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幸せは自分がそう感じること。

メンタルダウンを経験すると。たぶん誰しもがネガティブな感情や生きづらさを痛感すると思うんだけど。
そこから這いあがって、自分の中のネガティブさとも折り合いをつけられるようになってきた頃。

「このままではこれまでと同じように生きづらいままだ」
とか。
「どうすれば生きやすくなるだろう」
とか。
「私はどうしたら心穏やかに生きていけるだろうか」
とか。

色々、ほんと色々考えるんじゃないかなぁって・・・。
実際私は、働けなくなって、休まざるを得なくなって、どうしていいかわからなくて、あれこれ試したりしてみて。
なんとか社会復帰はできたものの、それまでとは同じように生きていけず、出来ないことも増えて、それはそれは苦しくてたまらなかった。

今も状況はたぶんそんなに変わっていないのだけれど・・・。
自分の中の認識はずいぶん変わってきたなぁと思う。
そして、それで生きていきやすくなってきてるとも思っている。

まだ一人で特定の場所以外買い物に行くことはできないし。
公共交通機関も利用できる気がしない。これは田舎なので車社会だったことが功を奏している。
体も無理はできないし、会社の全体会議や大勢が集まる研修は行ってみて最後まで座っていられる確率はいまのところ2/3くらいかな。おかげで何度か、途中で倒れる前に棄権しました。

でも、いま私はなぜか以前(完全に働けなくなる前)より幸せを感じることが増えている不思議。
少し前までは、主治医やカウンセラーの先生に「完全に元通りは無理だからね」と言われて、ショックでショックで。こんな状態になってしまった原因になり得たもの全てに、恨みつらみで・・・。また病むな、コレ。って確信していた。

今は、多分「元に戻れない自分」を受け入れられたから、その中で何とかやってみる・・・つまり「病気と共生する」ことを受け入れられたから、ようやくそれをベースに自分の人生を考えられるようになり、その中で幸せを探そうと思えるようになったことが一番大きいのかもしれない。

ここまできてようやく思えることは、幸せって自分が幸せを認識することができるかどうかにかかっている気がする。
幸せって人がうらやむようなことでもなんでもなくて、自分がそう思うことなんだなぁとしみじみ思ったりもする。
ネガティブな感情に包まれた状態ではもちろんそう思えない。たぶん仕事に行けてなかった頃くらいから少しずつ自分の考え方というか自分自身に対する自分の捉え方が変わってきたからこそ、幸せを感じる能力ができてきたのかなぁと思う。

俳優さんやタレントさんみたいに、スタイルよくてきれいな顔立ちでなくてもいいし、大金持ちでなくてもいい。
私にとっても幸せってそれまではそういう表面的なことだったのかもしれないなぁと振り返ってみて思う。
私が考えていた幸せ=人に羨ましがられること だったんだと思う。

でも違った。
今私が幸せだと思うことは、私と夫が一緒にご飯を食べられて、一緒に食べる食事を作る時間を好きなだけ取ることができて、これは私の健康に良いなとか夫の体調も少し良くなるかなとか考えて作ることができることだったり。
運動不足だから一緒に散歩する計画を立てることだったり。
出費が多くてお金が足りないときに、どうやって節約するかを考えることだったり。
夫が家で仕事をするようになったから、働きやすく、それでいて過ごしやすく、くつろげる空間も設けることを考えたり。
そんな風に自分の暮らしのことを考えて、良いと思ったことを実行してみることや、自分や家族、大切な人のためになるなぁと思ったことをやれることだった。

意外だったのが、自分のためのことだけでなく、自分以外の大切な人のことを考えることのほうが幸せをたくさん感じられるのだなぁということも、最近だんだんと感じることが増えている。

私は「暮らすこと」を考えることと「不調を自分で軽減できること」を考えること。そして「生きていきやすく整えること」を考えることが好きみたいで、それらを考えてやってみるときに幸せを感じやすい。

だから、いま言った好きなことを誰かの役に立てる仕事としてやってみたいと思っていたりする。
それをかなえるために、具体的に自分ができること、その中でも得意なこと、私にしかできないことを色々考えていきたいなぁと思っているところ。

幸せはどこにも転がってなんかいない。
ただ、自分が感じるだけなんだなぁと思う。
自分の中で帰結する感覚…

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