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連盟員紹介SP:児玉佳宏編

児玉 佳宏 (こだま よしひろ)
https://twitter.com/kodama__y

日本プロ麻雀連盟37期生
第3期鸞和戦準優勝
第13期WRCリーグ3位
第2回登龍門優勝




Mトーナメント2024が始まって少し経った頃、とあるポストが流れてきた。


限定生産であるTEAM雷電×サンファーロのコラボシューズを配布するという。

気になってアカウントを見に行くと、【チューレンポートーとうけつじけん】という通り名を持つ歴史ネタが大好きなおっさんルーキーらしい。
情報が多岐に渡っていて少々ややこしいが、彼は一体何を目指しているのだろうか。

今回はそんな、積極的にSNSを活用する児玉佳宏に話を聞いてみた。




根源は後悔


「僕はSNSが本当に苦手で、自分で発信するのが怖いんです」

児玉は過去に、SNSで炎上しかけたことがあった。
それ以来、発信するのが怖くなり、受け身になってしまったという。
しかし、その気持ちを押し殺して今回の企画を行い【スニーカー配りおじさん】と認識されることになった。

その行動の根底にあったものは「後悔」だった。

児玉佳宏のプロフィールをしっかりと見た人はどれだけいるだろうか?そこには”第3期鸞和戦準優勝、第13期JPML WRCリーグ3位”とある。1年の間に自団体のタイトル戦決勝に2回も進出しているのだ。
しかし、その麻雀を実際に観たことがある人がどれほどいるのだろうか?

彼の後悔は、そこにあった。

鸞和戦、WRCリーグはともに日本プロ麻雀連盟のG2タイトル戦である。
G2タイトルとはいえ、決勝に残るのは容易ではない。
やっとの思いで辿り着いた決勝の舞台で、児玉の耳に届いたのは「地味だ」という声だった。Aリーガーがいない決勝卓。
その予選の道中ではAリーガーを破った。九蓮宝燈もアガった。
どれだけ沢山のアガリを重ねても、知名度は上がらなかった。

「せっかく決勝まで行けたのなら、多くの人に観てもらいたい」

そんな強い思いが、児玉をSNSへと駆り立てるのだ。


おっさんルーキーの苦難


華がない中年の麻雀プロが知名度を上げる。
それがどれほど大変なことか、想像してみて欲しい。

実は筆者と児玉は境遇が似ているのでここで少しばかり私の話をさせて頂く。

2024年2月、黒木真生プロによる「麻雀プロのSNS必勝法」という講座が開かれた。
これは児玉が開催して欲しいと懇願したものだった。

私もそれに参加したので、その時のことを少しだけ話そう。
講座では参加者ひとりひとりに対して黒木プロからアドバイスが頂けるのだが、始まる前に私のSNSをチェックしてもらいながら「へぇ、WRCリーグ決勝まで行ったんや。そもそも君を知らんかった」「あ、はい。そうですよね」といった旨の会話をすることとなった。
一度タイトル戦の決勝に残ったくらいでは業界内でさえ、その程度なのだ。
それを一般の人に知って、観てもらうまでにどれだけのエネルギーが必要なのか。

多くの若手プロに対しては「もっと自撮りをあげた方がいい」とアドバイスされる中で、私に対しては主に文章の書き方をアドバイスされたことからも、華のない中年が知名度を上げるという難しさを多少は理解して頂けるだろうか。
己の武器を探してそれを磨き、戦わなければならない。
児玉もまた、それに挑戦しているのだ。

知名度が必要なもうひとつの理由


麻雀はその競技の特性上、運気が高ければ勝つことがある。
名前も知らない、麻雀を観たこともない人がタイトルを獲得したときに何を思うか。
恐らくだが、ほとんどは ”無” であるかと想像する。
業界内ですら「たまたま勝ったんだな」と思われるのが関の山だ。

・名前は知っている
・観てみたら(それなりに)いい麻雀を打つ

このステップをクリアしてようやくタイトルに価値が付加されるのではないだろうか。
そうでなければ圧倒的な実力をもってして数々のタイトルを量産する以外には難しいだろう。そのハードルのなんと高いことか。
どれだけいい麻雀を打とうが、観てもらえなければ評価の対象にすらなれないのだ。

タイトル戦の決勝まで辿り着いてから初めてそれに気付くところまで私と一緒な辺り、勝手に親近感を覚えている。

麻雀との出会い、そして


 
児玉の話に戻そう。
学生時代、児玉は雀荘でメンバー業をしていた。
そこで麻雀プロと触れることで、麻雀の熱は否応なく上がった。
仕事が終わればそこから別の雀荘に行って麻雀を打つ。
昭和生まれならではの、麻雀に没頭した学生生活を送っていた。
 
