大学生になったら
「YouTubeをやってみようかな」
ずっとどこかで思っていたような気がした。
それにたまたま留年という出来事が重なって勢いで始めた。誰に薦められたわけでもなく、自発的に始めた。
とにかくずっと死にたかった。もう捨てるものがないと思った自分は最初は出していなかったが顔も出した。多分わかる人には大学もわかる。
自分のような「大学生YouTuber」と言われる人たちには高学歴が多い。そこと比べると自分は下の下の下だ。周りと比べることが多い自分はどこにいっても劣等感にまみれて今すぐ布団に引きこもっていたくなった。
一般に、こんな学歴で大学生YouTuberは名乗ってはいけないと自分は思う。
実家のこたつのなか
数字からは逃れられない。
動画制作もその大きな一部だと思う。最初は再生されなくてもまぁこんなもんかと思って何も気にしなかった。最近はめっきりと変わってしまって
「こういうのは多分見られないな」
「こうしたら見てもらえるな」
好きなことでは生きていけない。そう感じることが多い。
初期に思っていたこととの乖離が生まれた。収益もないくせに変にストイックだ。この「最初と変わってしまった自分」が受け入れられない。大学に入って女遊びが激しくなった友達を見るような目で自分を見ている。
「純粋に楽しめていないのでは?」
と自分に問いかけまくっているがいまだに答えは出ない。でも辞めたいわけではない。引くに引けないというのが正しいのかもしれない。なにかで安心感が欲しい。自分をどう見せたいのか、見られたいのか土台のスタンスがぐちゃぐちゃすぎて最近本当によくわからない。
「YouTube用の自分」がいるとするなら、本当は好きではない。
しあわせのために
前述のとおり自分は学歴だけではなく、生活から何から何まで他人と比べて勝手に劣等感を感じている。
ただ幸せになりたい。
周りの友達はYouTube活動もしておらず「普通の大学生」だ。
自分は特別なんだと思い込んでいるわけでもない。コロナ渦を言い訳にするのも限界がある。
こうなりたかったんだ。と後悔の毎日だ。
スピっているわけではなく、自分にとって何が幸せなのかわからない。
YouTubeが伸びたら幸せなのか、留年してでも卒業して就職して結婚するのが幸せなのか、お金がたくさんあったら幸せなのか、女性を抱きまくるのが幸せなのか、見当がつかない。
なにかのトラウマがあってそれをバネに動画投稿をしているわけでもない。これだけはずっと疑問なのだ。確実にわかっていることは寂しさと少し生き急いでいることだ。ただでさえ留年で周りから後れを取っているのにYouTubeというカジノで時間をベットして一発逆転したい。これが本心だ。
今年で22歳。もう大人と言われる年齢だ。なのにも関わらず実年齢と精神年齢の乖離が北海道と沖縄くらいある。気持ちは高校1年生だ。22歳がこんなnoteを書いているのも正直キツい。
終止符
以前動画で社会人になったらYouTubeを辞める。と言ったことがあった。こんなやつを社会に解き放つのは許されない。会社が破綻してしまう。できれば細く長く続けていきたい。感情の浮き沈みがありすぎて無言でフェードアウトしてしまうのだけは避けたい。少ない視聴者にただ不義理でダサい。バイトは飛ぶのに。
今はそう思えている。
ただのダメ人間がどこまでいけるのか、少しだけ楽しみだ。