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健康のためな死んでもいい?
磯辺餅が死ぬほど好きな高田です。サービスエリアの五平餅なんかもつい買っちゃいます。
ネットサーフィンをしてると、とある記事が目に付きました。
「健康のためなら死んでもいい」
というタイトルで、健康にいいから!と様々なサプリメントを摂取し、健康になるために一生懸命輝いている、という話です。
健康。
健康の定義は、WHOの定めるものがあります。
肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも満たされている状態。それが本来の健康である。と。
体のどこもケガ、不調なく。
心も、穏やかで感情が素直に表現できて。
仲間や友達、家族がお互いを思い合っている。
そんな状態が健康とされています。
体のことはなんとなく理解しやすいですね。
肩が痛いとか、お腹を下してないとか、いつも調子いいことは嬉しいものです、
心と社会的な部分は、人にもよるな、とこの記事を読んで思いました。
どこにフォーカスするのか?
これは人それぞれなので、他人に決められるものでもありません。
わたしはタバコを吸いませんが、タバコを精神的支えにしている人も少なからずいるのかもしれません。わたしの父なんかはそうです。吸いもしないのに、タバコに火が着いてないと落ち着かないタイプ。
わたしはその感覚がわかりませんが、父にとっては「いつもの自分」を定めるための一つのツールになっているようです。何度か禁煙の話や、そのようなツールを渡したこともありますが、一切効果なし。そもそも本人がその気ありません。
でも、それもそれで父なんだな、と思います。(決して喫煙を勧めるわけではありません)
そりゃ体に悪いとされていることをすれば、その分体に悪い影響があるので不調に近づきます。下手したら死が待っています。
ですが、「死んでもいいから○○する」という感覚は、正直人間らしくて、それもそれかも。と思っています。
自分の人生なので、悔いなく最後を迎えられるのであれば、それが子供だろうと親だろうと、口出しできない部分もあるよな。と。
ここで注目したいのが、主観と客観は違う、というギャップをどうするかです。
自分は別にいい。と思っていても、決してそうではないことが往々してあります。
大人になる、というのは、そういう周りの思い(客観)もある程度汲んで、その中で自分の思い(主観)をどう活かしていくか?になると思います。
押し売りもダメだし、諦めもダメ。
そんなバランスがとれるようになる大人になるためには、やはり色んな人の話を聞いて、感覚を知って、年齢性別環境関係なく知ることが一番時間がかかるけど確かな道かな、と考えています。
わたしは健康のために死ぬのは嫌ですが、それを良しとしている人もいる。
きっとその人からみたら、私の考えは理解できないかもしれません。
それでも、色んな感覚を受け入れていく、という行動がどれだけとれるのか?は人の懐の広さだと思います。