人間不信になったことがない
ある人と話していて、
「それは人間不信になりそう」
と言われた。
「人間不信」か、なったことないな。別に、人に裏切られたからと言って、他の人まで不信になることは、自分はほとんどなかったと思う。
人に裏切られた時、ただその人のことが嫌いになるだけ。だから、「人間不信」という言葉は意識して使わないようにしてきた。
主語がでかいよな、と思って。
でも、そもそも「不信」ってどういうこと?
「信じない」という言葉は不思議だと思う。普通、誰かが「食べない」時、「読まない」時、「走らない」時、その人は何もしていない。その時積極的な行動、言動、思考、感情は特に何も起こってない。
でも、「信じない」と言う言葉は、それが向かう先の相手に対して軽蔑したり嫌悪感を抱いていたりする。
つまり、感情が起こっている。
「不信に思う」という言葉も、同じように不思議だ。単に不が信を打ち消しているだけじゃない。確実に、何かを「思って」いる。
仮に打ち消しているだけだとしたら、「人間不信」という言葉に対して違和感を抱くことはなかったと思う。その場合の「人間不信」とは、「一人の人に裏切られても、他の全ての人間に対して特に思うことは何もない」という(自分にとっては正しい)意味になるから。
疑ってみることが大事なこともあるけど、その時、人そのものを否定的に見ているわけじゃない。その人から出た言葉をその人の手の内から切り離して、それをものとして客観的に見ている。(なんかうまく言語化できてない気がする)
…だから何??
って思ったんですけど、特に何もないです。人間不信になることは今までもこれからもないだろうな〜ってことと、信じないっていう言葉はなんか不思議だな〜っていう話でした。
思考がぐるぐるして眠れない気がしたので、メモメモ。
それでは、おやすみなさい。