直さなきゃ時計。
周りが結婚し始めたり
子供が産まれたり育ったりして
息苦しくなるのは違うのに
息してるだけの自分を責める声が聞こえてしょうがない。
姪っ子が誕生日を迎えた。
私が抱えたのは半年前の1度きりだけど
温かくて小さくて。
落としたら間違いなく死ぬって思った。
亡き祖父の家で、その駐車場で。
コンクリートの床に1m50cmはあろう高さで。
とても怖かった。
お気にのグラスを落として割った時の非じゃない。
パソコンを落として床を凹ました時でも
人から頂いた置き物を壊した時でもない。
持つだけで畏怖した。命。
自分が
自分の過失が
簡単に命を絶てるということに
酷く恐ろしさを感じた。
そんな時も束の間だったように
平気で立ち
平気で歩き
私があげた本を文字通り齧り付くようにみたりしている。
そういう時がこれからも流れて
落としても無くならない命に
なっていくのだろうか。
私は落とす概念すら毛ほども忘れて
私の視線が高くなったころ
あなたに、あなたの命に
何を思うのでしょうね。
私が抱いた恐怖に
当の本人が気づくのは
当の本人も感じるのは
ずっと後のことだろうけれど
それだけ尊い存在であったんだと
兄と口を揃えて言いたいな。
願わくは、私や私の父のような
発達障害が遺伝せず
苦しくなく生きられますように。
辛くなく育てることができますように。
私の第二の恐怖はそれだから。
孫の顔をみたいと急かされる。
埋めない身体なのに。
それでもifがあったとして
そのifに
自分の子が発達持ちだろうかと
条件分岐を想像する。
個性だとか
IQの高さは強みだとか
メディアの言葉に唆されて
皆いうけれど
育てるのは苦しいよ。
生きてるだけの私が苦しいんだから。
必要以上に共感を得てしまう親は
そこから手をあげてしまう親は
もっと辛いだろうから。
私はその意味で親への同情がある。
これまでのことを許してはいないけれど
自分が同じ状況になったときに
そうしない自信がないから
答えを先送りにしてる。
誰がどうすればよかったなんて
社会全体で助ける以外にないのに
家庭のこととして狭い部屋に押し込めるから
1人で耐えなくてはいけなくなる。
親も、子も。
姪っ子は1歳になった。
ここまで、無事だったようだ。
縁起が悪い言い方かもしれないが
これからも、本当に無事で
元気で
そして、兄も、義姉も
ずっと元気でいられますように
私はそのためならなんでもしたい。
親でもないけれど
親でもないからこそ
できることがあるはずだから。
落とせない命。
故意に落としたくなることが
今後、訪れませんように。
この24年の命だったら
いくらでも投げ捨てていいから。