農業が輝きを増し、世界に向けた流動性を地方が持つ
岩佐大輝さんは1粒1000円のイチゴでセンセーショナルを巻き起こした宮城県山元町の「ミガキイチゴ」の仕掛人です。ITで成功してきた岩佐さんが、農業で、イチゴで革命を起こしたということで業界では一躍時の人となりました。東日本大震災で打撃を受けた岩佐さんの故郷でもある山元町のイチゴが、この10年間で復興以上の復興を遂げたと称される理由は何なのか? 熱量が高い岩佐さんの言葉に引き込まれ、本連載を手掛ける陰のインタビュアーのはずであったRepubli9代表の吉川欣也(シリコンバレー在住の起業家。本連載1回目登場)も、アメリカの農業に思うところもありと、ところどころ身を乗り出して話し始めました。イチゴから見えてくる日本の農業は? アメリカの農業との違いは? そして世界の農業の未来は?
岩佐大輝(いわさひろき)
株式会社GRA代表取締役CEO
1977年、宮城県山元町生まれ。日本および海外で複数の法人のトップを務める起業家。2002年、大学在学中にITコンサルティングサービスを主業とするズノウを起業。2011年の東日本大震災後は、壊滅的な被害を受けた故郷山元町の復興を目的にGRAを設立。先端施設園芸を軸とした「東北の再創造」をライフワークとするようになる。農業ビジネスに構造変革を起こし、ひと粒1000円の「ミガキイチゴ」を生み出す。 著書に『99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る』(ダイヤモンド社)、『甘酸っぱい経営』(ブックウォーカー)、『絶対にギブアップしたくない人のための成功する農業』(朝日新聞出版)がある。人生のテーマは「旅するように暮らそう」。趣味はサーフィンとキックボクシング。(HPから)
真の復興のためには突き抜けたものが必要だった
――IT業界にいらした岩佐さんがイチゴを作られるようになった経緯を、まずご説明いただけますか?
岩佐 私の出身地は宮城県山元町なんですが、10年前まで東京を拠点に仕事をしていましてね。その10年前というのが2011年。東日本大震災が起きた年です。故郷も壊滅状態になってしまって。とにかくなんとかしなくては、という気持ちで、仕事仲間と毎週、ボランティアで復興の手伝いを始めたんです。山元町の唯一ともいえる特産品がイチゴ農家で、うちの祖父もイチゴ農家だったんですが、イチゴ農家も大打撃を受けてしまって。129軒のイチゴ農家のうち5軒だけは手を加えれば回復しそうだったので、そこを重点的に手伝いましたね。
――復興の手伝いとひと言で言ってもかなり大変だったでしょう。
岩佐 それはもう大変でした。津波の被害がありましたから、ハウスのパイプはぐにょぐにょに折れ曲がるし、汚泥で覆われるし。それと塩害ですね。土が海水をかぶっているから、塩の混ざった土をスコップで少しずつ取り除かなくてはいけない。あとは雑草抜きなどもやっていました。毎週車で通ってコツコツやっていたら畑になりそうな状態に戻ってきて。夏になった頃、よし、畑を取り戻そう! ハウスを作ろう!! とギアが入りましてね。自分たちで鉄骨を買ってきて、井戸を掘って、ハウスを完成させました。
――井戸水は大丈夫だったんですか?
岩佐 いえ、それが、何本も掘ったんですが、やはりまだ塩水だったんです。山元町は4mも掘れば良質な地下水が出る場所だったんですが、津波でやられました。地下水脈ごとやられたからどうしようもない。だからイチゴ栽培は最初のうちは水道水でした。井戸水は10年たった今でも塩分濃度が濃く、昔と違い深井戸を掘らなければなりません。良質な水を探り当てるだけでも一苦労です。
――宮城県がイチゴの産地というイメージはようやく知られるようになってきたことだと思うのですが、もともとの商圏はどちらだったのでしょうか。
岩佐 本州の一番北のほうに位置する産地なので、首都圏というよりは北海道に向けて出荷していました。そのベースがあるので、コストがかかっても、とにかくまずは復興ののろしをあげなくてはいけないと思ったんですね。多少環境が整っていなくても、まずはやることが大事だろうと。土はまだ完全ではないけれど、ちょうどあの頃に流行りはじめた高設栽培といって、地面より高い位置に棚を組む高床式のスタイルで育てるやり方が注目され始めて、それを取り入れることにしました。ハウスを建てたところに棚を組み立て、イチゴの苗を買ってきて、植えて、育てて。翌年の春に初出荷したんです。
腰の高さの位置に植える高設栽培。負担が少ない
――冬の寒さは大丈夫だったんですか?
