無名の中年プロ雀士は何を望むか
noteをご覧の皆さま、こんにちは。
日本プロ麻雀連盟35期後期入会の 大枝 史(おおえだ ふみ)です。
1982年7月18日生まれ
左手の人差し指、中央の指紋が完全に円になっていてキュートです。
胸を張って誇れるモンはこんなところですかね!
十分でしょう。
37歳で入会は決して早くはありません。
今まで何をして、何を思い、何を目指すのか。
そんな中年雀士の生態なんぞをサラッとご紹介します。
毎週月曜日の常勝理論とモンド杯を楽しみに生きていた頃
今でこそ、様々な媒体で麻雀の放送対局が行われていますが、
もう10年前近く前になりますかね。
初めてモンド杯でプロの対局を観た衝撃たるや。
友人とのセットや、ゲームセンターで麻雀をする程度だった人間ですよ。
純チャン三色を聴牌してダマに構え、リーチを受けて当たり牌を掴んで打たないとか見せられて。もう意味わかんねー!何で降りれるんすげー!って。
しかも対局後のコメントで『打てない牌は打てないんで。』とか仰るんですよ。もうやべぇ。麻雀プロって超やべぇ。超忍者。
それからすっかり麻雀を観ることにハマりました。
勉強になるし!
あとその前にやってる常勝理論も楽しい。ジャグラー打ったことないけど!
みたいな30代前半を過ごしておりました。
高い手を降りれるって凄いよな、と。
身内でワキャワキャやってる身からしたらそりゃあびっくり仰天ですよ。
あ、今でも高い手は降りられません。
なんやかんやは語りません
なんとなく働いて、なんとなくテレビ観て過ごして。
ちなみに火~日は毎日野球中継をフルで観ておりました。
横浜→楽天と応援してきましたが語りだすと長くなるので別にします。
35歳の頃ですかね。
なんやかんやとしんどいことが大量にありまして。
『あぁ……無性に麻雀が打ちたい』と、ここでようやくフリーデビュー。
その後、仕事も退職してふらふらと。
というか、スロットと麻雀をひたすら打つという生活を。
ジャグラーが楽しいものだと知れたのは常勝理論のおかげでした。
後にメンバーとして勤務→プロ入りと大学生のうちにやっておけよ!みたいなムーヴで日本プロ麻雀連盟に所属致しました。
あ、大学はそもそも行ってなかったや。
影響を受けた人々
麻雀いちごみるく で勤務していたのですが。
リーグ戦の翌日に近藤久春プロの細かい思考を聞けたりとかするのは貴重な機会でしたね。
あとほぼ同番でやっていた鹿嶌文太プロ。
今まで 麻雀プロ=やべぇ人 みたいな印象だったのが、少し身近に感じられたというか。自分がなっても良いんじゃないか?って思考になりました。
その間、客→メンバー→プロと同じ動きを先にした沼山亮プロも。まぁ、年齢的なものはとりあえず除外して、ね。
あと、私の勤務中(まだアマチュア時代)に、麻雀いちごみるくでは連盟公式ルールのノーレートフリーを毎週土曜日に開催しておりました。
一発とか裏ドラとか赤とかあんまり縁がない私としましてはしっくり来るというか(元々のセットが完先の赤ナシルールが多かった)楽しいな、と。
修行ついでに、他に連盟公式ルールが打てる雀荘に行ってみよう!と。
調べて東京駅前ノーレートフリー柳さん、(今は会場が花梨さんに変わっております)ゲストがHIRO柴田プロ、ともたけ雅晴プロということで突撃してみました。
私の語彙力だと上手く表現出来ないんですが、連盟チャンネルを見始めてからはHIRO柴田プロの麻雀が凄く刺さってたんですよ。心に。簡単に言うと、すげー好き。てなわけでウキウキのワクワクで行ってきました。
当然オープンからラストまで、なんですが。
最後の一半荘ですね。時間的に他のお客さんも帰られたりして、一卓だけになりました。
東家 HIRO柴田プロ
南家 ともたけ雅晴プロ
西家 大枝史アマ
北家 皆川直毅プロ(来店されておりました)
もうね、凄いよね、この卓。今でも意味わからん。
「良いんですか?」って聞いちゃったもんね。
純チャン三色まで見てドラを切ったら裏目って河に並べた後に9手出しして結果三色もつかない安めの四で平和一盃口ドラ1を立直していたともたけさんから和了った後にHIRO柴田さんに「純チャンへの渡りを~」って解説される感じ。「ホントなら12000放銃でしたよ」と。偽物でゴメンナサイ。
この時の一半荘が、もの凄く楽しかったんですよ。
あぁ、またいつかこんな卓で打ちたい、と。
ただ麻雀と共に歩む日々を選んだだけ
そんなこんなを経て、真摯に向き合うべく日本プロ麻雀連盟に所属したわけですが、ギラギラしたものはありません。
すごーくぶっちゃけた話をすると、
卑下するわけでもなく、私なんぞより麻雀が達者な人はいくらでもいるし
年齢、ルックス共に抜きん出ている人はたくさんいます。
ただ、麻雀が好きで。
今後の人生もずっと麻雀とあるのであればリーグ戦やタイトル戦と、挑戦が出来るプロになっておいた方が良い事ずくしじゃない?