意外、と言っては失礼だろうか。メンバー業をする中でも真面目に大学に通い、卒業を控えたときには二つの道があった。一つは麻雀界へ身を投じる道。そしてもう一つは社会人として就職する道。
麻雀は大好きだった。しかし麻雀でずっと食べていけるとは思えず、後者の道を選んだ。
麻雀には狂ったが、根は真面目なのだ。
 
 


おっさんルーキー誕生


 
児玉は社会人となってからも麻雀には触れ続けていた。
頻度は減ったものの、旅打ちを趣味として、至る所の雀荘へと足を運んだ。
その過程で競技麻雀に出会った。
グッドプレイヤーズクラブ(GPC)やESリーグといったリーグ戦に参加し、数字を積み重ねていく面白さを知った。
ルールが違う。目的が違う。ほんの少しの違いだけで、麻雀はまた面白くなる。
学生の頃のように、或いはそれ以上に麻雀への熱が燃え上がった。
 
若い頃にプロにならなかった。今更、という思いもある。
そんなためらいがあったものの、周りに背中を押されて日本プロ麻雀連盟への扉を叩いた。
 
児玉は目標とする人物に、西島一彦プロを挙げる。
その優しい人柄と、しかし麻雀は力強く、かくしゃくとしている姿に憧れた。
 
「西島さんのような歳の重ね方をしたいです」
 
プロになった時期は遅かったかもしれない。
それでも今は、今後の人生をずっと麻雀と紡ぐ覚悟ができた。それは若い頃にはなかったものだ。覚悟がある人間は強いのは、恐らくは多くの人が知っていることだろう。
 
 
 

全ての道は麻雀へ通ず


 
児玉は顔が広い。面積の話では断じてない。
プロになる前から作られてきた交友関係に加えて、今もなお積極的にその輪を広げ続けている。マダミスに参加している写真が飛びこんできたと思えば、WROTLではA1リーガーの西川淳プロとチームを組んでいる。まさに神出鬼没だ。
西へ東へと企画があれば積極的に飛び込んでいくその姿勢は、チャンスの神様の前髪を必死に掴もうとしているように映る。
児玉は、知っているのだ。
人脈は力に成り得ると。
 


実際に、そのチャンスを掴んだと言えるだろう。
麻雀に対する理解が得られる会社は決して多くはない。
一般的に、平日に行われるタイトル戦は有給を使う必要がある。今でこそ働き方改革といった動きはあるが、それでも良い顔をされないケースがある。児玉の前職はそれだった。後ろめたい気持ちを持ったまま参加するタイトル戦に強いストレスを感じていたが、麻雀で得た繋がりをもとに今のサンファーロへと転職することができた。
 
もちろん人脈の力はそれだけではない。
麻雀強者に触れ、対局中の思考を聞く機会に加えて実際に対局することだってある。
貴重な体験のひとつひとつが、己の麻雀を強化するきっかけとなるのだ。
 
どこにチャンスが転がっているのかは分からない。分からないからこそ、どこにでも飛び込んでいく。その全ては、麻雀の為に。
 
 

これからの道


 
児玉が出場した放送対局をたまたま友人が観てくれていた。
それをきっかけに麻雀を観る楽しさを知ってくれた。競技麻雀をやってみたいと思ってくれた。そして勉強を重ね、プロテストを受けてくれたという。
麻雀プロとしてこんなにも嬉しく、モチベーションが上がることはそう多くはない。
 
そういった対象をこれからも増やしたいと願うが、SNSを頑張り始めてからタイトル戦で放送対局までは辿り着けていない。
 
「決勝卓は別物で全く違う世界でした。またあそこまで行きたい。何度でも行きたい」
 
熱い思いを語ってくれた児玉だったが、果たしてそこに焦りはなかった。
 
日本プロ麻雀連盟のタイトル戦である鸞和戦は、30歳から50歳までが出場できるタイトル戦である。その制限までまだあと10年もあるという。
 
「20年後、30年後に鳳凰位になっているかも知れませんよ」
 
冗談めかしてそう笑ったが、今後もずっと麻雀を打つ覚悟を決めているからこそ、焦らずにいられるのだ。
 
多くの先輩プロ達の生き方、麻雀への向き合い方を知った。ゆくゆくは自分もそう在りたいと願う。児玉が挑戦する道は果てしなく長い。
 
 
【チューレンポートーとうけつじけん】という一見ふざけた通り名の裏にあったのは、児玉佳宏の実直さだった。
持てる全てを駆使して、これからも麻雀へ向き合っていくのだろう。

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