何が自分にとって楽しいことなのか、考察してみる
私はぼ~っとしてると「書きたい」という衝動がおこってくることがよくあります。そして時々「作りたい」衝動にも駆られたり「走りたい」衝動にも駆られ、また時々「種を蒔きたい」衝動にも駆られます。
私は多分「したいこと」がたくさんあって。
たくさんありすぎるがゆえに「できなくなること」もたくさんあります。
飽き性なのが悪さしているのか・・・でもこれまでやりたいことは、大抵やってしまっている気がします。
不思議なのが、やりたいことの大半には「一人で」飛び込むことが多いです。思いついてすぐ行動というタイプではなく、思いついてやろうと思って「やりたい気持ち」をずっと抱えて、ある日それが爆発して突然行動に移すようなイメージです。
どうやら周りにはそれが「突飛な行動」として映るようで・・・。
付き合いの長い知り合いの中には、私のことを「突然ものすごい行動力を発揮する人」みたいな認識をしている人もいます。
不思議の続きですが、一人で突然飛び込んでやり始めたことは、ずっとやりたい気持ちを抱えてそれを行動に移したものなので、とても長く続けることが多いです。頻度は下がっていくことはあっても、継続が途切れることはないイメージです。一番そのイメージが強いのが陶芸です。
私の母が焼き物が好きだったことが影響しているのだと思うのですが、多分、小学校くらいから窯元へ行って焼き物をみることがとても多かったのです。その頃は多分あまり何も感じていなかったと思います。
ただ焼き物を見て、お皿がいっぱい置いてあるとか、かわいいとか重たいとか、ざらざらしてるとかつるつるしてるとか・・・。
視覚や触覚を刺激されるような場所というイメージでした。
特に、作ってみたいと思うことはなかったんです。
でも、大人になって料理をするようになってから、焼き物、主に食器やカップに興味が出てくるようになりました。
このお皿も焼いてるんだよな~とか、こんな色の食器が欲しいな~とか。
そして、凝った料理を作るようになったとき、こんなに頑張った料理はのせるお皿も選びたいな~となり、そのお皿も自分で作ってみたいな~ってなったのがきっかけです。
そこからはお皿その物をじっくりと見るようになった気がします。
そしてある日、かわいいレース柄のお皿に出会いました。
衝撃だった。
当時、レースとかリボンとかかわいい服や小物が大好きで。
そんな自分の好きがちりばめられたお皿が目の前に現れて。
その時は購入できなかったけれど、その陶房で教室をやっているのを知り、そこから熟考すること1年、翌年に教室へ通うようになったのです。
私が作るのは、もちろん食器類。お皿とカップがほとんどで。
そのデザインや構想は洋服からくるものばかりだったと思います。
出会った作品のとおり、先生とはデザイン感がとても似ていたので、作る前の「こんなの作りたい!」談義がとても楽しかったのを覚えています。
全くの初心者でしたが、先生は自由に作らせてくれたので作りたいものを作りながら陶芸の技法を覚えることが出来たのも私には合っていました。
家にあったレースを持っていって作品の柄にしたり、好きなデザインを真似てイッチンで模様を描いてみたり。とても楽しい時間だったなぁと今でも懐かしく思います。
私の好きなもの。それは器と服と料理です。
服はまだちゃんと作れないけれど、簡単なウエストゴムのスカートなんかは作ったりしています。服つながりで、バックや財布などの小物は布や革でよく作ります。
私の好きなこと。それは作ることです。
気が付くと「あれを作ってみたい、これを作ってみたい」と頭の中で妄想していることが多いです。木を使って作ることも大好き。何より、自分の好きなように好きなものが作れるのが楽しいし、自分の作れる技術が低くても、好きなものをいかにその時の技術で頭の中の好きなものに近付けるかという試行錯誤も大好きです。
ただ一つ困ったことは、自分の頭の中にある「作りたいもの」を表現するための「絵を描く力」は、思った以上に能力が足りていません。
そしてめちゃくちゃ下手くそだけど、絵をかくのはとても好きです。
そして描いた絵は「これは何を表現しているの?」と言われます・・・。
困ったものです。絵力ほしいです。
今日のまとめは、私は自分がデザインしたものを形にすること。
が好きなのかもしれないということ。
そういうことは続けていきたいということ。
それをやっていくために、これからどうしようか考えてみようということ。
きっと楽しいよね。