次はあなた=夫の番
ここ数年、私もそうだったけれど、夫もとても疲れているように感じていた。ただ、私の方がどうにも身動きが取れない状態のまま2年近くが経とうとしていて、彼はなかなか思うようにやすめていないかもしれないと思っている。
今年は私にとって変革の年になることは、なんとなく予感していた。ただ、どんな形になるのかはわからなかった。でも、その予想の中に自分以外の誰かは含まれていなかった。彼は含めるべきだったかもしれないと今更思う。
今は少し彼のために変わろうと思い始めている。
彼のために支える一年であっても良いのではと思い始めている。
彼は絶対にそうはいわないけれど、私のミラーニューロンが最近敏感に反応しているように思う。私が現職を離れることへの不安や、始めようとしていることへの不安。私自身が不安で飛び込めないのかと思っていたけれど、彼の不安でもあったとは少し驚きで。でも、考えてみれば別段驚くべきことでもない気がする。彼だって変化は不安に感じるだろう。しかも金銭的な不安なのだから・・・。
私は2年間も何もできないまま彼に支えてもらっている。でも、そろそろ自力で立ち上がれるところに来ているかもしれないとも思う。
問題はどちらの方向を向いて立ち上がるのかということ。
自分の自由を求めて立ち上がるのか、彼の支えとして立ち上がるのか、その両方を見据えたうえでまた別の方向を向いて立ち上がるのか。
今の私なら、彼の支えとして立ち上がったとしても自分を犠牲にすることなく頑張れる気がしている。彼にとって問題なのは「私が苦しい思いをしてしまわないか」ということなんだろうと思う。そこは大丈夫だと思う。
ただ。私が不安に思うのは、疲れをいやす彼の時間が長引くと、彼が怠けているように見えて、私自身が八つ当たりをしてしまわないだろうかということ。私ならそこは在りそうだ。
私はまだまだ自分で精一杯なところがあるから、たとえ彼であったとしても他人のことまで背負うということはなかなかのプレッシャーなのだ・・・。情けないけどそう。そして彼は私の表情一つで私の心を悟ってしまう。まぁ、私が顔に出やすいっていうことでもある。そうすると、彼はきっと私が苦しそうだと思うんだろうな・・・。たまに八つ当たりさせてくれたら大丈夫だよって伝えたらいいかな・・・。
いずれにせよ、彼が本当につらくなってしまう前に、少し色々なものから解放されてほしいなって思う。そして、彼が自分を癒す時間を支えられる私でいたい。健やかなるときも病めるときもってやつだ。どうせなら、健やかなるときも病めるときも、少し疲れた時もって感じで生きていたい。
今年の私たち夫婦の目標は「気楽に生きよう」「真面目過ぎる、堅すぎるから卒業しよう」っていう感じなので2人で気楽に生きていけるように、お互いの堅いくらいの真面目さをちょっとどうにか柔らかくしたほうがいいんです。そういう意味で私は、支えるんだからこんな風に頑張らないと!じゃなくて、支えたいからとりあえず流れに乗って違う人に甘えてみるか~っていうそんな感じもいいかなぁって。
これまでは、甘える=助けてもらう=迷惑かけるって感じだったけど。友達から、甘えてもらう=助けさせてもらう=嬉しいなんだと言われた。
そんな風に私のことを大事に思ってくれてるんだなって、甘えてみようかなって生まれて初めて素直に受け止められた。だからこの波はいい波のような気がしていて、それならその延長上にある自分の人生を見てみるのもいいかなと思った。人に頼るのも甘えるのも練習。いい塩梅に頼る練習だって私には必要だ。甘えるのが怖かったことの一つに「一度甘えてしまうと、際限なく甘えてしまいそうだ」ということも存在していたから。
私ならやりかねない。そう思う。
だから、自分の中でここまでならOKにしようよっていう基準をもてたらいいなぁとおもう。
今年は私に優しさを贈ってくれる人達のそれを受け取る練習をして、それをお返しする練習も一緒にできたらいい・・・。
だから安心してあなたの番を楽しんでほしい。
一人で抱え込んでしまわない様に、頑張るから。