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自己紹介
【自己紹介】
もりこと申します。
40代おひつじ座のO型です。
看護師として普通の病院に勤務しています。
名前:もりこ
(苗字と名前を略しただけの安易な名前)
年齢:40代
趣味:犬と遊ぶ(保護犬活動)
読書(漫画含む)
住まい:広島県
出身:山口県
【私を形づくったもの】
今の私の根底に大きな影響を与えた人がいます。
たぶん一生忘れません。たぶんですけど。
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【ピアノの先生】
3歳くらいでピアノを始めました。
はい、親の影響です。
若い女性のピアノ講師。
ところが小学校に上がる直前
この女性講師が、結婚して大阪に引っ越すという。
困ったのは両親。
ピアノ続けるか辞めるか問題が浮上。
私はどっちでもよかった。もう何年もやったし。
ピアノじゃなくてもいいし。
別に何も習わなくてもいいと思っていた。
そこからなぜか
思わぬ方向に話が転がっていく。
なんとその女性講師が
「私の師匠を紹介します」と言い出した。
紹介されたのは
白髪混じり、ご高齢の男性ピアノ講師。
メガネをかけていて無愛想。
出会って3秒で嫌いになった。
なんというかとにかく偏屈だった。
笑顔なんか一回も見なかったんじゃないだろうか。
その、おじいちゃん先生は、自分の愛犬ヨークシャーテリアの「マロ」を溺愛していた。
私がソファに座ろうと、犬に「ちょっとどいて」と話しかけたことが
おじいちゃん先生の逆鱗に触れてまず怒られた。
初対面でこっぴどく。
犬に触れたり、ふんづけたりなど誓ってしていない。
ちょっとどいてと話しかけただけだった。
おじいちゃん先生は私に言った。
「この犬はこの家の子だから。
そして、あなたの家じゃないから。」
まったくのド正論だったが小学校1年生の私には強烈だった。
ごめんなさいも出てこなかった。
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次の週から本格的なピアノレッスンが始まった。
女性講師が自由にのびのびと弾かせていてくれていたこともあって、とにかくおじいちゃん先生とのレッスンは苦痛だった。
楽譜は読める、弾ける。
でもその解釈はまったく違うと、よく怒られた。
小学校1年女児に解釈?
無理やろ。何言ってんのおじいちゃん。
本当に本当に心の底から嫌いだった。
おじいちゃん先生の家は
昔ながらのガチャガチャテレビで
(今の若い人は知らないでしょう)
何度も音量をMAXにして帰ってやった。
おそらく今なら体罰で炎上するであろう、
私の手をぱちーん!と叩いて演奏を止めさせる指導スタイル。
叩かれるのが嫌で、何度も叩かれる直前でサッと、よけた。
一度じいさんがバランスを崩し、ピアノの鍵盤で派手におでこを打っていた。
ザマァしか思わなかったがそれ以降、私の手を叩く威力が弱まった気がする。
向こうも、気に入らない、ただの押し付けられたガキの面倒を見なければならないわけだ。
毎週すごい量の課題曲を出してきた。
普通に考えて
少学1年生に弾かせるなら、ソナタとかハノンとはハイドンとか、せいぜいバッハだろ。と思うのだが、
このじいさんは容赦なくベートーベンだのメンデルスゾーンだの信じられない量の楽譜を押し付けてきた。
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ただただ毎日ピアノを弾いた。
じいさんに『今週は、できませんでした』と謝りたくなかった。
じいさんへの憎しみだけで弾いていた。
父が地元の交響楽団の指揮や
コンマスをしていたこともあって、
音楽漬けになってもいい環境が自宅に揃ってしまっていた。
音楽役満。
学校がない日は朝から夜まで
10時間は弾いていたと思う。
ときどきレッスンより少し早い時間に到着することがあって
(たぶん交通事情のせい)
レッスン室をのぞくと、じいさんはよく
犬を抱いたままソファで眠っていた。
犬だけが私に気づいて起きることもあった。
私が近づいてもなかなか目が覚めないじいさん。
何か疲れてるのかな。
そんなことを思ったこともあった。
レッスンのペースにも慣れて
だんだんと犬とも仲良くなった頃、
じいさんは突然
「演奏会やるか」と言い出した。
当時の子どもの習い事と言えば、猫も杓子もピアノだった。
演奏会と言えば、カワイとかいろんな音楽教室があり、ひらひらのドレスを着た小さな子ども等が
市民会館なんかで弾いちゃうアレだ。
スポットライトの下で先生と連弾して、
演奏が終われば友達が花束を持ってきちゃったりするアレだ。
「演奏会どこでやるの」と、
じいさんに聞くと、
今夜、私の両親に電話するという。
はぁ…まぁそうか。
子どもの私に話したところで仕方ないこともあるだろう。
ところがその夜、
うちは天地がひっくり返るほどの大騒ぎになる。
なんとその演奏会、
皇居で弾くというのだ。
皇居って知ってます?