岩佐 それは大丈夫です。イチゴはですね、 そもそも冬の作物なんですよ。9月くらいからイチゴを植えて、11月、12月くらいから収穫が始まって、翌年の5月ぐらいまで断続的にとれる。ですから冬を越すというのは、イチゴにとっては大きな問題ではないんだけれども、ポイントはですね、真冬はハウスの中にいるといっても寒いですから、油断するとイチゴが冬眠してしまうんです。一度冬眠すると春先にならないと実がならない。収穫できなくなるから、0℃以下にならないように加温するなどの工夫が必要になってくる。普通だったら暖房機などを置いてやるわけですけども、当時は電気もなかったですからね。プロパンガスを置いてガスをたいて二酸化炭素を発生させたり、温かくしたりということで冬を越して、なんとか春先の早いうちに収穫できるようにということを当時やりました。
――イチゴ栽培が未経験の岩佐さんがそこまで。すごいパワーですね。
岩佐 そのときはやっぱりエネルギーっていうか、やろうという気持ちが強かったんですよね。そしてやりながら思ったんですが、故郷をさらに復興させるには突き抜けたものが必要で、これまで以上のものを目指そうと。だから会社を作ったんです。東京の仕事仲間が毎週復興を手伝って、イチゴづくりをやっていて、そのままチームとなりました。今の会社の役員の多くがそのときの人たちです。
コモディティではなく非コモディティをめざす
吉川 ちょっと割り込みます。アメリカでいうとカリフォルニア州ワトソンビル(サンノゼ市から車で約1時間)は米国における最大生産地のとして有名ですが、世界トップシェアのDriscoll's(ドリズコールズ)の本社もワトソンビルにあります。日本では、米国産イチゴは、これまで業務用や加工用として利用されていますが、ここ数年では大手量販店でもよく見かけるようになりましたね。 カリフォルニアの見渡す限りのイチゴ畑にはビニールハウスはなく、地面にバーッと植えて巨大な農機と移民の労働力を使ってバーッと収穫する。水道 水や農薬を使うことで土が傷んだら、その土ごとごっそり取り換えるみたいなやり方をしていますよね。日本の農業は水の汲み方などもきっちり考えていて、巡回を考えていて、土地が死なないように作っている。それが日本の農業だっていうことをずっと聞いていたので、アメリカの農業のやり方をみて、すごいことをやっているな、と。それで世界の胃袋を満たしているんですからね。日本はアメリカと比べて規模が小さいから、岩佐さんが言われたように、ビニールハウスをチェックしながら、冬の越し方に気をつかい、水や温度などバランスをとりながらていねいにやる農業ですよね。さらに世界の農業でいえば、最近はヴァーティカルファーミング(垂直農法)が出てきている。日本の農業と世界の農業が変わってきていて、そのなかで日本がやるべき農業ってなんでしょう。
岩佐 そうですね。まずアメリカのことをいうと、アメリカで栽培されるイチゴの8割はカリフォルニアですが、日本との圧倒的な違いは雨が降らないことですかね。そもそもビニールハウスが必要ない。ただ路地栽培なので、地面に直接触れるので品種としては硬くなる。硬いものは糖度上がらないので硬くて酸っぱい品種がどうしても多くなります。かつ、労働力が出稼ぎで来ている中南米の方々が中心なので、練度もそこまで上げられない。ピッキングしやすいイチゴづくりをしなくてはいけない。いろいろ考えると、大量生産で食料基地化されたものがアメリカなんですね。これはこれでもちろん価値があります。いっぽうで日本の農業というのは、そもそも「食料農業農村基本法」という法律があって、「食料」だけに対する政策ではなくて、「食料」「農業」および「農村」に関する施策というものを基本法で定めているんですね。つまり、農村地域がどういうふうにサステナブルになっていくかっていうことを国で決めているわけです。歴史的にも農地解放以来、日本人は農業者が自ら経営をして土地を持つべきだという思想の延長線上にやっぱりあります。
