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ユキ

 小指の先を、小さく刻んで、刻んで、食べてもらうと、その人のレプリカが生まれるらしい。今日の夕飯はつくねにした。小指と鶏肉を煮込んで、丁寧に濾したスープを添えて、ラップして机に置いておく。包帯で包んだ傷口がじくじくと痛んだけれど、些末な問題だ。

 いつも通り、真夜中にあの人が帰ってきた。ドアを乱暴に閉める音と呂律の回らない怒鳴り声。ベッドの中で震えながら、あの人の影を、音で観る。ソファに跳ねるくらい勢いよく腰を下ろして、ライターを手に取り、火をつけて、ライターを机に放り投げる。ラップを片手で剥がし、つくねを食べる。温めてからと書いたのだけれど、やはり無視したらしい。あの人が帰る直前に一度温めたから大丈夫だろう。手で食べたのだろうか、ちゅ、ちゅと指を舐める音が聞こえる。スープは飲まないようだ。カシュ、と缶を開ける音がした。置く音の重さから、500mlの方だろう。テレビを付けて、バラエティから、科学番組、放送休止、通販と切り替え、再びバラエティに戻してしばらくすると、大きないびきが聞こえ始めた。

 足音を立てないように居間に戻って、お皿を確認する。手付かずのスープは冷蔵庫に入れ、タレをティッシュで拭って付け合わせのレタスと一緒にゴミ箱へ捨てる。ざっと水で流してから、シンクにそっと置いて、部屋に戻った。包帯が少し濡れてしまった。レプリカはいつ、どこで生まれるのだろう。痛みに耐えながら横になっていると、ギシギシとこちらへ足音が近付いて来た。乱暴に扉を開ける音に、寝ていませんとばかりに身体を起こす。
「おかえりなさい」
あの人は無言で私の髪を掴み、床に引き摺り落とした。私は床に跪いて、満足するように尽くす。汗と体臭の中に顔をうずめて。

 あの人が眠りについた。起こさないようにベッドから降りて、立ち上がると、あの人の体液が身体からこぼれ落ちた。素肌にズボンを穿いて、床に落ちたそれをティッシュで拭って部屋を出る。身体中が痛い。シャワーを浴びて、小指とそれ以外の傷を丁寧に手当てして、ソファに座った。テレビの音を小さくして、ぼんやりと眺めているうちに朝になった。身体の痛みは薄れていた。小指がむず痒い。包帯を取ると、私の小指の先に、ネズミの赤ちゃんのような肉の塊が蠢いていた。

 あの人に最期の朝食を置いて、目を覚ます前に家を出た。赤ちゃんがちいちいと鳴いている。昨日のうちにまとめておいたキャリーをがらがらと引きながら、朝日を眺めた。清々しい朝だった。目の開いていない赤ちゃんにも朝日を見せようと包帯を解く。薄ピンクの身体がふるふると震えるのを眺めながら、これからの住まいへ向かった。鍵を開けて中に入る。事前に家から送っておいた段ボールが数箱と、昨日買ったものが入ったままのビニール袋があった。袋から離乳食の瓶詰めを一つ取り出す。赤ちゃんに指先で与えると、小さな小さな舌でちろちろと舐めた。赤ちゃんはひと舐めするごとにむくむくと大きくなる。小指の筋力だけでは支えられず、小さなキッチンのふちに手を置くと、冷たかったのだろう、ぴぃと微かに悲鳴を上げた。

 しばらくして、赤ちゃんが小指からほろりと外れた。小指の先はなくなったが、傷口は塞がり痛みもなかった。小指から離れた赤ちゃんはおおよそ人の形になって、それも子供ではなく、小さな大人の形へとぐにゃぐにゃしながら変わっていく。1時間もしないうちに、あの人と同じ形になった。丸裸の小さなあの人はぼんやりと座って私を見つめている。頭を撫でてやると人懐っこい顔で微笑んだ。この笑顔に騙されたのだ。段ボールの中から、おもちゃの人形の服を取り出して、小さなあの人に着せた。初めは服を着る事に違和感があったようだけれど、すぐに慣れたらしい。

 私は小さなあの人に、あの人の名前から取って『ユキ』と名付けた。ユキはあの人と違って、大人しくて優しかった。
「そのけが、どうしたの?」
言葉を話せるようになったユキとの、初めての会話だった。
「ユキのお父さんがね、たくさんひどい事をしたの」
ユキに、あの人の悪行を話すたび涙が溢れた。あの人と違って、話を聞いてくれる。撫でて、労ってくれる。しかし、あの人への憎しみは消えないままだった。
「だからね、ユキはあの人の代わりに、ごめんなさいしないとなんだよ」
優しいユキを哀れみながら、私はユキにタバコを押し付けた。ユキは何度も謝りながらそれを受け入れた。爛れた肌は食事をすればすぐに治るようだった。カッターでユキを切りつけ、ゲロを吐くまでお腹を押し込んで、突き飛ばして、骨を折って、熱湯をかけた。その度に食事を摂らせて、優しく声をかける。ユキは食事を摂ると都合よく、私の暴力を無かった事にしてくれた。

 あの人が私にした事を全てやり返したかったが、大きさのせいで叶わないこともあった。私はしばらく考えてから、いつものようにユキを裸にして、四つん這いにさせた。小さな小さな穴に、緩く尖らせた鉛筆を挿れる。逃げようとするのを押さえつけ、ゆっくりと押し込んでいく。目一杯広がった穴を確認して、それから、殺すつもりで鉛筆を突き入れた。ギッ、と悲鳴を上げたけれどまだ生きていた。息をするのに必死で、ほとんど動かないのを確認してから引き抜くとぽたぽたと血が落ちた。机の上に力なく横たわるユキの口に無理やりゼリーを詰め込むとすぐに傷は塞がった。自分の身体を確かめるようにぺたぺたと触って、にこりと微笑むユキが愛しい。

 翌朝、ユキとテレビを眺めていると、男性不審死のニュースが流れた。映像には見覚えのあるマンションと、シオザワユキト、という名前が流れた。同居していた男を探しているらしい。
「こわいねぇ」
「そうだね」
つい、顔がにやけてしまう。被害者には火傷や、暴行された痕があったという。私はカーテンを開けて、清々しい朝の空気を深く吸い込んだ。

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