天皇陛下がお住まいのあそこですよ。
コウキョ?なんじゃそりゃ。
子どもだった私にとって
初めて聞いたワードだった。
鬼の形相で「一体どうなってるの」と
父に詰め寄っていた母だったが、
私が「練習しなくていいの?」と聞くと、困った顔で、
そうね、何弾くのかしらね、先生にお聞きしなくちゃ、と
急に冷静になったことを今でも妙に覚えている。
手のひらクルックルの母だった。
ただの偏屈じじいだと思っていた男性ピアノ講師は、
実は国内でも、とても有名な某音大の教授をしていたことがあるらしい。
人は見かけによらないね、と言って父に怒られた。
前に習っていた女性講師もかなりの有名どころで、父がツテのツテを頼んで娘の私を弟子入りさせてもらったことをその時に初めて知った。
そこから怒涛の日々になるかと思いきや
じいさんは淡々と普通に、以前と同じ量の課題を出してきた。
課題曲だけに集中させろよ。と
じいさんを呪った。
皇居で弾いた曲は半年前に
出された課題だった。
じいさんは半年も前に、この演奏会を決めていたのか?と不審に思っていた。
以下、皇居。
当時、小学2年生だった私の感想なので、語彙力ないが許してほしい。
お正月の皇居は日本じゃないみたいだった。それしかない。
みんな煌びやかなドレスを着ているが、肘までの長い手袋なんかつけちゃってる。
のちにアニメでセーラームーンを見るたびにこの日のことを思い出す。
燕尾服を着ている男性も生まれて初めて見た。天井がすごく高かった。
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楽曲はゆっくり弾いても約2分。
バッハの超有名なカノン。弾き切った。
緊張したがノーミスだった。
両親も目に涙を浮かべていたが、
じいさんは違った。
解釈あってない、浅かったと。
いや、そこは全力で褒めろよ!
皇居やぞ?小2やぞ?と思ったが
爺さんはブレなかった。
両親に延々と曲の解釈を説明していた。
悔しくて涙が出た。
でも一回も間違えなかったよ!と反論した。
じいさんは「それは当たり前でしょ」と
無表情で言い放った。
小学生ながら私は
音楽や世間の厳しさを知った。
その夜、じいさんも壇上にあがって
なんか弾いてた。
たぶんドビュッシー。
当時は知らない曲だった。
でも燕尾服で優雅に弾いたじいさんは
悔しいけれど、ちょっとかっこよかった。
翌年の6月。
小学3年の私はコンクールで銀賞をとった。
小学3〜6年生までの部だった。
いわゆるユース。
3年生で銀賞ってすごいじゃん、と
今なら思うのだが
当時はそれなりに悔しくて泣いた。
金賞がとれず全国大会に進めなかったからなのか。
じいさんは途端に私に興味がなくなったようだった。
課題曲も減り、レッスン中もあまり怒られなくなっていった。
そしてある日、じいさんがうちに1本の電話をよこす。
それは「来週から1年ほどレッスンを休ませてほしい」というものだった。
その間、代理の講師は紹介するとも言った。
両親は
「先生には大変お世話になっているので、代理の先生までは望みません。
いつまでもお待ちします」みたいなことを言っていた。何時代だよ。
実はこの1年の休暇、
じいさんの闘病生活に充てられた期間だった。
末期の膵臓癌だったらしい。
そのままレッスンが再開することはなかった。
私はピアノという習いごとを突然失った。
小学3年生でユースコンクール銀賞。
これが最終経歴。
でも私の人生のピークは間違いなく
皇居で弾いた8歳のあの夜。
【その後のじいさんと私】
じいさんの体調が戻らず、
どうやら思わしくないと両親から聞いた。
その時に初めて、じいさんが実は60代前半で思っていたより若かったこと、
奥さんや娘さんを事故で早くに亡くしていたこと、
そして闘病中に預け先のお宅で、犬のマロが死んだことも知った。
じいさん一人ぼっちじゃん。
と思ったが
小学生にできることなど何もない。
母が、新たに習字やそろばんを習わせ始めてくれたが、速攻で飽きた。
