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第七回『イーリアス』よ、お前はなぜそんなに読み難い!?

 ところで、岩波文庫『イーリアス』(上)(下)約700ページは、は恐ろしく読みづらい本です。
〜セウスやら、〜ペルスとか、空前絶後とも取れる登場人物の多さ、それらのそこそこの活躍が、次から次へと描かれます。
「これいるぅ〜?」っていうシーンが、これでもか、というくらい出てきます。

誰が誰やら何が何やら頭が混乱します(何度も何度も!)。

一例を述べるなら、
上巻66ページ、トロイヤに向かうアカイア勢の、各チームの紹介シーンがあります。
「〜を率いるのは誰で、誰々の誰であ〜る…。」「その後ろに続くのはどこどこの誰誰であ〜る…」
「更に向こうに見えるのは…」
という件が、なななんと10ページも続くのです!

 現代ではちょっと有り得ないくらいの冗長です。こんなのは「その他総勢何万人」とかで十分なところをわざわざ細かく、説明する。

いやいや、これには切実なワケがあるのです。

 というのは、この物語はホメロスが「大衆の前で詠んだ」ものを(しかも、「らしい」が入る)、のちに第3者が文字起こしした(100年後ぐらいから始まった)ものだからです。今の作家さんなどは、「ここはなくても良いからカット」や、「ここは冗長になるから引き締めて」みたいなことをするでしょう。しかし、ホメロス(以下ホメさん)は、これが後々一つの作品になる、とは考えていなかったはずです。
前にもお話ししたように、今我々が文学作品として読むことができる叙事詩『イーリアス』は、西暦前800年、ホメさんがわずか数名の聴衆に(何日にも渡り)語り聞かせた詩の数々を、後に複数の第三者さんが、それも何100年もかけて、編集したものです。
ところがホメさんはそんなこと知っちゃいません(もうとっくに亡くないっています)。
彼がしたことは、あくまで、その場やその時の聴衆の雰囲気を見、即興たっぷりに、聴衆が忘れないように、何度も同じ描写を繰り返し(その場が初聞の人もいますから)、とにかくその場の聴衆だけ楽しんでもらうために詠んだのです。


それを後に第三者の学者や先生たちが、「う〜ん、ぶっちゃけここ削った方が良い気がするけど、ホメさんが詠んだありがた〜いお言葉だからなぁ。よし全部残しちゃえ」。
となったのではないでしょうか。

詳しい方、違っていたらごめんなさい。









 …で、随分『ユリシーズ』から遠くなっちゃったなあ。

 でも好きなんですよ、こういうの。一つキー・ポイントがあって、あっちらこっちら繋げるっていうの。


次回『イーリアス』をなんとか面白く読むため…。





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