【何がしたい?】どうやって働こう?を再度熟考してみる【何がイヤ?】
もう何年も、自分がどうなりたいのか、どうしてこんなにつらいのか、何が嫌なのか、何なら我慢できるか…そんなことをずっと自問自答している。働き方、出口のないスパイラルにはまってしまってる。
今日はひたすら、自分の頭の中の整理のために言葉を紡いでいきたい。
以前も書いたかもしれないけれど、私にとって仕事はとても大切みたいで。もしかすると体裁を気にする周囲から感じ取った何かが私にそうさせているのかもしれないとも思うけど。
そもそも働きたいのか?
働く・働かないの選択を金銭面やしがらみなんかを考えずに出来るとして、私は働くだろうかと自問自答してみる。
答えはYES。何かしら誰かの役に立ちたいとは思うし、やりがいをもって働けるならきっと楽しめると思うから。
今の仕事(業務上)でストレスに感じていたこと
次に、金銭的にも環境的にも人間関係的にも恵まれているとして、どんな仕事がしたいのかと問われると、誰かの気持ちに寄り添える仕事がしたいと今は感じる。いや・・・今の仕事するようになってからはずっとそうかもしれない。現職において、どこか事務的で相手に寄り添えないのがかなりのストレスだった。
働きだしたときはどうだったか
それ以前はどうだっただろうと思いを馳せると、働くとか社会に出るとかそんなこと全く何も意識していなくて、仕事しながら「働くってこういう感じなんだ~!へ~!!」くらいのものだった。就職活動もしたことなかったけど、働けていたのは今考えると奇跡的だ。何も考えていなかったのが良かったのかもしれない。
今の仕事を決めた時、多分私は親の干渉から逃れたい一心だったようにも思う。もう親の支配下で干渉されるのは嫌だと思って、自立したらそれが減るだろうとも思っていた。確かに減ったけど、干渉は続いて。何なら結婚してからも週1で帰ってこいと言われていたのが苦痛だった。
今の仕事、親から離れたくて就いたのかもしれないな。
ただただ、金銭的に独立して干渉されないことと認めてもらうためだったのかもしれないな。そもそも働くなんてちゃんと考えもしなかったわけだし。
イヤだったことと現職の組織が評価する人材
多分私は、いやな仕事でもやれと言われれば出来るだけの努力は出来る。現実なんだかんだ頑張ってきているわけだし。ただ、それが長年にわたってくるとやっぱりストレス過多で苦しくなってしまうらしいということは、これまでの惨憺たる結果からわかってきたところだ。
じゃあ、私は何が嫌だったんだろう・・・?
仕事の内容は担当を変わってもまぁ、楽しみを見つけられたし、やりがいもないわけではなかった。マジムリ。と思っていた内容の業務も1年もすれば、ああしてみよう、こうしてみようと考えだして、それが楽しくなっていくきっかけにもなってくれた。
でも。
そうやって楽しくなってくると、上司とぶつかる。それを繰り返してきたかもしれない。自分の中に確固たる信念をもって仕事に臨んで。これまでのやり方だと先々弊害が諸々出てくると思えば、それを回避したくて別の方法を選択する。それはまぁ、いいこと。でも、伝え方や周りを巻き込んでやっていく能力というものがどうやら私にはあまり備わっていないらしい。
素直に率直にこれまでのやり方じゃダメだからといえば、それは角が立ってしまうし(今思えば)、正論をまっすぐ相手に突き付けることできっと生意気に映ってしまったことだってあるんだろう。どんなに考え方は正しくても、結果組織が大きければ大きいほど、巻き込む人間も多いわけで、そうなってくると仕事のやり方云々よりも、いかに人に受け入れられ、一緒に動いてもらえるかが重要なポイントとなる。
つまり。自分個人の能力よりも周囲とどううまくやっていけるかが重要視される組織に私はいた。それは私が思うに「協調性の高いリーダー的資質」であり、台風の目のような存在になれる人間を高く評価する組織なんだと思う。それに気付けなかったから、そういった能力を磨けなくてなんだか疎外感を覚えてしまった部分も大いにあるのかもしれない。
経験から見えてくる自分の資質
多分。そういう資質はあまり多くないな、わたし。
どちらかというと縁の下の力持ちで、サポートする側。
そして、そのサポート方法は自分に裁量権が欲しい。
やるなら、とりあえず思ったようにやってみたい性質だし、そこで自分なりの試行錯誤が出来ないと納得できない、前に進めないそういう部分も持っている。所謂、頑固でマイペースなんだろうな・・・。
