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痔除伝 第十章 eve

5月に入り、医師、上司などと相談をした結果、7月半ばの入院と、その翌日の手術を決めた。

入院日を決める診察の日のこと。通院時は時期が時期だけに、マスクの着用と来院時の手指消毒が義務付けられているのだが、院内で突然マスクを外した老人男性がおり、すかさずスタッフが駆け寄ってマスクの着用を願い出た。

すると老人は、

「息苦しいんだよ!オレを殺す気か!」

と、怒鳴りつけ、騒ぎ始めた。

どうやら、この老人は数十分でもマスクを付けていると死ぬ奇病にかかっているようだ。窘められる様に病院を追い出されていたが、驚くことに、病院を出るまでに同様の騒ぎを起こした老人がもう1人いた。

この時期、こんなにもわがままで、感情と行動のコントロールが出来ない人間がいるのかと呆れてしまった。

この日会ったのはたまたま老人だったが、もちろん全ての老人がそうと言うわけではない。大人しくマスクをつけて他人と距離をとっている老人もいたし、マスクをつけずに飲食店で騒いでいる若者も見る。コロナ騒動は、当分終わらないな、と思った。


入院日を決めた後の自粛期間中のことは、正直ほとんど覚えていない。まだまだ入院は先だなぁ、と思って、ただただ生きていた。

テレビも再放送、再編集のものばかりで面白く無いし、自分の人生においてこれほどまでに他人と接触しなかったことがない。なんの情報更新もなければ、新しいことを始めることもなく、そういう状況下になると、人間の脳はエピソードとして残す価値なし、と判断して、記憶を消去していくのかもしれない。

仕事に関しては、社会が徐々に動き出したことで、忙しくなり始めてきた。今までとは全く違う環境の中で、見てこなかったことが見られるようになるなど、不満とストレスがたまり始めるが、それを解消する方法もない。また、酒の量が増えた。

業務後、即酒を飲む。翌日、業務後に即酒を飲む。PCの電源を落とした後にプルタブをプシュ!これはこれで天国。

休みの日には、本を読みながら飲む。酔っ払っていない時間は、基本寝ている。もしかしたら、自粛期間中の記憶がないのは、酒のせいだったのかもしれない。


飲んで、酔って、気がつけば7月になっていた。入院の1週間ほど前にPCR検査を受けることになっていたので、病院に向かう。

検査が終わり、説明を受ける。1日か2日で結果が出るが、連絡がなければ問題なしと思ってそのまま来院すれば良い、と教えてくれた。

連絡があったらどうすればいいのか聞いたところ、その後保健所などから連絡があり、今後のことを指示されるので、それまでせいぜい震えて眠れ、とのことだった。

無事、病院から連絡が来ることもなく、入院当日を迎えた。


家を出る前に、そういえば、あのメイド喫茶で撮ったポラロイドがあったな、と思い出し、写真立て近くに飾ってあるその写真を目にする。

2012/3/2と、ポスカで書いてあった。自分が若い。人生において、最初でおそらく最後のメイド喫茶。

あれから、8年半も経ってるのか。それも、まぁ、明日の手術で終わる。明日で全てが終わるさ。明日で全てが変わる。明日で全てがむくわれる。明日で全てがはじまるさ。泉谷しげるも祝福してくれている。か、どうかは知らん。


病院に着き、事務局で手続きを済ませ、病室に案内される。6床のベッドが全て埋まっている。どうか全員静かな人たちであれ!と、心から願った。

指示されるまま院内着に着替え、手術と入院生活についての説明を受ける。少なくとも私と同部屋の2人、計3人が、同じ日、同じ手術を受けるらしい。

1人は、斜め向かいのベッドの患者で、20代半ばから後半といった見た目の、男性。理系で大人しそうな大学生がそのまま大人になった感じの印象だ。なんとなく、外では大人しそうだけど、母親には無愛想な態度を取りそうなやつだな、と思った。こんなに若い人でも痔瘻になる人はなるようだ。

