非難を気にして作品を作るつまらなさ
最近すごく残念に思うことがあって、それはアニメの原作を探しているときに
「こういう描写はこういうところからのツッコミがあるかもしれない」
ということで、その表現自体を無くしたり、場合によっては、作品のアニメ化自体をやめたりっていうことが非常に多いことだ。
アニメに限らず不特定多数が目にするTVという媒体の中で、視聴者からの意見、特に否定的な意見を無視するということは難しい。ましてや、スポンサーや出資者が表現方法に対して意見する視聴者と戦うということよりも、避けるという方が現代的であることは言うまでもない。
ただ、考えて欲しい。
そもそも、原作の時点で世の中には出ているが、映像化する、つまり不特定多数が見るから、その表現をマイルドにすると言うことをしていたら、原作が持っていたメッセージ性だったり言いたかったこと、感じてほしかったことが、オブラートに包みすぎてよくわからんものになりはしないのか?
すでに現実に世の中に出ているものなんだぞ。じゃあ、原作の漫画であったり小説であったりの表現も変えましょう、と言うのはあまりに表現の幅を狭くはしてないだろうか?
「何かを表現する、と言うことは、ある種受け取り手との戦いでもある」
はずで、その戦いから逃げた作品の向こう側には、果たして視聴者は残っているのだろうか。