ただの酒飲みキャバ嬢が年商5800万円行政書士法人代表、会社複数経営者になるまでの軌跡。
こんにちは、りこです。
今回の記事は「わたしがどうやってここまできたのか」という経緯をについての記録です。
Twitterの長文投稿用にまとめた文章ですが、タイムラインだと流れていってしまうのでnoteにも記録しておきます。
Twitterの投稿を少し推敲した部分もありますので、投稿をご覧になった方も改めて読んで頂けると嬉しいです。
・10年キャバ嬢、ホステス
・宅建、行政書士独学一発合格
・金コネ経験ナシ行政書士開業
・独立10ヶ月で月商200万円
・行政書士法人化1期目年商5800万円
・株式会社5社経営、1社売却
「わたしがなぜそうなったのか」
この記録が
・これからの人生や人間関係に悩んでいる
・毎日退屈だし不満だけど、現状を変えたい気持ちもある
・なにかしなければいけないけど、何をしたらいいかわからない
・何を頑張ればいいのかもわからないし、頑張る意味が見いだせない
・なりたい自分になるための目標やメンターが欲しい
・自分の人生を変えたい
こんな悩みを持つ子の参考になれば幸いです。
きっと何かしらの「新しい世界への気づき」があると思います。
これを読んだら、もっと違う明日が待っているかもしれません。
貧乏だった学生時代。
わたしは家が貧乏でお金もなく、やりたいことも希望もありませんでした。
高校生の頃は欲しいものも買えず、やりたいことも何もできなかった。
月のお小遣いは500円。
ファミレスでみんなで食事をしたらもう終わり。
当時はあいさつのタイミングもわからないレベルのコミュ障だったため(今考えると、そのとき何らかの診察を受けたら発達障害などの診断が下りていたかもしれません)、アルバイトも続かずお腹が空いたら無料で食事の出る繁華街の出会いカフェに入り浸っていました。
本当はみんなでディズニーとか行きたかった。渋谷でプリクラ撮ってお化粧品やお洋服たくさん買って女子会したかった。
一度きりの青春時代、キラキラしたかった。
でも、全部叶いませんでした。
そして18歳で実家を出てとりあえず入学した大学にたまに顔出しながら細々と工場とかの日雇いしていましたが、それでも学費と生活費に困窮し、切羽詰まって始めたのが時給の高い夜のお仕事でした。
未来に夢も希望もなかった日々。
飲めないお酒を飲み、酔っ払ってテンションを上げ無理やり会話を作り、なんとかその日をやり過ごす日々。
わたしの価値は「若い」だけしかなかった時代。
下町のスナックのデビューから始まり、より高い時給を求め保証荒らしをしながら新宿や六本木など都内のキャバクラを一通り経験していきました。
初めは何も喋れなかったコミュ障が、いつしかお酒を飲めば多少の会話はできるようになっていました。
そうして、気づけば流れ着いた銀座のクラブでホステスをしていました。
最初は順調に思えたホステス業も、毎月の売上ノルマや毎年のバースデー集客に追われやがて年齢を重ねていくうちに…いつからか大きな将来への不安に苛まれるようになります。
職歴も学歴もなければ資格もスキルもない。
できることといえば、お酒を飲むことだけ。
このまま銀座にいても、結婚かママになるかの2択しかない。
でも売れないただの酒飲みヘルプがママだなんて、まず無理な話です。
だからといって結婚相手など尚更いない。
顔面レベルも大したことのない上に水商売しか経験のないメンヘラ三十路女など誰も拾ってはくれないことは明白でした。
自分の人生、このままでいいのか?
そんな疑問に悩みながらも、不安を打ち消すかのように毎日酒を浴びるように飲み、未来を考えないようにする日々が続きました。
自分の生きている価値とは?
そんなときにふと浴びせられた、父親からの一言。
「毎日飲んだくれてるだけで、お前には本当に生きてる価値がないな!」
雷に打たれた気分でした。
今の自分には何もない。
生きている価値がない。
「価値」のある人間になるにはどうしたらいい?
わたしの父は、宅建と行政書士の資格を持っていました。
それを思い出したとき、わたしは「資格を取れば父親が少しは認めてくれるのではないか」と思いついたのです。
その次の日からわたしは宅建のテキストを購入し、夜のお仕事の合間に勉強を重ね独学4ヶ月250時間で宅建を取得しました。
最初は机の前に5分もいられなかったわたしは、ただがむしゃらに勉強し直前期には1日10時間勉強できるようになっていました。
試験には、なんとか合格しました。
ただ、宅建をとったからといって自分の人生が変わるものではありませんでした。
相変わらず二日酔いの中何となくお店に出勤し、酒をあおり、中身のない話で不安を紛らわす毎日。
このままでいいのだろうか…?
せっかく勉強したのだから、独立を目指せる資格を取得したら人生が変わるのではないか?