もう1人は、隣のベッドの患者で、放送作家の鈴木おさむを20歳老けさせて、20キロ増やしたようなおじさん。とても愛想の良い人で、看護師の説明に細かく相槌を打っている。

もう、100%いびきがうるさい見た目をしている。夜になる前にわかる。耳栓を買ってくればよかった。私ともう1人の青年にも愛想よく笑顔を向けてくるが、「良い人認定」をしてしまうと、いびきがうるさかったときにあまり悪く思えなくなりそうだから、少し素っ気ない対応をしてしまう、大人になりきれない私である。

この後の大まかな流れについてオリエンテーションを受ける。

院内の見学後に各自看護師さんから肛門周辺の剃毛をされること。

19時頃、座薬を入れ、必ず15分から20分ほど我慢してから排便すること。

22時消灯となり、その後お茶、水以外のものは摂取しないこと。

また、『アルジネードウォーター』という、傷の治りを助ける飲み物を夕方から手術当日の朝までに2本飲むよう指示された。

なにそれ!傷の治りを助けるって、まさにゲームの回復薬とか、回復の呪文みたい!そんな飲み物なんか、実際に存在するのか!そんなの、もっと有名になっていいのに!

資料に目を通し、アルジネードウォーターについて妄想が膨らませていると、病棟の案内が始まった。

浴室、洗面台の場所と、使用方法の説明。浴室はかなり広い。常に浴槽にお湯が張られている。窓がないため、換気扇はフル稼働しているもののかなり湿度がある。

洗面台は病室にも一つあるが、浴室、トイレの近くにも4つついている。トイレは個室2つに小便器が3つ。万が一の際に備えて、呼び出しボタンがついている。

続いて、入院中の集団診察を受けるフロアの案内や、売店などの説明を受けた。


オリエンテーションを終えて、病室に戻る。荷物の整理をしていると、私のベッドに若くて綺麗な看護師さんがやってきた。ベッド周りの説明を済ませ、体温と血圧を測る。

そして、「それでは剃毛を始めるのでお尻を出してこっちに向けて下さい」という。

覚悟はしていた。けど、なんだかとても恥ずかしい。「診察や治療」の為にアヌスを見せるのと、「剃毛」の為にアヌスを見せることに、違いはないのでは、と思う方も居るかもしれない。

これは、明確に違うのである。具体的にどう違うのかと言われると、なかなか説明がつかないが、心が違うと叫んでいる!「直接治療と関係ない」ことが原因かもしれない。アヌスのご開帳など慣れていたはずなのに、凄まじい羞恥心を感じた。

「あらあら、こんなに生やしちゃって。まるで、森ね。そろそろ夏だし、カブトムシでも獲れるんじゃないかしら」

なんて思われてるのかもしれない。そ、そんなに生えてないやい!

恥ずかしさで、うっすらと顔に汗がにじみ、いたたまれない気持ちになって、思わず、

「すみません……」

と、呟いた。

すると、

「大丈夫ですよ、電気シェーバーなので!」

と、看護師さんは答えた。電気シェーバーだったら、何が大丈夫なのだろうか。あれから毎日考えているが、私は未だに答えを出せずにいる。


シェーバーがムイムイと意地悪な音を鳴らし、それでは始めますね、と、看護師が私のアヌステルダム一帯の芝刈りを始めた。

あら!これはイケませんね!!

単純には表現できない感覚が私を襲う。

温かく、どこかヌルッとした感覚が、私のアヌスのご近所さんを引っ越し前の下見のように、どこか遠慮がちに、それでいて大胆に這い回る。ああ!知らなかった!ボク、そんなところまで毛が生えているんですね!

少し、くすぐったさも感じられるが、アヌスを舐められている時の感覚に近い。

これは、ねえ、看護師さん!これはイケませんよ!すぐそばに他の患者さんも居るのに!あー!ダメです!もうそこまでにしておきましょう!このままでは、私、今まで開けずに取っておいた引き出しが、開いてしまいます!