――小さい農家にとって最適化されているというのが日本の特徴というわけですね。
岩佐 日本でもアメリカやオランダのような大規模型の農業を踏襲しようとした動きがありましたが、やはりうまくいかなかったですね。イチゴのようにデリケートな果実をたくさん作ったとしても、それをピッキングしてパッキングするための労働力というのは、労働集約型ですからね。売上高に対する人件費の割合が大きいので、経済にまったく効かないわけです。ドーンと大きく作ったからといって、儲かるわけではないというのが日本の農業の基本的な姿です。米などはある程度まで経済が効くんですが、それでもやっぱり他の国に比べると規模感は小さい。そうなってくると、日本の農業のブランディングに関わってきます。食料基地として日本がグローバルなマーケットで戦うのは極めて難しいわけですね。そうするとやっぱり他の国にない、何かスペシャルなものを提供していくっていうことしか基本的に道がないと思うんです。
――コモディティ化ではなく、非コモディティ化をめざすと。
岩佐 そうです。たとえばスーパーマーケットを見ると、生鮮作物が一番目立つところに最初にありますよね。これは生鮮作物で利益をとるのではなくて、プラスαで食料雑貨品などを売って利益を出すというモデルです。イチゴを含めてコモディティ化された生鮮作物は、スーパーマーケットの客寄せ的に使われてしまうわけですね。そうなると、生鮮作物に対して客の価格感度が極めて高くなっていきます。猛暑によってレタスが10円20円上がっただけで大騒ぎをしてしまう。でもiPhoneが、たとえば5万円ぐらい上がっただけで、誰も騒がずに高いけど買っちゃうわけです。それが日本の特徴で、野菜や果物に対する価格の感度が高い。そうなると、コモディティとしてではなく、非コモディティとして、何かこう、スペシャルな特徴のあるものを作っていかなければ日本の作物農業っていうのは成立していかないということになっていくわけです。そうした状況のなかで、宮城県山元町というところは、これまで北海道に向けたコモディティ型の農業でしたが、そこから脱しようということで、ミガキイチゴというブランドを作ったわけです。そしてスペシャルなストロベリーとして首都圏に直接売るなどして販路を広げていきました。
――だいたいどの層に食べられていますか?
岩佐 イチゴが100としてピラミッド型にその面積グラフを作ると、一粒1000円のものとなると1%以下で、一般的にイチゴはミドルからボトム付近を求められるでしょうが、家庭向けのミガキイチゴの場合は普通に食べられるんだけどちょっといいものみたいなそんなポジショニングでしょうか。いわゆる市場流通品と言われる、完熟までやらずに7割ぐらいでとって運搬の過程で追熟させるやり方です。そんなに甘くはならないですが。そうしたものがいわゆるコモディティとして流通していきます。
吉川 コモディティというところでいえば、ロボット化はどうお考えですか? 先ほど労働力の話が出ましたが、アメリカの場合はトランプの時代に移民排除の問題があって、そうなると、労働力はどうなるんですか? と現実的な問題に直面して、それがロボット化への取り組みが加速した要因のひとつになった経緯があります。イチゴでもアメリカではロボット化への取り組みは進んでいて、ああいう繊細な果物はピッキングが大事だから、5本の指じゃなく6本の指がいいんじゃないかとか、指の器用さと繊細さを取り入れるために先端部分の部分にポンプで空気を注入しようかとか、どうやって画像認識してくのかみたいなことを模索しながらロボットが開発されてきています。岩佐さんはITの業界にいらっしゃったので、ロボットテクノロジーをどう導入していくのかに非常に興味があるんですが。
