留年カス大学生
焦燥
成人式に行かなかった。
数か月前から結構な頻度で地元の友達から誘いの連絡が来ていた。
「どうしようかな」
の一点張りの返事で適当にあしらっていた。
本心を言うと全く行くつもりはなかった。なぜなら高校を卒業してからなにもなし得ていない自分が本当に嫌いだった。
理想の自分はこの時点でなにかで結果を残している予定だった。
直前に仲が良かった彼女と別れたダメージも少しあったのかもしれない。
元カノは基本的に自分を否定することはなかった。
否定されなさ過ぎてそこに甘えてしまっていたので自分から別れを告げた。
その後、劣等感に苛まれ真っ暗な部屋でSNSを見ては寝て、飯を食って学校に行って、毎日が同じような日々の繰り返しだった。
自分が想像していた20歳との乖離が受け入れられなかった。
「なにかで結果を生まないと」
この声がずっと頭の中で響いているけど、結局なにもしない。
ほぼ留年が決まっていた自分はこんな状態で地元のコミュニティに顔を出す余力なんて残っていなかった。
でもこの怠惰は今に始まった話ではない。
今思い返せば小学生の時、母親に
「高校って行かんでいいん?」
「大学って行かんでいいん?」
「じゃあ俺行かんでいいかな」
と言ったのを鮮明に覚えている。母親はその言葉を何回も浴びせられ、半ば呆れていたと思う。
生まれてから死ぬまで多分ずっとこんな感じなんだなと20歳にして悟った。今思えば親不孝以外何者でもない。
退屈な日々にさようならを
先に述べた通り、毎日が退屈でつまらなかった。
友達のいない大学に行って、義務のような毎日。留年もほぼ確定。
「もう飽きたな」
大学3年生の秋、大学に行くのをやめた。
留年が見えて、1年続いたバイトもやめた。
自分が1年もバイトを続けるのなんかあり得なかった。
コンビニではレジ操作が覚えられなくて辞めた。
居酒屋では他の大学生とコミュニケーションがうまく取れなくて辞めた。
弁当屋は、仕事ができな過ぎて店長に怒られまくっていたのでウザくて辞めた。
誰にも何も言わず、大学に行くフリを半年ほど続けた。
元々裕福な家庭ではないので留年したら大学はやめることになるだろうと思っていたので、もう行かなくていいやと思った。
またアイツが来た。劣等感。
「アイツらは楽しそうにしてんのに」
SNSを見るたびに劣等感が肩を組んでくる。
大阪城の下で酒を飲みながら泣いた。
誰かが助けてくれるんじゃないかと思っていた。
女の子と遊ぼうにも脳裏に留年のコンプレックスが焼き付いて離れなかった、ただ何も楽しくなかった。
ただ漠然と死にたかった。
先生、俺もう辞めます。
ゼミの先生にこう言い放った。
すべてが嫌になった。
ゼミにも半年顔を出さず、大学3年後期、全単位を落とした。
常人には理解できない範疇に当時俺はいた気がする。
大学に行っていなかったので、ゼミの教授から電話が来た。
内容は今何しているか、なぜ大学に来ていないのか、確認の義務が一応あるので教えてくれという旨の電話だった。
「俺、多分大学辞めます」
辞めた後のプランなんて何も考えていなかった自分は正論で叩き潰された。
当時は早く辞めさせてほしい。それしか頭になかった。
そしてそろそろ我慢の限界が来た。
自分の感情をせき止めていた堤防が決壊した。
祖母に話した。
家柄もあり、祖母に学費に少し出してもらっていた。
「死への恐怖さえなければこっから飛び降りるのに」
罪悪感を越えた何かが自分の口から出そうになった。
この期間ずっと親を避けていた。
今まで小中高と特に何事もなくこなしてきた自分がこうなると思っていなかった。
その後親にも伝えた。流石と言っていいのか勘づいていたような反応をされた。お酒を交わしながらゆっくりと今までのことを話した。
「ゆっくり卒業したらいいよ」
その日の夜は全く眠れなかった。
処方箋
半年の空の大学生期間中、惰性でゲームをしていた傍ら、眠らせていたYouTubeのアカウント使って料理動画を投稿した。
大学に休学申請も出しておらず、肩書だけは大学生だった。
正直な話YouTubeは大学生1年目からちょこちょこ投稿はしていた。
別にYouTuberになりたかったわけでもなかったので、罪悪感を紛らわせる薬のようなものだった。
元々料理は好きなほうだったので祖母の家のキッチンを勝手に使い、適当に食材を見繕って、日々の劣等感ややるせなさをインターネット上に垂れ流していた。