そんな私の苦悶を察したのか、「痛くないですか?」と質問する看護師。情けない声で、「だ、大丈夫ですぅ」と力なく答える。痛くないどころか、「良」いや、むしろ「優」の評価を差し上げて良い。

私は、もう一度「すみません」と謝罪した。看護師さんは、

「大丈夫ですよー。毛があると手術跡にバイキンが入っちゃいますからねー」

と言っていたが、厳密にはそこに対しての謝罪ではない。「(神聖なお仕事に、不思議な感覚を覚えてしまって)すみません」だったのである。

ジジジ、と深剃りされる音が、楽器のフレーズのように小気味良く鳴る度、走る不思議な感覚。そうか。これが、「快感♡フレーズ」なのですね、新條まゆ先生!

随分と長く感じたが、終わる頃には、「え?もう終わりなんですか?」と思ってしまう。少し、名残惜しい。「延長お願いします」と、財布に手を伸ばしたところで、

「あとで、シャワーでしっかり流してくださいね」
と、看護師は立ち去った。

私は看護師にお礼を告げ、その背中に敬礼を贈ると同時に、確かな手応えを感じていた。ともすれば、ハマるな。これは。

Drawer opened。引き出しは今、開かれたのだ。


夕食時、お待ちかねの『アルジネードウォーター』が届く。意外にも、ただのパックの飲み物だった。味も、スポドリ味と書いてあった。特別感がなく、期待を大きく裏切ってきた見た目と味に、落胆を隠せなかった。未知なるものに想像を膨らませすぎる癖は、大人になっても治らないものである。

看護師さんは、朝の7時までに2つ飲み切るようにと、夕食時に渡してきた。個人的な意見だが、こういう渡され方が1番困る。

例えば、なるべく手術に近い時間に飲むべきなのか、早めに飲むべきなのか。一気に2つ飲んで良いのか、1つずつ、ゆっくり時間をかけて飲むべきなのか、どれが1番効果的なのかをはっきりさせて欲しい。

夜飲んだとして、水分なのだから、消化を考えても効果は翌朝に1番いい時を迎えそうな気がする。お酒だって、夜飲めば夜のうちに酔いが回るし、明日の朝には酔いも覚めている。

そう考えると、朝飲むのがベストな気がするが、夜に渡してくるということ、また、時間制限が朝に設けられている以上、夜に飲むのがベストな気もする。こういうことは、一回考えだすと止まらない。アドバイスが欲しい。

しかし、ナースコールを押してまでして、

「あのー、これいつ飲めばいいかどうも踏ん切りがつかなくて……」

なんて言ってしまったら、初日からクソめんどくさ患者の烙印を押され、それ以降のナースコールは全て無視されることだろう。

それだけではない。私のご飯だけ海苔の佃煮で、「バカ痔瘻」と書かれるかもしれない。でも、瘻の字は画数が多いから、ただの黒い塊にしか見えないかもしれない。

悩んだ挙句、キリがいいので消灯の22時と、起床してすぐに飲む事にした。

19時。座薬を入れる。すぐに溶ける蝋の様な感触の真っ白な弾丸を、尻穴にブチ込む。なんだかすぐ出てきそうな、納まりの悪い感覚がある。話によると、すぐに便意が来る場合があるようだが、15分は耐えなくてはならないらしい。

こんなもの、たかが15分程度耐えられないやつは、軟弱なアヌスの持ち主である。はっきり言って意思が弱い。しょっちゅうクソを漏らして生きているに違いない。

普段から尻を閉めて生きていれば、いくらでも耐えられるものである。見たところ、斜め向かいの兄ちゃんには、少し厳しいかも知れないけれど、普段から筋トレで心身を鍛えている私には、造作もないことである。