岩佐 アメリカのような、爪を持っているロボットががんばれる程度の硬さのイチゴが、日本で生食として普及するとはちょっと考えづらいですね。イチゴにおけるテクノロジー化はまたむずかしい課題があって、実はなかなか苦戦してるんです。野菜もそうで、理由は小規模で少量栽培だからです。ひとつの農家に1ユニット導入したとしても、ロボットが扱える範囲っていうのは極めて限られてきます。アメリカの場合はとんでもない数十エーカーの農地がありますからね。日本はもうその100分の1というようなレベルになってくる。ましてひとつの農家が単一栽培ですから、投資に合わないことが一番大きいでしょうね。
吉川 なるほど。イチゴの水耕栽培はどうですか? 都市型のイチゴが成立するのかどうか、僕にとっては非常に興味があるところです。首都圏の人が食べるという意味では、宮城から送った方が良いのか、東京のど真ん中で栽培されている「東京イチゴ」みたいなものの方が価値出てくるのか。それが二酸化炭素の削減にもなりますとか、電気自動車デリバリーしましょうとか。自分にとってイチゴというか、都会のライフスタイルにフィットしたイチゴが、30年後でもやっぱりまだどこかで都心から離れたところで栽培されたものが届けられるのか? それとも都市で栽培された都市型フルーツというものが登場するのか? そうなると、美味しさや見た目の追求はもちろん、電気代や人件費を考慮したテクノロジーも導入しないとコストが下がらないね、とか。水、エネルギーの問題、土地、流通、労働力など、コストを計算していくと、イチゴ作りにもまだまだ最先端の技術の導入があっても良さそうだと思います。都市があって、地方があって。イチゴを通してビジネスとして、岩佐さんはどこをどう目指していくんでしょう? R9Magazineのメインのテーマが30年後の食なので、岩佐さんの30年先のビジョンをお伺いしたいです。
岩佐 いやー30年後はむずかしいですね(笑)。でも都市農業っていうのはおもしろいですよね。でも、まずここ10年ぐらいの話で言うと、いわゆる閉鎖型あるいは都市型で作られたものがマーケットを支配することは、おそらくむずかしいですね。その理由というのは、やっぱり太陽の力です。たとえば人工光型の植物工場っていうのは都市の農業においては主流になってくるわけですが、太陽によってもたらされる光の力を、人工光で実現するためのエネルギーってとんでもないことになるように思います。たとえばLEDをぐるぐる回して太陽を作ったとすると、真冬でも冷房をガンガンにしないといけなくなります。なぜならLEDの基盤は相当熱くなりますから。一年中、そうしたエネルギーが必要な栽培は、あんまり地球に優しくないっていう状況ではないですかね。そのハードウェアを使った成功例はあるんですよ。たとえば、レタスのような葉野菜は成り立つんです。なぜなら可食部が98%くらいあるので、面積効率がいい。イチゴの場合は可食部が5%くらいなので、面積効率だけでいえばきわめて悪い。そう考えると、イチゴのようなフルーツが都市型のものとして普及していくというのは、一部のマーケットではニッチなところではあるのは間違いないんですけども、大きくはなっていくことはおそらくないだろうと思いますね。都会の中で一部のハイパーな商品として成り立つってことはあるだろうけれども、10年、20年だと、それがメジャーになるって言ったらちょっと考えにくいですね。
産業革命のツケを払っている最中。農業が今以上に重要なビジネスとなる
――では30年後の農業というと、どういうイメージでしょうか?