しかもプロになってからは、応援してくれる方がいるんですよ。
気にかけてくれているだけでも有難いですよね。
40過ぎたおっさんが、応援されるなんてそうあるもんじゃないですよ?
子供の頃、なんとなく『自分は何者かになるんだ』と漠然と抱いていたもの
(思春期の頃はきっとみんなそうであったと信じたい)が麻雀プロ大枝史としっかり確立されました。もう、それだけで満たされているのかも。
麻雀で飯を食べている人達から優先的に売れるような、そんな世界が良いなって思ったりもしています。
少しの応援してくれる人が居れば、私にはそれで十分なのです。
SNSを積極的に活用しないのもこの辺がありますかね。別に有名になりたいわけでもないのです。
今後の目標
Mリーグに入りたい!といった思考は1mmもありません。
そういった思考が無いことに、申し訳ない気持ちは若干あります。
麻雀を広めたいといった気持ちはありますし、
多くの人が麻雀に興味を持って競技人口が増えていって欲しい気持ちは勿論ありますよ。
ただ、足りないことが多いっていうのを自覚しているだけなんですよね。
麻雀界を盛り上げるにあたって出来ることがあるならば、勿論協力は惜しみませんけれど。実際問題、働いて飯を食っていかにゃならんわけですよ。
というわけで
・大目標 鳳凰位
・中目標 タイトル獲得
・小目標 放送対局
ですね。
実際のところ、放送対局に出て『大枝史』という名前を世の中に残すことが出来たら私の中ではそれで勝ちです。精一杯生きた証ですよね。
応援してくれる人には申し訳ないけれど、私は麻雀界におけるモブで良い。
異世界転生モノで言うと最初に行った冒険者ギルドで優しく教えてくれる万年中級クラスの中年先輩(そろそろリタイアを考えている)で半月くらいで主人公に抜かされちゃう感じの。あれで良い、いやあれが良い。
タイトル戦の決勝卓に残って、最終戦オーラス最後の親番、伏せたら優勝。
下家のライバルは若き才能、逆転優勝するには役満の直撃orツモ条件。
たっぷりの念を込めて振るサイコロ。
少しずつ取り出される配牌。
役満だけをケアして中張牌からの切り出し。
下家 地和。
みたいな役。
感想戦で「いやー、サイコロが下手くそでしたねー」って言いたい。
多分生涯一の、とびっきり笑顔出せますわ、それ。
あ、でもそのライバル役が同年代のおっさんだったらそれは許さん。
憧れるのを、やめましょう
これは、私のウィークポイントですね。
元々観ている期間が長かったのもあってか、憧れというか尊敬が凄い。
アマチュアの時は自分の思うがままに打てていた気はあるけれど、
プロになってからは『こんな打牌をして本当に良いのか』『ぬるい奴だと思われるんじゃないか』『この場を壊す一打になるんじゃないのか』とかいった思考が邪魔をするようになってきました。
タイトル戦などでは明らかに格上の人と対局する機会も多いので、その度に怖気づいていたりします。その思考に加えて緊張がピークに達するとパニックを起こします。マジで点数とか何もわからなくなる。それで更に焦る悪循環。
リスペクトが強すぎるのかも知れないけれど、やはり先輩が立直をかけてきたところに無筋を1枚切るだけで緊張しちゃうんすよホント。
いやむしろダマテンの誰かに放銃しただけで何してんだって思われるんじゃないかとか考えて地蔵になるというか。
考えすぎは良くないですね。
ただ、最近はちょっとずつその機会も増えて改善傾向にはあります。
ちなみに最近、まあじゃんmonoさんに行った際に
ポロリさんと同卓する機会がありましてね。
それがもう、過去最高に緊張しましたわ。
なんならまともに顔も見れなかったし挨拶すら出来ない体たらく。
長年観ていただけあって、すっげーファンだわってその時気づくっていう。
基本的に人見知りでシャイボーイ、いやシャイオッサンですしね。
シャウエッセンみたいな語感ですね。まあいいや。
揺るがぬおっさん
サラッと、と書きながらダラダラと書き続けてしまいました。
端的にまとめると
・プロになって良かった!挑戦楽しい!
・別に売れなくてもいい!だって楽しくて満足だもん!
・売れたい人は頑張って!応援してる!特に若い子!
・でもワイも頑張るからね!そのうち放送対局出るよ!
こんな感じですかね。
プロになることで、趣味が生き甲斐になったのかも知れません。
急に不幸があったりとか、今年が本厄なだけに既にしんどい事が多くて、生きる意味を見失いそうになったけれど。
麻雀プロとしての自分、というのが根底にあるおかげで今日も元気に?働けております。
今はまだ何もないけれど、
いつか麻雀に恩返しが出来るような人間に
なれるかな、なれたらいいな。
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