#49.家族[日日]

「さびしさについて」
という植本一子さんと滝口悠生さんの往復書簡本を読んでいる。

植本さんの本は少しずつ読んでいた。
植本さんはこんなに文書を書いたり本を出したり言葉を残しているのに、脆さもとても感じる。
私にとっては言葉を世に放つことはとても強さがいることと思っているから、彼女はとても気になる存在なのだ。


「家族」というものは私の中でもずっと重たく、あまり深く触れたりしたくないものである。
それは植本さんもそのように感じているようで、彼女が書く文章はよく響く。

理想の家族像のようなものが強烈すぎるのだ。

私の幼少期、夫婦喧嘩が多かったり、親戚に対する本音と建前と態度の差、従兄弟たちと私との比較とか、それらをしばしば感じすぎていた。(すぎていたかの量は多いのか少ないのかわからないが)
そして、ある時に、親が他人であると実感としてわかったこと。わかられなくて良いと思ったこと。そんなことで高校の時は早く家を出たかった。
ただ、一人暮らしになって安心したと共にきっと寂しかった。当時は少し不安定だったと思う。

大学の仲の良かった先生に、「早く家庭を持った方が気持ちが安定するかもね」と言われたことが記憶にある。帰る家がある、ような安定感は確かになかった。
その不安定さを見抜かれたような気がしてドキッとしたし、いまだにそれが心に残っている。

「家族」ってなんだろう。
内側から見ると、安心するものでもあるけれど窮屈で、何か黒い重たいものの気もする。しかし外側から見た時に、「家族」に対する羨望もある。
いろんなことがあったとしても、家族という共同体を続けていること。
まさに隣の青い芝、のようなものであるけれど、「家族」というものにきっとずっと私の中で問いがあり続けるのだと思う。
また、気軽に話さないからこそ、他者の思う「家族」も聞いてみたいなと思った。

わからなさを抱えていく覚悟は、昔よりはずっとある。それが唯一の救いな気もする。

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