小学校の図書室出禁になった
ことがある人は仲間。
そうそうあるもんでもないと思う、知らんけど。
乱文でも許せる人向け。
物心ついた時から本を読むことが好きだった。
家にある本はなんでも片っ端から読んでいた。
辞書を片手に親の自己啓発本などを読むタイプだった。
心理学のこともこの過程で知った。
読むものがなくなって、学校の図書室の本も興味のある棚から順に読みに行った。
小学3年のある日、古典が置いてある棚が目に入った。
見慣れない漢字が並ぶ背表紙には「枕草子」と書いてあった。
内容はまるで知らなかったけれど、どうしても読みたいと思った。
未知との遭遇はいつでも魅力的だ。
高いところにあったので先生に取ってもらおうとお願いしに行ったら「これは高学年の人たちが読むものだから貸せないよ」と言って渡してくれなかった。
諦められなくて、先生の目を盗み、なんとか本を取り出して読んでいた。
こういうのはいつかばれる時がくるもので、4日目かそのあたりで「そんなにするなら古典のエリアに立ち入るの禁止ね。もっと児童図書とか読んでみたら?」というありがたい言葉をいただいた。
それ以来、私がその棚に近づくと先生の鋭い眼光がこちらに向けられるようになった。
伝記や歴史は一通り読んでしまっていたので、消去法で児童図書を読むようになった。
伝記は「杉原千畝」が好きだ。
歴史はギリシア神話とか古事記とかが印象に残っている。
古事記ってえっちだよね。
その当時は児童図書そのものを、ひいてはそれらを読んでいるクラスメイトを見下していたので、自分が彼らと同等に扱われることが苦痛だったのだけど、実際に読んでみると面白いものもあった。
「キョーレツ科学者・フラニー」は訳が分からなくて面白かったし、「若おかみは小学生」とか「黒魔女さんが通る!!」は登場人物が魅力的で、私は人の感情の動きをこの2冊で学んだし、「都会のトム&ソーヤ」を見つけたときは感激したし。
児童図書を読んだことで利益も得られた。
人との関わり方がわからなかったけれど、本をきっかけにして話せるクラスメイトが増えた。
小学5年の国語の授業で、1枚の写真から物語を作るという課題を与えられたときも構成に迷うことなく書き上げることができて、班で回し読みしたら好評だった。
休み時間には他班の子までもが私の物語を読みにきた。
嬉しかった。
この経験での最大の学びは食わず嫌いはよくないということ。
よく知ろうともしないで表面だけ見て、ガキっぽいからやめておこう、彼らは挿絵ばかりの本しか楽しめないお子様なのだ、漫画と何が違うのだろう、もっと文字を読みたい私とは違う。
と愚かにもバカにしていると、いざ自分が試してみてハマったときに救いがない。
よさがあるから好まれるのだ。
とりあえず一度流行りには乗っておいていい。
そのうえで合うか合わないか判断すればいい。
年齢一桁の私が得た知見。
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