岩佐今の時代は産業革命以降のツケを払い続けている最中ですよね。海面温度がどんどん上がっていき、気象条件も厳しくなってなって農業に対する厳しい状況が続いている。これはもう本当にここ10年のトレンドっていうことですが、2050年もまだツケの真っ最中じゃないですかね。とり戻すのに100年はかかると言われているわけですからね。世界の人口も増えていくので、圧倒的に食料が足りなくなるわけですよ。農業ビジネスが、今よりももっと重要なビジネスになっていくであろうと思います。職業選択の一つとして、農業生産法人なり、そういったところに人々が就職をして、今後の農業生産の可能性やブランド化について議論し、お金を流していく。この流れというのがさらに加速していくと思うんですね。そこで地方はどうなっていくかっていうと、当然食料の生産基地としての輝きを増していくっていうことになるわけです。ただ問題なのは、この「食料の生産基地」ということが、コモディティとしての生産基地であったとすると、やはりあまり価値を持たないんですね。 グローバルなマーケットに知らしめられるようなブランドを作ることによって、たとえばうちの場合は、世界の中の宮城県、世界の中の山元町っていうポジショニングが作れると、途端に、その町というのは流動性を持つんです。
――流動性?
岩佐世界中からいろんな人が視察に来て、世界中から優秀な人材が集まってくることが農村に起きてくるということです。すると、今の都市で起こっている流動性が、農業を起点として地方に起きてくると、日本の地方はどんどん変わっていきます。だから、何度も申し上げてしまいますが、いかにその地方の中の農業が、非コモディティ化されて、何か1点でいいから突き抜けられるかが非常に重要になってきます。私が山元町で、それをイチゴでやろうとしてきたのがこの10年間ですが、日本ではある程度、宮城のイチゴといったら山元町だっていう話になってきましたし、アジアにもそれが波及していることを肌で感じます。そうすると、山元町に人材が集まり、山元町からさらに発信ができる。それが地方における理想的な流動性です。
吉川 いやー。おもしろい! 重要なことを話してくださっています。岩佐さんの仕事はイチゴ以外の仕事にもシフトしていくんじゃないかなぁと思いますね。世界の人口増減の読みはむずかしくて、2050年までに世界の人口は90億人、100億人そしてそれ以上なんて言われていますが、世界中では都市化が進むので、都市が少子化になるように、地球の人口はピーク後に一気に減少し始めるかもです。コロナの影響で人は家にいて動かない、ならば食料を動かさなきゃいけないという時代がより鮮明になってきました。米国ではスタートアップ企業から大手のI T企業、自動車メーカーまでが、人間を運ぶより食料を運ばないでどうするの? という気運となっています。そうなるとITは非常に重要で、食に関して、岩佐さんのようにIT業界の人たちが入ってきて、食はおもしろいぞと声をあげて、未来作りや都市作りとなったときに、東京だけだとまずいよなと声をあげることはとても意味があると思いますね。先ほどおっしゃったとおり、都市の人たちのために地方が食料工場みたいになるだけでは地方創生にはならない。農業はますます輝きを増すことは間違いないので、超優秀なインドの人たちがGoogleやAdobeとかAmazonに入っているように、IT関連の国内外の優秀な人材が日本の農業はおもしろい、そしてまだまだ伸びしろあるぞと感じ、岩佐さんがやっていることがおもしろいとなったときに、東京ではなくて宮城はいいぞ、と。いや、九州もおもしろそうだぞ、となれば、どんどんつながっていくはずですよね。先の流動性を持つということですよね
岩佐 吉川さんが日本の地方に積極的に出向きながらも、シリコンバレーを拠点にしていたのはそういうことですよね。
吉川 僕の話をすると恐縮なんですが、僕が東京にいたり、地方に暮らしたりして活動をしても、おそらく点となるだけでつながっていかないですよね。岩佐さんのように地方を盛り上げていく人たちは、日本各地にもうすでにいるので、そこと東京を、そして世界をつなげていかないと、すべてがまわっていかないと感じているからなんです。先ほどの流動性ですね。フードなり、ロジックなり、テクノロジーなりでつなげていくと、絶対どこかで大きく回り始めて変わっていくと思っているんですよね。10年以上かかるかもしれないのですが。でもこういうことって、若い人たちはむちゃくちゃ感度がいいので、もう気づいているように思うんですけどね。
