プロとは何か
それで食べていけたらプロという雑な発想
英語のプロフェッショナルという言葉の本来の定義はあると思います。
が、私の中のプロの定義は日本語の『達人』というのがピッタリマッチしている。
その対象に対する姿勢や態度が最も重要で、技巧というのはどちらかといえば二の次、三の次である。
バーガーショップで今日から働く高校生は、時給をもらうからプロになるわけではなく、その接客態度が社会通念に照らし合わせて素晴らしいものであれば、労働時間に関係なく、それはプロであるといっても過言ではない。
お金をもらっているアマチュア野郎
時給を基本的人権のように考えている人間がいる。
何もせずとも与えられる当然の権利、意欲もなく、無能を晒しても平気で、周りの迷惑を一切考えない。
他人に何かを与えるでもない人間が他を羨み、給料の低さを憂うなど片腹痛い。
お金を稼いで生きていくのは大変なことで、そこにはプロ意識の有無によって、明確に線引きされるべきだと考える。
稼ぐプロにはなれない
プロとしての意識や姿勢の問題と、それを他者からの評価として見た時の収入の問題はなかなか切り離しにくい。
自分よりも明らかに劣る人間と金銭的には同じ、それ以下の待遇になることはなかなか受け入れ難いものがあるし、それを切り離して、意識や姿勢を高めることに集中できない自分に対する不甲斐なさも感じる。
初心忘るべからず
歳を取ると自分が一角の人物になった錯覚も手伝って、なかなか低評価は受け入れ難いものはあるが、これからさらに歳を重ねれば、自分の想像を超える老化や劣化も考えられる。
その時に物事に対する正しい姿勢や態度をどれくらい維持できるか、どれほど熟達の域に到達したと感じても、初心のような気持ちを継続できるか、それができる人間が『達人』というかプロではないか。