小劇団の衝撃だ!

完全に舐めてた小劇団の芝居

知人が小劇団に所属していて、一度観に行きたいと思っていたのですが、ようやくその機会に恵まれ、鑑賞することができました。
観る前は『観て面白かったら、俺も次回作から出演させてよ』みたいな軽口を叩いていたのですが、芝居が始まってからすぐに後悔しました。
俺は何も解っちゃいなかったな…と。

アングラにも程がある…でも、そこがいい

劇場はそこに劇場があると言われなければわからないほど、ボロボロの雑居ビルにあり、一階の受付も机にクロスをかけただけの簡易なもの。
チケット代は事前予約していたので、二千五百円。
個人的には活動を応援してあげたいので、当日券の値段でもいいのに…くらいの感覚で高いとも安いとも思わなかった。
雑居ビルの地下一階が劇場になっていて、客席は二十人入ればいいくらいのスペース。舞台の幕が開いていて、セットがすでに見えているせいか、不思議と狭さは感じなかった。
劇場は小さく明るくはないが、陰湿な暗さみたいなものはなく、思った以上に健全で居心地のようさのようなものを感じた。

そして、幕が上がる。開いてたけど…

実はこの舞台のある役をやってみませんか?と芝居未経験者の私に声をかけていただいていたのすが、芝居が始まって数分後には『マジで、安請け合いしなくてよかった…』と心から思った。
お芝居は当然、舞台美術、音響、演出、シナリオなどなど…どれをとってもお金をちゃんといただけるクォリティになっている。
舐めた感想で申し訳ないのですが、こんなちゃんとしてるとは思わなかった…。
何もできない自分がこんな舞台に立つとか、申し訳なさすぎる。
しかし、よくよく考えてみれば、娘の保育園の劇ですら、先生たちが大きな書割をいくつも作り、『ずいぶん本格的だな…』と思っていたくらいなので、大人がやっている小劇団なんてその比じゃないのは当然。
何もかもが想像以上で、芝居が終わるまで圧倒されっぱなしだった。

お金をいただくことの意味を考えた

あらゆる活動にはお金が必要で、いただくお金に対して、それ相応のものを提供するというのは実はすごく大変なことだよね…ということを小劇団のお芝居を通じて感じた。
世の中の人々の多くは漠然と自分に何らかの価値があって、一時間働けばそれ相応の対価がいただけるという錯覚をしているが、そこにはその仕事に対してのプロ(お金をいただけるだけのスキルが担保されている)意識が欠如しているように思われる。
話は飛躍するが、お金をいただくという意識から逃げるような人はこの世の中には必要がないような気がする。

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