「幸せだった日々」は、「幸せな未来」を約束しない

そういえば、私の好きなドラマや映画は「冬」と「雨」に集約されるような気がする。

カラッとしたハッピーな話よりも、「寒そう」で「冷たそう」な、どこか憂鬱さとか寂寥感のある話が好きだからなのかもしれない。

私にとってその代表格が「シュガー&スパイス」で、冬になるとふと観たくなる映画だ。

普段はあまり同じ話を何度も観ることはないのだけど、この映画に関しては、そろそろ累計10回は観ただろうか。

「一日に一度、寂しいって思うことは、人を愛するコツだろう。」
というグランマのセリフや、若かりし沢尻エリカの麗しい演技や、福生と元町を中心とした舞台の美しさ。どこを切りとってもいい映画だと思う。

でもやっぱり個人的に一番グッとくるのは、最後に里子が下した決断だ。

「女の子はシュガー&スパイス。優しいだけじゃだめなんだよ」
というグランマの教えの意味が、一気に胸に迫ってくるシーンだと思う

最近このシーンについて思いを巡らせていたとき、ふと「そういえばポカホンタスのラストにもどことなく似ている」と思った。

置かれた境遇も決断した内容も異なるけれど、どちらも「過去の幸福と決別する」という判断をした点で、近いものがあるのかもしれない、と。

幸福な過去の記憶はときに残酷で、ともすると未来の選択の幅を狭めてしまうことがある。

むしろそれは、私たち自身が「昔はこんな幸せな時間があったのだから」と言い聞かせ、現実を見ようとしていないことで起きるのかもしれない。

あの日あの時たしかにあった「幸福」は、不確定な未来の「幸福」よりも、すがりやすいものだったりもする。

でも実際には、幸福は貯金できるものでもなければ、過去から引っ張りだしてきて今に当てはめられるものでもなくて、あのときの幸せが今も未来もずっと保証されているわけじゃない。

幸福はいつだって私たちの一瞬一瞬の決断に委ねられていて、その選択の瞬間が「今」目の前に訪れていることもあるだろう。それに気づくかどうかはその人次第、なのだろうけど。

里子もポカホンタスも、幸せだった日々に終止符を打った決断の先で、本当に幸せになれたのかは誰にもわからない。

ただ、少なくとも彼女たちは「自分の意思で選んだ」という自信と、その結果への責任を負う覚悟はあっただろうと思う。

自分で人生を選択するということは、きっとそういうことなのだ。

過去の幸せは、未来の幸福を必ずしも約束しない。

私たちの道は、常に未来へとつながっている。

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