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第61回 J・ジョイス映像作品その2『ノーラ 或る小説家の妻』(1)
ジョイスの映像作品と銘打ちながら、ジョイス作品の映像化、ではありません。
ジェイムズ・ジョイスとその妻ノラ・ジョイスの、1904年ダブリンのストリートでの出会いから、1913年ごろまでの約10年間を描いた、ある夫婦の記録。
2000年公開のイギリスの映画。劇映画です。
主演は、ジェイムズ役になんとユアン・マクレガー(スコットランド出身)。
ユアン・マクレガーは個人的に好きな俳優ランキング17位、18位か19位ぐらい好きな俳優です(?)。
2000年公開だから、彼が『スター・ウォーズ/エピソード1』から『ムーラン・ルージュ』なんかの間に出てた仕事みたい。プロデューサーも兼ねているから結構気合い入れてたのかな。
そしてノーラ・ジョイス役はスーザン・リンチ、と言う人(知らん)。
監督脚本が、パット・マーフィー、という(やはり知らん)人。
だいたいこんな映画があったの、…今まで知りませんでした。
Amazonで偶然見つけて、中古DVDが12、300円だったので即購入。そして昨日鑑賞。
そして今は2度目の鑑賞中。手元に、リチャード・エルマン筆『ジェイムズ・ジョイス伝』を携えて。
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まずオープニング(映画のオープニングとエンディングは対になっていることが多い。まずテーマが示唆される)。
駅で一人佇むノーラ・ジョイス当時ノーラ・バーナクル。なんか焦った表情。やがて汽車が来て乗り込む。
汽車に揺られ、外に目をやるノーラ。
続いて回想シーン(なぜわかるか? だってノーラがぼんやり外を眺めるシーンの直後、場所も身なりも全く違うノーラが現れるから。モンタージュ。(…ごめんこれウザい?)。
深夜の街角。ノーラと若い男性。
「街を出ましょ。あなたの病気を治してくれるところがきっとある」
「ダメだ。僕は行かない」
「そんなこと言わないで、マイケル」
そしてキス。
…ただならぬ関係。
続いて、中年男性と対峙するノラ。
「このアバズレ、修道院へいけ!」と言ってノラを鞭で殴る※「やめて叔父さん、叔母さん助けて!」
※この時ノーラはロングの髪を帽子の中に隠し、服装もジャケットにズボンと、まるで男装してるように見え、「ん?」となる。これは事実をもとにしている。当時ノーラには親友が一人いて、二人の間で、男の格好で街を歩くという遊びが流行っていたらしい。
こんな見過ごしてもいいような小ネタもさりげなく描いてる(本当はたくさん撮影されたが、カットされただけかも)。
この中年男性の正体はトミー叔父さん。ノーラの実家は貧しく、5歳で祖母の元〜修道院での住み込み〜13歳でトミー叔父さんの家に身を寄せた。叔父は躾に厳しく、門限を守らないノーラを鞭で叩いた(100年以上前ですから)。
深夜。外から家の窓を見上げるマイケル。その先の窓辺にて、憂いた表情のノーラ。
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許されない恋を、簡潔に描いた秀逸シーン。
やがてノーラはゴールウェイの家を逃げ、ダブリンへ向かった。
一人でだった。
ところでマイケルって? ジェイムズではなく(もちろん伏線)。
回想シーン終わり(なぜ…、あああ止めます)。
続いて、街の遠景。
「Dublin 1904」の字幕。
「おおっ」っとなる。映画『ザ・デッド/ダブリン市民より』(その時の鑑賞記事)と同じ!
