誰かの「ダイヤモンド」になりたい
人生はあっという間で世界にはたくさんの人がいる
なら
私は好きなことをし尽くして死にたいと思った。
22歳。30歳まであと8年。
女。綺麗といわれる女の寿命まであと約8年。
独身。幼い頃結婚したいと思っていた歳まであと4年。
将来子供を産むと思ってた歳まであと5年。
大卒フリーランス。夢叶えていそうで仕事もろくにないしビックになれる気配が今のところない。
今年の春に大学を卒業した。
4年前、日本最高峰の芸術を学べる大学に合格した。
何倍もの倍率を死ぬ物狂いで突破した。
そんな大学の入学式で言われた言葉は
「君たちは全員が原石ではない。ほとんどの人は小さな原石を見つけるためにいて、僕たちはその中から原石を探すからね。」
こんな感じだった。
入学するのも難しいが、授業を受けてれば卒業できる。
入学できただけではダイヤモンドにはなれないのだ。
大学に合格した途端、高校の先生たちは手のひらを返して、ダイヤモンドかのように扱ってきた。
よく芸術を知らない、娯楽として楽しんでいる人たちには、気軽に触れるダイヤモンドのように扱われる。
日本でダイヤモンドとして活動している先生方は、素晴らしいけど自分に夢中で新たなダイヤモンドを掘り出すのが苦手のようだ。
あっという間に4年間は終わった。
この大学が自分に合っていたかは正直わからない。
でも4年間でわかったこともある。
「私はダイヤモンドではない。光らない方の、原石を探すためにいた石だ」
と。
もっとも4年もかかってない。むしろ入学式からわかってはいた。
見ないふりをしていた。ただの石も、化学変化で光り輝くダイヤモンドになると思ってたのかもしれない。
音楽家は大器晩成の方がいい人生を歩める、みたいな誰が言ったかわからない言葉を信じている。
大学卒業時点でダイヤモンドになれる気配がないとわかっていても
私は就職活動もせず、フリーランスになった。
「日本や世界で大事にされるような宝石になる人は私の他にいる。でも他の一般職もできないし教員にもなれないし何かからオファーもない。頭も良くない。見た目も普通。だったら、最低限人間としての義務は果たさないといけないし、迷惑はかけてはいけないけど、
好きなことをして、やりたいことをして、人生を存分に楽しんで楽しんで楽しんでぽっくり死んだ方がいい人生だったと言えるし自分のことが好きになれるのではないか」
ダイヤモンドではなかったし、だからと言って他の仕事に人生を捧げるスペックもない。
だったら簡単にみんながみんなはできない、でも勇気と思い切りがあればできちゃった!みたいなことをしたいと思った。した方がいいと思った。できる部類の人間かもしれないと思った。
世界を巡りたい。そこでたまに身近な音楽ができたら最高だ。
もちろんお金がないとできない。それは一番考えなければいけない。
でもちゃんと働いて定年退職して歳を取ってから世界を見て感動して短い人生を楽しんで死にたいわけじゃない。
それはもちろん普通の考えだし、勤労・納税の義務があるんだからそうしなければいけない。
でも私は今、世界を知って、感動して、経験してから、長く生きて生きたいと思う。若いうちに経験したい。
もともとヨボヨボになるまで生きていたくないし、少しでも元気な時に世界を見て、感じたい。
いろんなところで感じたいろんなことを誰かに伝えたいし、言葉や写真にしたいし、音楽にしたい。noteに書きたいし、言葉で伝えたいし、写真で伝えたい。
頭が良かったら今頃医者にでもなってコロナに貢献していたかった。
もっと社会に貢献できるようなスペックがあれば喜んでしたかった。
でもそれはなかった。そんなことは中学生くらいでわかってた。
音楽しかないと思ってたけど、珍しく他にやりたいことができてしまった。
今まではどうにかして自分のできる、自分の好き、を人のためになるようにするにはどうしようと思っていたけど、自分のために生きるという選択肢もあるようだ。
あくまで人間としての義務を果たした上での話だが
これはこれで難しいが
今までの人生上、先延ばしにするとやらなそう。
だからこの夢の叶えようね自分。