見出し画像

26年ぶり

ベイスターズが26年ぶりの日本一に輝いた。しかし、もう一週間が経つのにまだ実感が湧かない。どういうことだ。
もし自分が横浜に住んでいて、至る所で見かけるだろうDeNAに対するお祝いの数々を見たり、ノジマの記念セールに行ったりしたら現実のものとして認識できるのだろうが、私が住んでいるのは阪神の本拠地、関西である。
優勝翌日にスポーツ新聞を買いに行ったら、ベイスターズを一面にしていたのは報知だけだった。サンスポの関東版を買うために通販を利用しなければならないのが、地方ファンのしがないところだ。

それでも、我がベイスターズが26年ぶりに日本シリーズに勝ったのは事実だ。従って日本一になったんだ(*^◯^*)という実感を持つために、寄せる相手もいないが手記を書くことにする。

いまだに「CSの制度が〜」とか「3位のチームが〜」とかいうのもいるが、球団は決められて制度に則ってポストシーズンを戦い抜き、日本一強い福岡ソフトバンクホークス相手に4勝したのだ。少なくとも短期決戦においては、今年のベイスターズは強かったと言えると思う(シーズンを制するだけの自力、スタミナは来シーズン以降の明確な課題としてあるが)。

しかし26年ぶり…長かった。当時は6歳、野球のことすら知らなかった。日本一を経験するのは初めてで、だからこそ実感がいつまで経っても湧いてこないのかもしれない。
関西生まれ関西育ち、親父は当たり前のように阪神ファン。野球に興味を持つようになった頃、親戚に連れられた神宮球場で松井のホームランを見て、巨人ファンになった。ただ、巨人というよりは松井秀喜氏のファンに近かった。彼が渡米した後は熱が急速に冷めていったのを覚えている。

2003年、阪神が優勝して関西中が熱狂の渦に沸いていても、自分がそこに参加する気にはなれなかった。親父には何度も甲子園に連れていってもらい、あまつさえよくわからない伝手で金本氏と赤星氏のサインまで(ご丁寧に私の名前まで書き入れてもらっている)もらったが、ファンとなるには至らなかった。

2004年、ある選手を好きになった。横浜ベイスターズの三浦大輔。特徴的な二段モーションとビタビタのコントロール。ギョッとしてしまう髪型――かっこよかった。
試合を見るうちに、この年3割40本100打点を達成した多村仁志、スピード感あるプレーがかっこよかったショートの石井琢朗、帰ってきた大魔神も好きになった。それが、関西育ちの横浜ファン――栄光とは無縁の男が生まれるきっかけとなった。

2005年、タイガースは2年ぶりに優勝したが、ベイスターズがAクラス入りして番長がタイトルを獲得したことの方が嬉しかった。
そう思うにつけ、自分はベイスターズファンになる星のもとに生まれてきたのだなと思う、星だけに。


上京した時に買った藤田コーチの選手時代(2010-2011年次)のレプリカユニ

だが、ファンをやっていて喜びを得られたのはほんの一握りで、苦しい時期の方が格段に多かった。特に2011年など、「なぜ自分はこんなチームを応援しているのか」という気持ちにさえなっていた。
ご存知の通り、当時のベイスターズは「勝てない」を通り越して身売り騒動まで持ち上がっていた。色んな主力が球団を出ていったが、今思うと出て行かない方が不思議なくらいの惨状だった。自分がFA権を取得したらまず間違いなく行使しただろう。

すったもんだの末、ベイスターズは「横浜DeNAベイスターズ」として再出発した。
ベイスターズがなくなるかもしれないと思っていたから、横浜とベイの間に親会社の名前が入ることくらいどうでもよかった(モバゲーだったらイヤだったけど)。ユニフォームやロゴ、マスコットは色々と刷新されたが、昔のテイストも残されたのは好感を持った。何より、ベイスターズが残っただけでも万々歳だった。
ともかく、なんとか少しずつでいいから強くなってくれと願って、ホーム開幕戦を見にいった。4-0で負けた。

その後も強くなるまでは至らないが、面白い球団にはなっていった。2013年はブランコ、モーガンが加わり、多村も戻ってきて打線に急速に厚みが増した。投手陣も少しずつだが整備され、2014年にはFAで久保投手が来た。同年、彼が完封勝利を挙げる試合を見にいった時が、自分のハマスタ観戦初勝利試合となった。