あっちは夜が舞台時間だったのに対し、今回はついに昼間で
「Dublin 1904」。
見事な対比(意図的ではないのだろうけど、いや、もしかしたらそうかもしれない。なぜかは後ほど)。
それだけでも購買のメリットがありました。
昼間のダブリン1904の繁華街は人でごった返してる。人と馬車。この頃はまだ自動車が発明されたばかりらしく、ダブリンにはわずか50台ほどしか無かったらしい。だから歩道と車道の区別がない。馬車の前を人が平気で横切っている。
そして、やはり男はみんな帽子をかぶっている。1900年前後のヨーロッパでは、男子は外へ出るときは必ず帽子をかぶるものだったようです。
歩道を歩くノーラ登場。
服装が、田舎から逃避行してきた時のまま。じゃ時間的にも逃げてきてからそのまま? いやそうじゃない…。
続いて我らがジェイムズ・ジョイス登場。妹のマーガレットと路上で立ち話。
「兄さんうち帰ってきて〜父さん飲んだくれ〜みんなジャムの瓶ぞこを舐めて飢えをしのいでる」
「そんな大袈裟な」
するとジョイスの目に、ショー・ウインドを眺めるノーラが映る。
「やあこんにちは」ジョイスいきなりナンパ。
「旅行? よかったら街を案内しよう」
「いいえ結構」
「君ゴールウェイの出身?」
ノーラの発音には「ゴールウェイ訛り」があった。ジョイス家の祖先もゴールウェイに住んでいたことがあり、ジョイスは彼女の訛りがすぐにわかった。
「じゃあ明日会わない?」「ホテルで仕事よ」
先ほどの答え。時間的に、この時点でノーラは故郷を出てからしばらく経っている。ホテルでの仕事も見つけている。つまり外出着がまだ買えないのだ。だから今、ショー・ウインドに飾ってある服を切ない目で見ているノーラ…。
なかなかうまい演出。
ノーラ・バーナクルは当時、ホテルで客室係に就いていた。
「そうかぁ」「水曜なら空いてるわ」「じゃあメリオン・スクエアの角で会おう。僕はジェイムズ・ジョイス。君は?」「ノーラよ」
「いい名だ。イプセンだね」「なんのこと?」
〜この何気ない一言にも意味がある。イプセンとは、ジョイスが最も尊敬するノルウェー出身の劇作家(ノーラはイプセン作『人形の家』の主人公の名前)。ノーラはイプセンを知らない。彼女は初等教育しか受けていない苦労人で、文学を嗜む余裕などない。ジョイスとは真逆人生なのだ。一見不釣り合いのカップルだった。でもジョイスはそんなこと全然気にしなかった。周りからも散々茶々を入れられたが、ジョイスは生涯彼女と寄り添った〜
ジョイス去る。
二人の最初の出会いである。ジョイス23歳ノーラ19歳であった。
そして、その時ノーラは何か「ただならぬ過去」を引きずっているということも示されている。
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さて、
ジェイムズ・ジョイス、偶然街であった女性に一目ぼれ、でナンパ。
これがジョイス生涯のただ一人の妻ノーラ・バークナクルとの出会いである。これは映画的脚色でも割愛でもなく、そっくり事実みたい。これにもこれにも同じように書いてある(彼の分身スティーブン・ディダラスにはできない早業…)。
これによると、この運命の出会いの日は6月10日。で、劇中ノーラのセリフ「水曜なら」とは6月15日のことらしい。
そして映画と同じくノラは仕事の都合で、ジョイスとの約束をすっ飛ばした。
「もう一度チャンスをくれ」
めげないジョイスはその失意な思いを手紙に託し、ノーラの同僚に届ける。
「君が見えなかったのは、僕の近眼のせいだろうか?」
クスッと微笑むノーラ。
そして翌日、晴れて二人は初デート。その日の日付は…、
1904年6月16日、木曜日。
そう『ユリシーズ』の舞台時間である。『ユリ〜』ではジョイスの分身というかペンネーム、スティーブン・ディダラスは、ダブリン界隈を放浪した後、レオポルド・ブルームと出会う。
これは、ジョイスが1904年6月の某日、父の友人アルフレッド・ハンターに、酒場で重傷から救われた出来事がもとになっている。
事実はノーラ・バーナクルとの初デート日となっている。
それほど重要な日ということらしい、ジョイス的には。ちなみにこの日の夕方、ジョイスとノーラは暗がりに隠れて熱いちゅー、からのノーラはジョイスのズボンの中に手を入れ…、「はははぁうううう…!」。果てるジョイス。これによると、事実らしい。
それから『ユリ〜』ではこの日6月16日はスティーブンはマリガンとともにマーテロ塔で寝泊まりしているが、事実はもう少し後のことらしく、この頃は知人のある夫妻の家に居候していた。他、パリからのとんぼ返りと、現在の主な収入源は臨時教師(と雑誌の不定期コラム)、母を亡くしたばかりなのは『ユリシーズ』と同じ。
それともう一つ重要な脚色といえば、この映画では『ユリシーズ』も、『若い芸術家の肖像』(執筆は同時期)も無視され、あくまで『ダブリン市民』執筆過程のみ焦点を当てている。
そして特に重要なのは、その中に納めらている中編『死者たち』…。
続く。
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