いつか記憶からこぼれ落ちるとしても
来週の金曜日は愛知県名古屋市伏見駅近く電気文化会館でリサイタルです。
約1年前に「よしっ」と思い立ち、ホールを予約して準備を始めてからあっという間に1年がと経とうとしています。
コロナでスケジュール的に振り回される日々の中でも、コツコツと毎日一歩一歩前進できるよう準備して参りました。
今となってはありがたいことに日々忙しくなってしまいましたが、この3〜4年間くらいは時間ができることも多々あり、自分と向き合い、自分自身がどうしたいのか考える時間が多かったように感じます。
仕事においては『残るものをつくりたい』と思うようになりました。
ジストニアになって「もう一生舞台に立つことがないかもしれない」という事実に直面した時、あんなにたくさんの舞台に立ってきたのに自分には何も残っていないような感覚でした。
勿論、自分の演奏を覚えていてくれた人はいましたし、経験してきたことは自分の中にしっかりと生きたままでしたが。
それでも、なんだかそういった類の虚しさがあったんです。
私はこれからの人生もずっと音楽を続けていくつもりでいます。
しかし一方で、また突然何かの拍子に自分がこの世から消えるのかもしれない。という意識がずっと消えません。
いつか自分がいなくなる時に(それは近い未来なのかもしれないし、50年後かもしれない)できるだけたくさんのことを残したいと思うようになりました。
それは演奏を聴いて下さった方の記憶に残るものだったり、映像や録音コンテンツとして残るものだったり。
私はフリーランスなので自分で仕事を選ぶことができます。自分の1日の行動を選ぶことができます。
そういった時に、「残すことができる仕事を」と少し意識をしています。
YouTubeをはじめ、コンテンツ作りをしているのはそんな気持ちからでもあります。(ジストニアになった時、驚くほど過去に演奏している録音や映像が全然なかったんです)
レッスンをたくさん引き受けているのもそういった理由です。自分が先生や周りの方や経験から学んできたことを少しでも残したい。
音楽は時間の芸術なので、コンサートで演奏した音はどんどん消えてなくなります。それでも紡ぎ出した音楽で作った空間の記憶は消えずに残ると信じています。
昨年12月に、一時期ふたりで一緒に暮らしていたおばあちゃんが死んだ。
その時、「人は与えたものしか残せない」と本当に思いました。祖母はたくさんのことを私に残してくれました。言葉や思い出はずっと私の中に残っています。
与えるなんて言ったらおこがましいかもしれないけれど、私もたくさん与えて死んでいく人生にしたいな(まだ32歳だけど)と思いました。
私は音楽を演奏で作るのが仕事なので、ひとつのコンサートという作品を多くの人の記憶に残せるよう、自分の糧として残せるよう最後まで真摯に取り組んでいきます。
コンサートを作るために協力してくださるたくさんの方々ありがとう!
お越しいただける方の記憶に残るコンサートになりますように。
「葛島涼子 クラリネットリサイタル」
6月3日(金)
開場 18時30分/ 開演 19時00分
曲目
ムチンスキー:タイムピース
サン=サーンス:クラリネットソナタ
ベリオ:セクエンツァⅨa
ボザ:ブコリック
ブラームス:クラリネット・ソナタ第2番
出演
クラリネット 葛島涼子
ピアノ 佐々木杏子
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/02stv5mhug221.html#detail