「打席に立つ数を増やす」への違和感
ビジネスの世界ではよく「まず打席に立て」「打席に立つ数を増やせ」という言い回しが使われる。勝負の機会を作らなければ成功はもちろん、次の学びにつなげるための失敗すら得られない。
つまりビジネスシーンでは「客観的な結果が出る舞台に立て」という意味で打席の比喩が使われている。
しかしいち野球ファンとしては、自分の意思で打席数をコントロールできるかのような言い回しには違和感を覚えることが多い。実際のプロ野球選手たちはまず打席に立つために血の滲むような努力をしているからだ。
野球の試合で打席に立てる選手はたったの9人しかいない。ベンチ入りしていれば代打で起用される可能性もあるが、それでも打席に立つ可能性のある野手は全部で15人程度しかベンチに入れない。それでも試合中に一度も起用されることなく、ベンチを温めるだけの日々が続くこともある。
さらにいえば、スタメンとして9人の枠に入ったとしても試合中に回ってくる打席の数は3回程度である。味方の打者がアウトになってばかりいたらなかなか自分まで順番が回ってこないし、試合の途中で代打を出されてしまうこともある。野球の試合は3時間以上あるが、「打席に立つ」のはたった3、4回。
そしてその3、4回で結果が出せなければ他の選手にポジションを奪われてしまうプレッシャーと闘いながら、彼らは毎日打席に立っている。
プロの世界では打席は奪い合うものであって、「まず打席に立つ」までが果てしなく遠く、高い壁である。若手に経験を積ませるために一打席を無駄にする余裕があるチームなどない。若手もベテランも、結果を出す以前にバッターボックスに立たせてもらうために必死で努力するのである。
もちろん育成が主目的の二軍では、起用する側も若手が打席に立つ機会を増やそうとする。しかしそうやって機会を作ってもらえるのは期待がかけられているからであり、若いというだけで無闇矢鱈に起用されることはない。
つまり打席を増やせるかどうかは、任せてみよう、育ててみようと思ってもらえるだけの魅力を感じさせられるかどうかにかかっている。
では起用する側にとっての「魅力」とは何か。若手がチャンスをもらうためには、一見遠回りに見えても守備力の向上が一番の近道である。立浪さんのこの言葉は、野球だけでなくあらゆる世界に共通する真理であるように思う。
そもそもヒットは一流選手でもたった3割しか打てない。つまりどんなにがんばっても70%の確率で失敗する。ビジネスの世界でいえば、新しい商品やプロジェクトにも同じことがいえるだろう。どんなベテランでもヒットやホームランを出すほうが難しい。ユニクロの柳井さんですら「一生九敗」と表現している。努力だけではカバーできない才能が関係する分野でもある。
しかし守備はできて当たり前の世界であり、正しく努力すれば若手でも9割成功がのぞめる。安心して守備が任せられるようになれば試合の終盤で試合に出場できる可能性が高まるし、出場さえできれば次の回で打席が回ってくる可能性もある。
打席に立とうと思うなら、まずは守備力向上に打ち込め。2000本安打も達成したレジェンドの教えだからこそ、説得力のある言葉だ。
逆にいえば、どんなにバッティングセンスがあっても守備能力の低い選手がスタメンに入るのは難しい。とった分だけとられていたら試合には勝てないし、打席は1/9しか回ってこないのに対して守備は常に自分のところにボールが飛んでくる可能性がある。いうなれば、常に打席に立っているようなものである。
大抵の大人は、若者に対して挑戦することを求める。自ら率先して打席に立ち、三振してもいいからバットを振ってこいと言う。しかし自ら作り出せる機会はあくまで「自主練」であって、めぐってくる機会の数は限られている。
そして簡単に三振するような選手は、与えられるチャンスの数も徐々に減らされていく。たとえ力の差が明らかな勝負だったとしても、あっさり負けるのではなくバントをしたり四球を選んだり、何かしらチームに貢献できるように粘り強く向かっていかなければならない。何の戦略もなく振ってアウトになるのとなんとか食らいついてカットを重ねた結果打ち取られるのとでは、同じ三振でも意味合いが違う。無闇に打席に立てばいいわけではなく、与えてもらった機会を生かす工夫の積み重ねが次のチャンスへとつながっていく。
偉大な記録を達成してきたバッターたちも、ヒット数やホームラン数だけで評価されてきたわけではない。全員もれなく守備面もトップクラスであり、ヒットでなかったとしても選球眼や走塁、犠打など得点に貢献するための「最低限の仕事」を完璧にこなしてきた人ばかりである。
打って欲しいところで打つのと同じくらい、失敗が許されない場面で絶対に失敗しないという信頼があれば打席に立つチャンスがもらえる。打席に立つ数を増やすための努力は、自分の「最低限」のレベルを引き上げることからはじまるのではないかと思う。
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