ワークスタイルだけではなくライフスタイル全体の提案を
岩佐 若い人に限らず、人が集まってくるためには、もうひとつ重要な要素があってですね、ワークスタイルの提案だけじゃ駄目で、ライフスタイル全体の提案というか、ロールモデルが必要になってきます。私のインスタグラムを見ていただくと、毎日のようにサーフィンをしたり、釣りをしたりって生活をしているかのように見えるんですよ(笑)。やっぱり田舎と都市の大きな違いというのは、遊びやライフスタイル全体の多様性が大きく違っていることです。仕事で没頭できるおもしろいものがあったとしても、やっぱり人間はそれだけじゃなかなかむずかしいですよね。クールな生活が田舎でできるんだっていうモデリングがもうちょっとあるといいなと思っています。ライフスタイル全体を通じて田舎にいることがおもしろいということをどんどん発信していくっていうことが、グローバルでもそう国内でもそうですけど、地方に人が集まっていくであろうという仮説はありますね。
吉川 それは結構重要ですね。シリコンバレーも何が強いかって、もうそれなんですよね。太陽がずっと出ているので、一度立てたテニスやゴルフ、ハイキングなどのスケジュールを変更することは殆どないんです。海の水温は冷たいですが、カリフォルニアは一年中サーフィンができるし、国立公園のヨセミテなど素晴らしい景色の中でキャンプはできますし。シリコンバレーの魅力の1つは天気と環境ですからね。でも以前はニューヨークから人は流れてこなかったんですよ。東海岸のMITやハーバードの出身者は、いわゆる都市型の発想だから、金融系に行った方が儲かるんじゃないか、なぜそんなシリコンバレーのような田舎に行くんだ、という風潮だった。それが変わったの実は最近なんですよね。これまでスタンフォードやバークレーの人間たちが作ってきたシリコンバレーに、ハーバードのザッカーバーグがFacebook、MIT出身の若者たちがDropboxをシリコンバレーで創業。実は東海岸みたいな都市の人間が、わざわざカリフォルニアに来て起業するスタイルは、東京の大学で学んだ若者が地方で起業するためのモデルになる可能性も出てきたかなと思っています。東京の若い子たちは漠然とアメリカやシリコンバレーへの憧れは薄くなっているかもなので、未来の地方の魅力に興味がいくんではないですかね。岩佐さんのライフスタイルも、まさにシリコンバレーの先のモデルかもですよ。
岩佐 そうですね、変わっていくと思いますけどね。いま、そういう流れがちょっとできつつあるんじゃないですかね。でも、シリコンバレーですごいのはなんといってもダイバーシティの受容力ですよ。アメリカの多様性に対する包容力というか。分断しているとかなんとか言われましたが、日本の田舎の閉鎖性のほうが、なかなかのものではないかと思うんですよね。僕なんて東京から宮城に帰るだけで、外国人みたいな扱いをされますからね。地方のこの意識を変えることも実は大きなテーマだと思うんですよ。
吉川 岩佐さんは海外にも拠点を持てばいいんじゃないですか。シリコンバレーとかニューヨーク、北京でもいいし上海でもいいと思うんですけど。日本の地方の閉鎖性は何気に根深いので、それをポーンと飛び越えて、若い人たちに実際の活躍を見せてしまうといいと思いますね。大谷翔平がアメリカに渡ってもうアメリカの宝のようになってしまうことで突き抜けたように、岩佐さんのミガキイチゴが突き抜けて、カリフォルニアの太陽でどう育っていくのだろう? というところに興味がありますね。
岩佐 展開するかどうかは別として、すでにカナダや中近東などでミガキイチゴの実証試験のようなことはずっと投資をしてきています。でもタイミングをみて、いつかは行きたいな、とは思っています。コロナで移動の制限がかかっているから動きにくいんですけどね。いやー、このコロナでね、経営者としての勘がちょっと鈍っているような気がして焦ってますよ。想像力は移動距離に比例するといわれていますが、その通りだと思っていて、コロナがあけたら、いろいろ動きたいです。まずはシリコンバレーにも視察に行きたいですね。その時はよろしくお願いします。イチゴをスタディーしながら、サーフィンもしてきます(笑)
吉川 それをインスタグラムにアップしてください(笑)。今日はとても興味深くて、つい、僕もいっぱいしゃべってしまいました。ありがとうございました。
構成・土田美登世
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