しかし、計ってみてわかることだが、待っている間の15分というのは、短い様で長い。友達と飲んでいる時の15分なんてあっという間だけれど、乾杯のビールが出てくるまでに15分かかればクレームを入れるか、店を変える判断をする事だろう。

実は、時間というものは不変的なものではない。朝急いで支度している時の15分と、昼休憩が終わってから退勤までの15分というのは、時間の流れる速さや価値が違う。時間というものは、そのタイミングや状況によって速度が変わるのだ。

繰り返すが、何かをしている時よりも、待っている間の15分は、とても長い。私がトイレで、水を流したのが、大体座薬を入れてから10分後の事だったので、15分という時間の長さを待てる人間というのは、なかなか辛抱強いものであると、考えを改める次第である。


夜22時。アルジネードウォーターを飲み、消灯時間を迎える。とはいえ、こんな時間に寝るものも少ない。私は小さい灯りを付けて、携帯ゲームに興じるし、他の患者は本を読んだり、テレビを見たりしている。

とはいえ、明日は手術。早めに寝たほうがいいだろう。23時頃、灯りを消し、イヤホンを外したところ、鈴木おさむのベッドから地鳴りのようなイビキが聞こえる。やはり、である。

「んごーーー!!!っっふしゅーーーーーるる。んごーーーー!!!っっふしゅーーーーるる」

おさむのやろう、思った通りじゃねぇか!!鳴り響く異音。かつて経験したことのない、過去最大級のいびき。しかし、突如訪れる静寂。

無の呼吸!壱ノ形!絶息!

睡眠時無呼吸症候群である。このまま息が止まってくれれば、貴様の命と引き換えに、私がようやく眠れると、闇の帳の中に意識が吸い込まれそうになった直後、

「んごーーー!!!っっふしゅーーーーーるる。んごーーーー!!!っふしゅーーーーるる」

とても、眠れやしない。しかも、問題は逆隣のベッドでも起きている。どうも、5秒毎に寝返りを打っている様で、ガサガサと煩い。こんな高頻度に寝返りうつ人、いるかね?!

もしかしたら、彼もおさむのいびきに苦しんで、少しでも消音できるポジションを探しているのかもしれない。確かに、日中の看護師との話を聞く限り、かなり神経質そうな人だった。

「私、キレたりテンパったりするとパニックになっちゃって、何するかわかんないんですよ。だから、お守り代わりに常に薬を持ってるんです」

みたいなことを言っていた。ヤバい。今風に言うと、ヤバタニエンの広東風蟹玉である。あまりのいびきのうるささにブチキレて、病室の全員が殺されるかもしれない。

高頻度で繰り返される寝返りの中音域のガサゴソ音と、湿ったいびきの低音による、騒音のデュエット。それに挟まれる私。まさに、前門の狼、後門の虎である。肛門だけに。入院初日に大層な歓迎会を開いてくれたものだ。

他のベッドの患者からは寝息の一つも聞こえてこない。多分、眠れないんだろう。そりゃ、こんな騒音の中で眠れるわけがない。病室ガチャ、大爆死である。

起きていても耐えきれない騒音に、やむを得ず、病室を出て真っ暗なデイルームに逃げ込んだ。

その途端、私はハッと、息を飲んだ。大きな窓から見える、深夜のビル群の灯りがキレイだった。

真っ暗な空に、都心部の人工的な直線の建造物から放たれる眩しい光。この光のほとんどが、深夜残業で削られたヒトの寿命の瞬きである。

思わぬ絶景に一瞬心の持ちようが変わったが、キレイな景色なんか、どうでもいい。今はただ寝たい。

深夜1時過ぎまでデイルームで時間を潰し、騒音デュオのライブもアンコールを終えた頃だろうと病室に戻る。

むしろ演奏会は熱を帯び、各々のソロパートでアドリブ合戦が始まっていた。行き過ぎた演者の熱は、時としてオーディエンスとの精神的距離感を広げる事となる。得てして、そういうものである。

私は合法的に人を始末する方法を調べながら、夜明けを待った。

つづく



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