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第16回 『ユリシーズ』第1章テレマコス、その2

 髭を剃り終わったマリガンは、スティーブンの胸ポケットに手をやり「ハンカチ貸してくれ」と言います。そしてそのよれよれのハンカチを見ながらマリガンが言うには…。


 ところでこの世紀の大名著『ユリシーズ』の出版は、そりゃもう大センセーショナルな事件でした(ええ、それはもう…見ていませんが)。

それほどの傑作だから?

いえいえ。「こんなものを世に出すなんてとんでもない!」と、雑誌連載中からアメリカ当局に目をつけられ、低俗な猥褻本扱いされたからです。ですから英語で書かれた本なのに、フランスの小さな出版社「シェイクスピア・アンド・カンパニー書店」からひっそりと発売された。そしてアメリカの地に持ち込む際には、分厚いコートの下に隠さなければならなかった。文字通り密輸です。そんなデンジャラスな本だったのです。

 猥褻と聞くと、やっぱ「エロ」を連想しちゃいますが(?)。そちらの方のシーンも、そのうち出てくるのですが、正直21世紀の現在では、はっきり言って、ワーワー騒ぐほどじゃありません。所詮海沿いで、隠れて自慰するくらいです(ん? 現代の方がむしろやばいか?)。

それだけじゃなく、「これは…」と思える、なんか下品で、なんか、気持ち悪い箇所が度々見られます。これ、恐ろしいことに21世紀の現代でも有効です。

 で、このシーンもその一つです。

 マリガンはスティーブンのハンカチを手に取った後、平然とこう言うのです。


「詩人さん(スティーブンのこと)の鼻拭き布か。(中略)~芸術家の色。青っぱな緑、舐めたらうまいだろうよ」


 おえっ! ほんとにまじ気持ち悪ぃ。こんなこと文字にして残しますフツー?


 …。

 その後、ダブリン湾に向かって「青っぱな色の海」(おえっ)、言い直して、「葡萄酒色ノ海ニ」とか、わざわざギリシヤ語で呟きます。これは元ネタ『オデュッセイア』へのオマージュ。てか作者ホメロスへ。ホメロスは詩の中で、度々海のことをわざわざ葡萄酒色の海と呼びました。

なんか詩人みたいですね。あ、ど真ん中の詩人だった。

でもわざわざギリシャ語を使うあたり、品がないくせにインテリのせいで粋なことしやがる。だから余計腹が立つ。

あそうそう、マリガンも一応詩人らしいので(詩人にも色々いるんですね)、「あおっぱな色の海」は、誉高いホメロスの「葡萄酒色の海」へのさりげない回答なのかな。

 で次、スティーブンの亡くなった母の話題になります。

「~別にいいじゃないか、母親の頼みだろ。跪くぐらいなんでぇ」「…」。

 これもやっぱり作者ジョイスのドキュメントがもとです(いっそのことスティーブンじゃなくジェイムズにすればよかったのに)。

 パリ留学生ジョイスは”母危篤”の知らせを聞き、すぐにダブリンへ戻ってきました。母メアリーは肝臓がんでした。すでに寝たきり状態でした。1日に何度も起き上がっては洗面器に向かう、悲惨な状態だした。母は息子ジェイムスに、


「私のため神に祈っておくれ」


と頼みました。息子は拒否しました。信仰を捨てた彼には、もはや神も教会も憎悪でしかなかったからです(代わりに、書きかけの小説を読み聞かせたりはしています)。

しばらくして母は亡くなりました。

 この時できた罪悪感は、生涯ジョイスを苦しめました。


”神などいない。だから祈る相手もいない”
と言う理屈です。


 本当にそれは正しいのでしょうか?


 突然ですが、私は時々ふと考えます。この世に神様はいるのかと。


「いやぁ~、いないでしょう。いたら、そいつは普段どこにいるんだよ」

  


 そんな私も、突然窮地に陥った時、どこにいるかもわからない神様に祈っているのです。


「神様、今僕を助けて!」


 数年前、『カラマーゾフの兄弟』を読みました。

全4巻の大作なので、どのページだったかもう覚えていませんが(先日、読み返してみて一所懸命探したんですが、ついに見つけられませんでした)、

こんなセリフがあったと思います。


「もしあの世がなかったら、もし神様がいなくて、私たちはみんな、死んだらそれっきり。もし本当にそうなら、あまりにも恐ろしくはありませんか?」


 私はそのセリフだけは今も忘れられません(他はほとんど忘れました。例の「大審問官」のくだりとか、綺麗さっぱり残っていません)。


 あなたは想像できますか? 自分が死んで、もう誰も自分のことを覚えていない、100年後か、200年後300年後、ずぅーっと先のの未来の世界を?



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ロクガツミドリ
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