある。挙動が不審であることとか、声や喋り方が気持ち悪いこととか、太っていることとか、会話が噛み合わないこととか、頭が悪いこととか、いくらでもわたしのことを嫌う理由がある。

 認知の歪みだ、なんて唱えるのは、希望的観測に縋る行為でしかない。

 わたしみたいな弱者は存在もしない希望に縋ることしかできないのだろうか。
 現実から目を背け、これは認知が歪んでいるだけだ、なんてもそもそ呟いて、一体なんになるのだ。

 わたしは現実を見ている。見ようとしている。ずっと。

 これを読んだ人の何人かが薄ら笑いを浮かべることだって分かっている。分かっていてこれを書いている。

 だから、苦しくなんかない。

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