そしてわたしは、こんな下らない人生を一発逆転しようと決めました。
決意した次の日に店を辞めブランド物を売り払い、バーキンを買おうと思って貯めていたお金を予備校へフルスイングしました。
そう、司法書士試験に人生全てをベットしたのです。
そして来る日も来る日も勉強を続け気づけば3年半、6300時間もの時間を司法書士試験に捧げました。
宅建の勉強を始めたころは机の前に5分もいられなかったわたしは、直前期は椅子に身体を縛りつけて1日20時間勉強していました。
しかし、3回目の不合格で断念。
そうして学歴も職歴もない単なるホステス上がりの三十路の女に唯一残ったのは、宅建の合格証と司法書士試験の合間にふと受験しギリギリで合格していた行政書士資格のみとなりました。
金コネ経験ナシで行政書士独立。
ホステス時代のお客様は試験勉強中に全て切れてしまったので、もう夜に戻ることもできません。
そして昼間の仕事の経験もない、ただ行政書士の資格を持っているだけの人間を雇ってくれる事務所もなく、わたしはただこんな下らない人生に絶望しながら抜け殻のように過ごしていました。
とにかくお金がない。
仕事も、できることもない。
もうどこに戻ることもできない。
あるのは「行政書士に合格した」という事実だけ。
背水の陣だったわたしは、考えた末に唯一残った行政書士という資格でなんとか生きていこうと思い立ちました。
そうしてわたしは書士会の登録費用すら知り合いに借り、自営業どころかお昼の仕事の経験もないまま行政書士となったのです。
実務経験どころか昼間のお仕事の経験がないため、行政書士の仕事の知識はおろか請求書の出し方すらわからないレベルだったわたし。
最初はまったく鳴かず飛ばずでした。
奇しくもそれからすぐ流行り始めたコロナウイルス。
そしてコロナ禍でリリースされた新しい給付金や補助金を死ぬ気でキャッチアップしたことでなんとか売上を立てることができ、開業10ヶ月で月商200万円を突破したのです。
勢いに乗ったわたしは組織化を目指し1年10ヶ月で行政書士法人化、2年目の年商は約3500万円に到達。
さらには経営者の知り合いが増えていくうちに行政書士業のみならずいろいろな分野への興味ができ、株式会社を3社設立し2社を買い取りました。
そしてがむしゃらに走り続けていった結果、行政書士法人化1期目で売上5800万円という数字に到達したのです。
現在は法人を1社売却して行政書士法人の代表とシステム開発会社、不動産会社その他の代表取締役や顧問をやっています。
また、去年ドバイへ行ったことがきっかけで良いご縁に恵まれ、最近はドバイ進出のコンサルティングサービスもしています。
(ここだけの話、最近は身軽になりたくて不動産会社の売却も考えています。)
そう、これが「わたしがなぜこうなったのか」の経緯です。
「正しい方向への努力」は絶対に報われる。
人生は、変えられます。
そう、死ぬほどの努力で。
わたしは3回目の司法書士試験で不合格を確信したとき、自分はもう「死んだ」と思いました。
学歴も職歴もない。
生きていくすべもない。
目の前の積み上がったテキストとフルベットした6300時間は、試験を諦めたらもう何の意味もありませんでした。
でも、それでも、死ねずなかった。
生きてしまった。
生きてしまったんです。
そして、もう後にも先にも引けなくて
「死んだ気でこの下らない人生に真正面からぶつかっていった」
そしたら、気づけば想像していたものとはまた違った美しい景色を見ていました。
だからね、あなたが今辛くても 「正しい方向への努力」 は絶対に報われるということを伝えたい。
そう、それはきっと予想もしないタイミングで。
だからこそみんなも一緒に勉強、美容、ダイエット、そして将来のキラキラした自分のために頑張っていって欲しいと思います。
みんな、ダイヤモンドの原石だと思っています。
わたしは父に言われた 「お前には価値がない」 それを撥ね退けたくて、最終目標を 「ダイヤモンドになる」 にしました。
どんなときも、どこにいても、どの世界でもキラキラして価値を放っていて、そして大きな圧力がないと生成されない存在。
だから、どんな圧力にも負けずに努力して頑張ったらみんなダイヤモンドになれると思っています。
努力して、自分の人生に立ち向かって、唯一無二のダイヤモンドになりましょ💎
おわりに。
この記事が、読んで頂いた方の明日に有益でありますように。
そして、これがわたしのここまできた経緯でした。
わたしのnoteでは主に勉強方法やマインドの保ち方、たまにダイエットに関しての情報を発信しています。
有料noteはオンラインサロンにご参加頂けたら全て無料で見ることができますので、ご興味ある方はぜひ。
「りこ」って何者?
行政書士開業のリアルストーリーはこちらにまとめてありますので、ぜひ読んでみてください。
スピンオフ。
宅建に一発合格したとき、わたしは素直に嬉しくてそれを父親に報告しました。
「頑張ったね、偉いね。」
ただその一言が欲しかったのです。
わたしはきっと、一番大切な人に認めてもらいたかっただけなんです。
でも、笑顔で報告するわたしに父親から返ってきた言葉は
「宅建くらい合格して当たり前だろ」
でした。
その時にわたしは
「期待するのは自分だけでいい、孤独は崇高な趣味」
ということを知りました。
それはまたの機会にまとめてみますね。
長くなりましたが、読んで頂きありがとうございました。
この時間が、あなたにとって気づきや何かのきっかけになれば幸いです。
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【綺麗で賢くて 自分の力で自由に生きる】
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キャバ嬢→整形1300万→行政書士独立→会社経営→ドバイ移住
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