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嘘とほんと。

小さい頃、嘘は良くないって習った。
誰もが教わったことだと思う。
嘘をつくと舌を切られてしまうと
半ば脅され気味に習ってきた。

そんな教えも束の間というくらいに
私は小さな頃から嘘をついてきた。
大人が嘘に塗れていることに
早々に気がついたからだ。

嘘をついてはいけないと
そういう大人が嘘つきならば
その言葉すらも信用ならないので。

でも最近になって
ようやく大人の言いたかったことが
理解できた気がした。

幼い私には
嘘はすべからく悪であるかのように感じ
それを避ける行いこそ善であると
教えからそう感じたのだ。

でも、現実は
ありきたりな言い方だけれど
ついていい嘘もあるんだ。
もっと言えば
つくべき嘘もあるんだと
私はそう思う。
なんの大義かと問われれば
私の人生で最も重要な
「人に迷惑をかけないこと」
を達するためだと答える。

「好きな食べ物は何ですか?」
小さな頃の私ならなんと答えたろうか。
ケーキ!からあげ!
ラズベリーにハマった時期もあったと思う。
素直に、真面目に、
ただただ好きな食べ物を答えた。

もう少し大きくなると、
ウケ狙いとかカッコよくて思われたいとかで
取り繕うようになる。
なんだろう?小籠包とか?字面かっこいいし。
これも嘘だけれど、つくべき嘘じゃない。
少しでも笑いが起きるのなら、
ついてもよかったとわかる結果論には用はない。
そもそもお笑いなんてフィクションの産物だから。嘘で毛頭。

大人のみんなは、どう答える?
真っ先に、好きなもの無いなーって思わない?
いや、あることにはあるんだけど
ひとつに絞るのも
そのひとつが唯一である理由も
そこまでの熱意も欠けていて
好きなものなんて無いんじゃないかなって思えてしまう。
それでも捻り出さなければならなくて
相手や状況を気遣った答えを出す。

大人のそれは大体、食事のお誘いプロローグだ。
あなたの好きな食べ物で、食事をしませんかと
丁寧に、前振りをくれている。
それを感じとることは当然に求められていて
だからこそ、そこでラズベリーなんて答えようものなら
相手を困らせてしまうわけである。
ラズベリー狩りってあるのかな?

相手はお店を探すヒントを求めているのだ。
だから、中華ならなんでも!とかで全然いいのだ。
それでいえば、小籠包は笑いにもならない。

今の私の好きな食べ物は
パン、ケーキ、クッキー、アイスで。
米とか麺とかしばらく食べていないほど。
だからといって、洋食好きかと言われれば
全くそんなことはない。
パスタとかハンバーグが嫌いなわけじゃないけれど
1人でお昼ご飯を探す時には絶対に入らないから。
ラーメンなんてもってのほかだけどね。

それを踏まえてもう一度。
「好きな食べ物は何?」
「んー洋食ですかね?パスタとか」

嘘をつく。
でもそれは、つくべき嘘。
相手の思考を、返答を
あるべきレールの上から外すことなく
未来へ向かえるのだから。

後悔はしない。
だって私が食べたいのはパンでケーキで
でもそれはあなたと食べたところで満たされないので。
どうせ遠慮するし。
食事なんてどうでもいいのよ。
だから後悔はしない。

でも、でもね。
もっと現実な私ならね

「好きな食べ物は何?」
「何でも好きです私!嫌いなものは何もないですし、、、あパクチーくらい?せっかくですから先輩のおすすめ連れて行ってくださいよ」

乗り気でもないのにそう振る舞って
帰ったら洗濯取り込むの忘れないようにしないとなんて思いながら
満面の笑みで嘘をつく。

小さな私がみたらどう思うかな。
いうて私だし、悟ってるかな。
あの時感じた大人への不信感を
私にも向けられるんだろうな。

そんな私だけれど
これを大人になるなんて表現だけはしたくない。
今はまだ抵抗していたい。
𝘳𝘦𝘪

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