noteを書こうと思った理由。

どうも、Renです。
今日は、みなさんお待ちかねの(?)自分が
noteを書くに至った経緯を書こうと思います。

昔から文章を書くことは好きだった

文章を書くことが何となく好きだと感じたのは、
小学校低学年のころだったと思う。割と昔。
授業の一環で、「虹」というタイトルの詩を書いた。
文章も少し覚えている。

なぜ今でも覚えているかというと、
祖母や母が未だにそのことを口にするからだ。
なんと恥ずかしい。
文章まで読み上げられた日には、
まるで裸を見られるような気分になる。

卒業文集を書くのも楽しくて、
「6年間の思い出」みたいなよくある文は
自分は書かなかった(書けなかった)。

中学は、学校が発行する記事に載る文章を
書かせられることも多かった。
部活、学級、生徒会のまとめ記事的なやつ。

今までで一番自分が納得している文章も
中学の時に書いたもの。
「青少年読書感想文コンクール」
みんな一度は聞いたことある、懐かしい響き。
夏休み明けに提出したら、国語担当のA先生に
「読む題材を変えてもう一回書かないか?」
と言われたけど、時間をかけた作品だし
これがいいからと言って断った。
その作品が市の最優秀賞、
県でも入賞したのはいい思い出。

A先生、覚えていますか???(圧)

高校、大学ではそういう文章を書くことは
なくなったけど、今でも変わらず、
文章で何かを表現することは好きだ。

そして、実は前から、何らかの形で
ブログ的なものを書こうとも思っていた。

だから、「なんでそんなめんどくさいことするんだ」
なんて思わないでほしい。
本人は楽しくやってます。


思考の初期段階は「話す」より「書く」方が自分らしい


基本的に人と「話す」ことは好きだ。

ここで言う「話す」とは、
人と会って直接に会話をすること。
一人旅ででくわしたおばちゃんでも、
インターンで初めて会う人たちでも、
割とコミュニケーションは取れる方かなって、
自分では思っている。

けど、深める必要がある思考に関しては少し違う。

あることについて思考し始めたばかりの、
まだかたまりきっていないものを
「話す」のは苦手だ。会話が
その場しのぎのためのものになってしまって、
自分でも望んでいないあらぬ方向に
進みだすからだ。

「書く」時は冷静な自分でいられる。
その分時間はかかるのだけど、
自分がある程度納得できる方向に
初めの一歩を向けることができる。

いくらか思考を深めて整ってきたら
少しずつ人に「話す」ことも必要だし、
それなら自分にでもできそう。


結論、なぜ「書く」なのか。

それは、「初期段階の思考をする」ため。

と、今の段階では思っている。
ただ、この考えがいつか変わっていくかも。
そのことには寛容でありたい。


自分の思考を「公開する」こと


「書く」だけなら、
自分のメモ帳にでも書けばいいのかもしれない。
それを「公開する」ことにも意味があると思う。

ほら、家だと勉強できない人っているでしょ?
あんな感じ。まぁ自分のことなんだけど。
周りに人の目が合った方がいいタイプの人間。

あとは、人に見せるための文章って
整理されてないとわかりにくいところがある。
「公開する」と決めているとより整理が進む。
これも勉強と同じだけど、
人に教えることが一番理解度が高い状態になる。
同じ高校の人ならわかる。
数学のK先生がよく言ってたから。

理解度のピラミッド
https://yatagarasu.biz/learning-pyramid-active-learning 
を参考に作成。謎に気合が入り、
図のクオリティーが非常に高い(自分で言うな)

という感じで、「公開する」ことは
想像以上に効果があると思っている。
共感した人が出てきたら、
手助けしてくれることもあるし。

ただ、忘れてはいけないのが、
noteを書くネタのために
自分の生活を無理に捻じ曲げたりはしないこと。
そうなってしまっていると気づいたら、
書くことはやめようと思う。

noteを書こうと思った理由 まとめ

  1. 文章を書くことが好き

  2. 初期段階の思考は「書く」方が自分に合う

  3. 「公開する」ことが簡単


今日も最後まで読んでくださり
ありがとうございました!

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