ピアノほど面白くなかったのだ。
中学生になり成績が中の下でまったく伸びず、塾に行くか?と言われながら
結局いかずに3年間を過ごした。
その後、地元の高校に進学。
いわゆるチャリ通になり、私の行動圏は広がった。
ふと学校の帰り道、
じいさんの家まで行ってみたことがある。
空き家になっていた。
誰も住んでいない家。
高校生ながら空虚さを味わった。
ここで練習してたんだよなと感慨深くなった。
でもそれだけだった。
じいさんどうしてるかな。とか
連絡とろうかな、とか全く思いつかなかった。
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高校1年生の夏。
それなりに彼氏ができたりして
勉強よりも遊びを覚えてしまった。
夏の夜ふらっと遊びに出てよく母に怒られた。
地元のショットバーに出入りしたりして自分がちょっと大人になったような気がしていた。
当時の彼氏の『先輩』という人が、
どうやらピアノが弾けるらしい。
とある店で、週末にピアノ弾くから
一緒に聞きに行こうと彼氏に誘われた。
久しぶりにピアノ弾く人を見るなぁ、とちょっとわくわくして出向いた。
たしか19時開始とかだったと思う。
(0時に帰宅してすんごく怒られた。)
その『先輩』の弾くピアノは
私の知ってるピアノとは全く違った。
いわゆるジャズピアノというらしい。
なんでも即興。
楽譜があっても、その通りには弾かない、アレンジがメイン。
上手い下手で言うと、上手くはないのかもしれないが、それはとてもかっこよく見えた。
とても楽しそうに、そして気持ちよさそうに弾いていた。
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演奏を終えた先輩に彼氏が
いやーすごいっスね、と話しかけていた。
ふと目が合った先輩に
「この楽譜見て弾いてますか」と聞くと、
うん、コードだけね。
コードってなんですか?
G7とか聞いたことない?
ここに小さく書いてあるんだけど。
うへぇ。
何も考えずに質問したが、
知らないワードばかりが出てきた。
でも教えてもらったコードは全部、
片手で弾けた。ドレミファを
ツェーデーエーエフ(ドイツ語)に、
つまりコードとはアルファベットの
CDEFGに直しただけだったのだ。
先輩がびっくりしていたが、それよりも楽譜に隠されていたアルファベットと数字のコードに興味津々だった。
彼氏がヤキモチ妬いてるから、と
先輩が苦笑いで話かけるまで
私は夢中でコードを読んでいた。
この楽譜のコピーもらえませんか?と
お願いしたが、すぐにコピー機があるわけがない。
当時は携帯も持っていなかったので
後日、先輩と待ち合わせて楽譜を受け取ることになった。
彼氏が「俺よりも先輩が良いわけ?」などとほざいていたが、どうでもよかった。
翌々日、先輩の教室を訪ねて行って念願の楽譜をゲットした。
久しぶりの楽譜。早く弾いてみたい。
熱に浮かされていた。
「どこで弾くの?」と先輩が聞いてきたので「家です」と答えた。
家にピアノあるのお嬢さまじゃん!と冷やかされた。
実際うちには古いピアノが2台あったがそこまで裕福ではなかったと思う。
「それ、弾けるようになったらセッションしようよ」と先輩に誘われた。
セッションとはなんだ?連弾か?
よくわからないまま、はいと答えた。
何となくだが彼氏とは、今のうちに別れたほうが問題が少なそうだなと思った。
ジャズピアノは想像以上の楽しさだった。
楽譜通りに弾かなくていい。
かっこよければなんでもいい。
あっという間にのめり込んだ。
夏休みをピアノ漬けにするほどの魅力があった。
初めて自分1人で楽器店を訪れ、
ジャズピアノの教本を買った。
テイクファイブ、マイフェイバリットシングス、フライミートゥザムーン。
有名どころを聞き漁り、アレンジすることの楽しさを知ってしまった。
母がピアノ部屋に入って来て、
事あるごとに
「野蛮な弾き方!