後々気が付いたが、自分のような無気力、怠惰、根暗みたいな人間は世の中にごまんといるということだ。
その共感のおかげか1年生の時にやっていた時期より濃いファンがついた。
それが自身へのモチベーションになったのか、ただ暇だったのかひたすらに動画をアップロードした。
傷を舐め合っていた。でも嬉しかったのは事実だ。
好きでやっていることに人が好きと言ってくれるのは、この上なく嬉しかった。
最初は数字も気にならなかったが、徐々に気にするようになってきた。
ただ現実は何も変わらなかった。
留年カス大学生の説得力
結局中退はしなかった。
4年生の前期から行きなおすことになった。間違いなく周りとの差は開いている。2留も圏内だ。
大学に戻って面談をもう一度しなければならなかったので、オンラインでゼミの教授と面談をした。
「生きる意味を見つけてください」
教授に言われたこの言葉がずっと頭から離れない。
澄ました顔をしてゼミに出席して課題をする日々に戻った。周りと比べて落ち込むことも以前と変わらない。
就職活動をしている友達を横目に就職したときの自分を想像してみるが、あまりうまくイメージが沸かない。なんならイメージもしたくない。
ただ少し前と変わったのは週末や空き時間に動画の事を考えるようになった。自分に起きたことすべてをYouTubeに投稿することで消化していた。
週末にYouTubeを投稿して平日は学校、このサイクルで今も生活している。たまに何の理由もなく死にたくなる時があるが、それもそういう人間のシステムなんだと受け入れてお酒を飲むか寝るかして対処している。
同年の9月、YouTubeとは別に「留年カス大学生」というTikTokアカウントを作った。大学生活で苦しめられた劣等感や、大学生で自分が経験したことを元にコンテンツを投稿している。
最初は数字を気にせず投稿しようと思い、自分が大学生活で感じたことを率直に投稿していた。
どうやら世の人から見ると叩きやすいらしい。最初はびっくりした。
でももう今は慣れた。どうせ会うこともないような人から向けられるヘイトほど気にしなくていいものはない。叩きやすいおかげかTikTokのシステムも上手く嚙み合って、3か月ほどでフォロワーが3000人まで増えた。
「これはいける」
今まで自分がやってきたことの中で1番と言っていいほどの自信が沸いた。
数字ばかり追うのは好きではないが、自分がやってきたことを数字が肯定してくれている気がした。
少々投稿内容はネガティブな部分はあるが、自分が上手くいかなかったことを共感してもらえて数字がついているのは素直にうれしい。
文章を書くのは嫌いではなかったので、画像投稿にして文章を200~400文字ほどで毎日17時に投稿している。
他人に誇れる投稿ではないことは確かであり、リアルな話前のアカウントより案件も来づらくなった。でもこれはこれで自分が感じたリアルな部分なので腑に落ちている。
数字をつけることによって言葉に説得力がつくのであれば、自分は自分の思っていることを「他人によっては正解」に近づける努力をしようと思った。
暗い
本当は今年が大学生としてのラストイヤーだ。
周りが次々と内定を決める中、自分は一切の内定もなく就活すらまだしたことがない。就活ガイダンスのチラシは自室のごみ箱に消えた。今頃、灰となって世界から跡形もなく消えていることだろう。
そんなことをする割に、将来に対して薄暗くぼやけたような不安があり、泣きたくなるような日もある。
そんな不安の最中、気づけたことがある。
動画投稿をしたいわけではなく、企業に就職したくなかっただけだった。
過去にアルバイトや、チームスポーツ、小中高の経験を思い出したが、成功体験がひとつとしてない。
「なにかを皆で作り上げて成功させる」経験を幼少期からまったくしていなかった。まるで協調性がない。
気づくタイミングが遅れただけで自分は1人で黙々と作業するほうが向いているのかもしれない。思い返せば誰かと動画を撮ることもなければ、TikTokの投稿も基本1人で考えていた。
あと1、2年で大学生が終わるが、特に何も考えず生活している。
この期間を使って少しずつ自分の言葉に説得力を持たせるという道を静かに歩みたい。
卒業という名のお迎えが来るまで。