「お金のために働く」から「豊かな暮らしのために働く」へシフトする
ここ何年も「働き方」が自分の中で大きな課題みたいに、色んなことを考えていたけれど、これまではお金を稼ぐために必死で働いているというか、お金を稼がないと生活できない!だから仕事を辞められない!という働き方だった。
でも、実際に「働けない」という状況を経験して「どうして働かなければならないのか」というこを考えるようになった。
そして自分が出した今の答えが「自分が豊かに暮らすために働く」ということなんだと思っている。
これまでね?暮らしとか豊かさとか考えたことなくて。
お金が入ってきた!!わーい!!消費!!!
っていうタイプだったんですよね。
なんていうか、お金のこと知らな過ぎて「一度たんまり使ってみたかった」みたいな欲求があったのかもしれない。
実はお金はあったのに。
お金に困っていない生活だったんだよなぁって今になって思う。
親が出してくれていたからね。
働く前はそれは私にとって当たり前すぎて何も考えられていなかったということ。
そしてそういう状況にできるだけのお金があったという事実に全く気が付いていなかったこと。
罰当たりすぎる・・・。
もしかすると「働けなくなった」という状況は、ここらでひとつ経験しとかないとまずいねって、神様が私に与えた試練だったのかもなぁと思う。
ちゃんと自分がどういう人生を歩いていきたいのか考えないとダメだよって。
お金ってきちんと考えていかないといけないことだけど。
考えすぎて執着してもまずい生き物だよなぁって最近は思っていて。
執着すると手放したくなくなって、それに固執して、嫌われるっていう人間関係にも通じるパターン。まずいよね。嫌だよね。
だから、執着するんじゃなくて「どうやって自分の人生に組み込んでいくか」っていうことを主軸に考えようってシフトしていったのかなぁと思う。
お金はあって当然だと思っていた頃は、なぜか当然あるものとして存在してくれたわけで。そういう意味では「当然あるものだ」っていう心積もりでいたほうがお金は逃げないのではないかなぁと思い始めている。
大金持ちになろうと思えばきっと「稼ぐこと」を考えなければいけないと思うけど、生きていくことが出来ればいいのであればそこまで「稼ぐこと」を考えなくてもいいかなというスタイルに落ち着いていけるのではないかなと思っています。
それなら、どうやってお金を人生に組み込むのかということなんだけど。
自分が思う豊かな暮らしのために存在していてほしいというのが自分の答えです。
今私の人生における最大の目的は「心豊かに暮らすこと」なんだなぁと毎日感じているんですよね。
自宅で毎日心地よく過ごせるってすごく贅沢じゃないですか?
そしてその心地よさを誰かにも感じてもらって、それを広げていくことできればそれは私にとって心豊かに暮らせているということになるのではないかなぁと感じています。
この考え方に至ったのは「自分を満たすことが他人を満たすことに繋がる」という考え方に出会ったからです。自分が満たされて初めて本当の利他の心が芽生えてくるっていう・・・。
自分の心身の豊かさを満たせれば、自然と他へと流れていく感覚を味わえるなぁって何となく思うのです。
それが出来たときに初めて、つらい経験が自分の糧となり自分や誰かのために働いてくれるようになる。そういう酸いも甘いも含んだ優しい流れを支えてくれるものの一つとして「お金」があるんじゃないかなぁって。
大きな流れの中にいれば、きっとお金を寄せては返しといったように、入っては出ていくという自然な流れで循環するのではないかと。
なので、お金の心配をして、お金のために働くというのはもう卒業していったほうがいいなと自分に意識させています。
自分を満たしてそれが他人を満たすものとなってくれる流れに身を任せて、あれこれ試行錯誤しながら心豊かな暮らしをしていくために、働いていこうと思います。
この文章書きながら自分でとても穏やかな時間がやってきたなぁとあたたかい気持ちになりました。
やっと落ち着いたというか・・・。
やっぱりお金の不安ってすごく大きいですもんね。
そしてそれが挑戦を阻んでしまう現実もあり。
私の辿る道は「正解」ではないかもしれないけれど、今自分が「心地よいな」という方向ではあります。今後は正解ではなく「心地よい道」を選んでいこうという自分なりの方向転換です。
一緒に方向転換しませんか?