冷静に分析すると、なんかイヤだな・・・。
自分が思い描く理想とは程遠い自分像を自分で自分に突き付けるわけだから。結構イタイ・・・。
理想と現実のギャップ
きっと私の理想は、みんなのリーダー的存在で華があって、バリバリ熱血で仕事するキャリアウーマンのような存在。若くして出世して、出世頭で誰もが一目置くような、そんな人に憧れているし。
でも、私はそうじゃなかったな・・・。もっと地味で、常にリーダーの補佐役で、いつも仕事投げられて、私のやった仕事をもって、さも自分がやったかのように華々しくみんなを先導するリーダーが妬ましくて仕方なかった。
まぁ、リーダーが良い人の時は、この人のもとで頑張ろうと思わせてもらったこともあったけど。(大概は、手柄だけ持っていって、私を鼻で笑いながら潰していくような人ばっかりだったし・・・。)
組織の中での私の心地よい働き方と適職
多分、尊敬できるリーダーを自分で選べて、その人の下で働けるなら私は幸せだと思う。だがしかし。人事というものがある限り、自分の要求が叶えられるかどうかはくじ引きみたいなもので、何の保証もない。
誰かにつくなら、私はその誰かを自分で選べないとダメだ。
大学4年の時、私はとある院生(博士課程)の下で一緒にやらせてもらってことがあったんだけど、その時は自分の能力をいかんなく発揮して、それはそれは重宝してもらえたし、自分もその人の行動パターンややり方を数か月で覚えて、かゆいところに手が届くを実践できていたように思うし、いまだにその先輩にはお前以上の人材は自分にとっていなかったと言ってくれている。・・・ということは、人が選べれば私は秘書向きかも?
私を取り巻く現実の環境と叶いそうな働き方
ただ、私の住んでいるところは随分と田舎で。地元にある大きな企業なんて、自分が今いる企業を含めて数えるくらいしかないし、そもそも人事はどこにでもあるわけだから、くじ引きなのは変わりない。
それを考えると、どこにいったとしても苦しいことには変わりないのかもしれないと思う。
どうやら私が嫌なことは「自分が尊敬できない上司の下で働くこと」みたいだし。困ったやつだなぁ・・・ため息が出るよ・・・。
こうなってくると。私が大きな組織の中で働くとすれば、ちょっと外側にいるいわゆる正社員じゃない方が良いのかもしれない。社員さんは大変だねって言っていられるくらいの外側にいた方がよさそうだ。
一応上司ではあるけれど、自分はその組織には属していないという・・・。
ってなると。パートだったり派遣だったりのほうが気楽かもしれないな。
もう一つの選択肢は、組織で働かないということ。
組織で働く限り、上司が~とか先輩が~とかいうことはこれまでと同じように何かしらあるだろうから。
それならばと思い切って、一人で働く。
自営業だったり、フリーランスという働き方。
ん~~~。
出来れば半々がいいから、派遣かパートしながら自分のしたいことで週末起業的な働き方が一番いいのかもしれない。
どうして急にこんな記事を書いたのか
実はここ2,3日この働き方問題で、自分の心がざわついていたので、ちゃんともう一度確認したかったんだよね・・・。
誰かに言われたから、自分で仕事しようって思ったんじゃないかって。
転職しようって思ったんじゃないかって。
ステップアップできるのが一番いいんだけど、逃げるのも残るのも別にいいと思うんだ。自分でちゃんとそれを選択できたって実感が持てれば。
私にとって大切なのは、何を選ぶにせよ「自分で選んだ、自分で選べた」という実感が持てること。多分その実感があれば、色々あってもちゃんと進んでいける気がするから。責任転嫁せずに「私が選んだことだからね」って腹を据えて向き合えると思うから。
最終結論と自己満足
してみたいことはたくさんあるから、あとはパートとか派遣とか週3~4で働ける仕事に出会えたらいいな~ってところだな。
自分のやりたいことは、はじめは細々と、でもちゃんと続けていければそれでいい。
今の現状で選べるのはそんなところ。ただし、収入と福利厚生の質はぐんと下がるのを覚悟しておかなきゃだな・・・。
よし。大丈夫。ちゃんと確認できたよ。
それでもまたモヤモヤしたり違和感を覚えたら、また確認したらいい。
そんな風に自分の人生を選択していけばそれでいいんだ。
今日はどんよりくもり。
でも、ちょっとだけ心の中のモヤモヤは晴れたかな。