2015年は前半までだったが首位に座り、2016年はロペス、筒香、宮﨑というベイ史に残るクリーンナップが機能して、初めてのCSに出場した。長かったが、ようやくファンをやっていて報われた気がした。
この年、番長が引退した。引退試合、PCの前でボロボロに泣いた。ベイスターズは確かに変わった。ただ、一つの時代も確実に終わった。

少しずつだが強くなり、Aクラスは最低限というチームにさえなった。そうなれば当然、遠ざかっている優勝が見たくなる。だが、20年来の悲願はハマスタで17連勝しようがサイ・ヤング賞投手が加入しようが手に入らなかった。「この一戦をとらなけば」という試合で負け、何度肩を落としたことか。

今年も優勝はできなかった。むしろ、よくAクラスに入ったなという印象だ。正直諦めかけていた。怪我人は多いし、阪神戦ではエースを欠くことにもなってしまった。「もう十分だ、来季優勝を目指すためにも皆休んでくれ」と、ずいぶん失礼なことを思った。

それが、どうしたことか。あんなに脆かった、粗かったチームが堅く、極めて高い集中力を維持して接戦を勝ち切った。CSファイナル第6戦、9回表2アウト3塁。キャプテンが放った決勝打は野球を見ていて久々に震えた。

そうしてたどり着いた7年ぶりの日本シリーズ。相手は今季92勝、貯金42を蓄えた絶対王者のホークス。大方の予想はソフトバンク有利、誰が見てもそうだ。いくらベイスターズファンでも、「うるせえこっちの方が強いぞ」とは思えなかった。

第1戦、第2戦を落として思ったことは、「とにかく福岡で1つ勝ってくれ、あわよくば2勝してハマスタに帰ってきてくれ」だった。敵地で1個勝てば、少なくとも7年前よりは一歩前進できるから。
第3戦。手負のエースが雑音などものともしない力投、打線もそれに応えて防御率1点台のスチュワートJrから点をブチンともぎとり、福岡で勝った。歓喜した。
翌日もケイが宝石のような快投をして、ハマスタ帰還が決定。また歓喜した。
こうなると欲が出て「王手をかけろ」と願わずにいられない。すると、本当に王手を決めた。歓喜を通り越して怖くなってきた。

第6戦。帰ってきた筒香が開幕戦で封じ込められた有原からホームランを打った。彼らしい、美しい弾道だった。戻ってきてくれただけでも嬉しかったのに、こんな光景を見ていいのかとさえ思った。

日本一になり、何が嬉しいかって、まず三浦監督の胴上げが見れたことだ。あのチーム状況の中で、ファンの想いに応えて横浜に残った人がようやく報われた。それが嬉しくてならない。
嬉しそうな監督の顔を見て、もらい泣きした。



琢朗コーチの言葉が胸に刺さる。練習は嘘をつかない。野球の神様は見ている。今季、出番が決して多くなかった戸柱が、試合に出られない時もやるべきことをしっかりやってきた。努力している人に微笑み、MVPに繋がった。こうありたいと思った。

客観的に見ても、今のベイスターズは魅力のある球団だなと思う。昔は弱い以前に、陰気な雰囲気が漂っていた。球界屈指の陽キャチームとなった今、そんな時代があったのかとさえ感じる。

学生の頃は「横浜ファンです」というのがなんとなく憚られた。今では胸を張って「DeNAが好きです」ということができる。たとえ心斎橋の真ん中ででも胸を張って私は言おう。

最後に。
監督をはじめ皆が「次はリーグ優勝」をことあるごとに発言していたのが良かった。今回の日本一も格別だが、来年こそはリーグチャンピオンの座を取ってから、日本シリーズを戦ってほしい。
昔は優勝なんて絵空事だと考えていた。今はできると信じている。

その暁には仕事を休んで(あるいはサボって)横浜に乗り込むと決めた。今回、現地にいるファンや横浜市民が羨ましくて仕方がなかった。優勝の瞬間を五感すべてで味わって、翌日は横浜をニヤニヤしながらあてどもなく彷徨い、帰りの新幹線で買った朝刊を眺めながらビールを飲みつつ帰るのだ。

おめでとう、そしてありがとうベイスターズ。
このチームのファンで良かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?