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Be Funky ♪

当時19歳でのセッション音源は,、JazzFunkとあり、殿下はギターとキーボードだけでベースは弾いていない。ああ、かっこいい。スラップベースの音がもうFunkyで堪らない。このスラップの音色にやられてベースを本格的に始めた身にはひとしおである。なんてFunkyなんだろう。

このFunkyという言葉が気に入って、Funkという音楽というかリズムも気に入っていたその頃、組んでいたバンドのギタリストに「Funkyて臆病なっていう意味だぜ。ちゃんと調べないとな」と言われたが「イカしたって意味もあるんじゃないの?」なんて我関せずな応答をしたのを思い出す。当時の感覚としては腑に落ちなかったのだろう。Funkyが臆病などという意味だなんて、とても音楽からは想像がつかなかったのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=9aMyC5bm1uA


言葉の定義を確認しておかないと、会話が成立しないのは当たり前だ。どんな文脈でその言葉が使われているのかがわからない限りうまく相手の主張が受け取れなくなる。きちんと読めないということだ。今回も前回<読むことと書くこと、物語る。>の続きを考えていきたい。


「本を読むことは、考えるためだ」


愚直に読み、愚直に書く』にてそう言い切る作者は、後から引用しようと思った箇所や気になる箇所をアプリで記録し、編集の視点を持ちながら読書を楽しんでいるようだ。本文での文脈に添いつつ内容を受け取りながらも、自分自身の中にある文脈の横糸を縦横無尽に駆使して考えていくのだ。横糸は同時並行で読む他の本や読了済の本からも取り出せるため、できあがる生地は作者自身も想像がつかないものになるときがあるという。

物好きといったり、できるわけがないといって片付けてしまうのは簡単だが、先のことは誰にもわからない。わからないからやってみないことにはどうしようもない。そうやって読んで、考えて、書くことでまだ見ぬ未来を想像する力を育めるというのだ。

少しでも考えたり文章を書くことの楽しさや喜びといったものを体感できれば、やってみようという気になるはずだろう。そういうことを踏まえて、今、こうして文章を書いている。書きながら考えている。


「『コピーする』こと以上に読み手を書き手のレベルに押し上げた技術がWikiです」


読むことと書くことをキーワードに検索したら気になったものが出てきた。共同編集という概念だ。ドミニク・チェン 読むことは書くこと Reading is Writing 第17回「客観性のフォークと主観性のフォーク」という連載記事にあり、上記もそこでの言葉だ。

前回でいう縦糸と横糸を紡いで生地を織りなすことが編集にあたるのだが、この場合は生地をつくるというよりも、元の縦糸をより質のよい、もしくは新しく変化させたものにしようという試みだ。どういうことかというと、誰もが改変自由でよりよいものに変えていけるオープンソースというソフトウェアの仕組みを文章(書籍)にもあてはめ、出版行為をオープン化して、よりよい書籍、さらには新たな書籍へと進化させるのはどうかといった趣旨だ。


書くことに立ちはだかる壁とは?

ここで問題がある。書くことは、面倒だということだ。
だが果たして書くことは面倒なのだろうか?

面倒という言葉の意味を確認しておかないとファンキーなことになりそうだ。さっと検索するだけで煩わしいや不快という言葉が目に入る。書くことはいいことだから、やったほうがよい。読むだけだったら、その価値が半分にしかならない。例えるなら、栄養のある野菜を皮ごと調理し、余すことなく大自然の恵みを享受しようじゃないか、ということだろう。なるほど、お説はごもっともであるが、そこまで興味がない。損をしていると言われても、まあ、それでもかまわないしそこまでこだわらない。いやむしろ、そんなことを気にしていたら正直疲れる。

著者の主張を汲み取りその文脈で理解することは、新しい知識や情報が得られるため、もちろん大切だ。確かに、前回紹介した福岡氏の『世界は分けてもわからない』では研究者の日常や、我々の身体の中で日夜うごめいているが日常では遠く意識が及ばない世界についての見識をもたらしてくれた。だがしかし、それで満足するとはもったいないという。いいじゃないか、そんなこと。それで満足だし足るを知るという言葉を知らんのかね、君は。なんてファンキーなことを言われかねない。

そうなのだが、少し考えてみて欲しい。世界の見方が変わり、自分が無理だと思っていたことがかなう方法があり、この生きる時間を彩りあるものに変えてくれる力を手に入れられるのだとしたら。しかもほとんどお金はかからないのだ。

生きるとは、命という有限なる時間をどう過ごすのかであり、どうせならば楽しめた方がいいと考えられないだろうか。そんな風には積極的にはなれないよ、普段の生活でいっぱいいっぱいだし、ただ流されていたほうが楽でいいよというのもうなずける。だって面倒だからだ。ああ、なんてFunkyなんだろうか。

次回はこのメカニズムを解き明かして、壁を越える方法を考えていきたい。まだまだ物語はつづくのだ。

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