そういうの、お母さんは嫌いだな」と言っていたが無視した。
両親の言いなりで弾いていたんだな、とこの頃やっと自覚した。
夏休みが終わったタイミングで、
先輩が「夕方からやってるピアノがある店」を教えてくれた。
そこは寂れた風態のジャズバーだった。
ショットバーと違い、ビリヤード台などがない。
すっきりした店内に壇上があり、片隅にはアップライトピアノがあった。
アップライトとは小さいピアノのこと。大きいのはグランドピアノ。
アップライト、可愛いなと思っていたら、
店長らしき人が「お客くるまで弾いてもいいよ」と勧めてくれた。
ここぞとばかりに名曲アレンジを弾きまくった。
ただのオナニープレイだった。
先輩も店長もドン引きしていた。
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誰かに聞かせるわけでもない、
誰かと演奏する気もない、そんな弾き方。
「家にピアノあるんじゃなかったっけ」
先輩が呆れていた。
あるにはあるんですが・・・。
家で一人でシコシコ弾くのと全くちがうんだよ。
先輩はもうセッションしようとは言わなかった。
小さい音もクリアだよな、とか
でも雑には弾いてないんだよな、とか
評論家じみたことを言いながら聞いてくれた。
夕方になり、常連客と思わしき人が2人入ってきたが、店長は私の手を止めなかった。
お客さんの1人が私の近くに来て聴いてくれた。それがなんだか嬉しかった。
今までのピアノといえば壇上で一人ぽつんと弾く演奏会しか知らなかったからだと思う。
近くにいたお客さんが
「ねぇキミ。クラシック畑の人?」と
質問してきた。
一瞬なんのことかわからなかったが
ちょっと考えてピアノのスタイルだと気づいた。
わかるんですか?と聞き返すと
一生懸命、楽譜通りに弾こうとしてるじゃんと笑われてしまった。
そうか、わかる人にはわかるのか。
がっかりしたような・・・それでいて、自分の経歴が演奏に出ていたことが嬉しいような不思議な感覚。
ピアノは誰かに習ったの?
店長が続けて話しかけてきた。
ちょっと考えて、正直にじいちゃん先生の名前を告げると、
店長とそのお客さんの顔が曇った。
あぁ。あの人か。
つい最近亡くなったよね。
衝撃的な言葉だった。
亡くなった?死んだってこと?
知らない。聞いてない。
小さい頃あんなに私に関わっていた人の死。
まったく知らないほぼ初対面の人から告げられたことがショックだった。
死んだ時の詳細は不明だが、じいさんは
このお店に来たこともあったらしい。
ここには飲み友達もいたよ、と教えてもらった。
その日の夜、母に
「先生が亡くなったこと知ってた?」と聞いた。
母も初耳だと驚いていた。
お香典を送りたいけど先生、天涯孤独だったのよね、どうしよう。と
母が困っていた。
てんがいこどく。
この言葉の響きの寂しさが今も私の胸の底にある。
どうしてあんなに犬だけを可愛がっていたのか。
どうして小学1年の小娘にあんなに厳しくしたのか。
娘さんや、奥さんを亡くしていた彼は
何を思い、何を感じ、
私に何を伝えようとしていたのだろうか。
大人になった今、
彼のソーシャル的なバックグラウンドが密やかに浮かび上がる。
天涯孤独で孤高の謎のピアニスト。
私の人生を形づくる上で
多大な影響を与えた人の一人です。
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【その後の私】
なんだか変な自己紹介になってしまいました。
でも私の人生のピークは8歳、
これだけは真実です。
あとは坂を転がるように転落した人生でした。
そうそう、看護師になった理由でしたね。
当時の彼氏が
『いいじゃん、なんかエロいじゃん』と言い出して、ノリで受験を決めました。
事実、私の家族内に看護師は一人もいません。
なんか面白かったな、とか
もっと読みたいなと思われたらフォローしてくださると嬉しいです。
(あとでお返しにも行かせていただきます🎵)
これからもどうぞよろしくお願いします♪