今いる場所で咲くことを選んだあなたへ
転職も独立も以前に比べてずっと一般的なものになった今、私たちは自分が生きやすい場所を自分で選びとることができるようになった。
たとえ新卒で入った会社が合わなくても、別の会社に転職すればいい。
会社員という働き方があわなければ、独立する道だってある。
働き方も住む場所も、なんならパートナーだって、試してみて違うと思えばそのとき変えればいい。
そんな「自由」な世界に、私たちは生きている。
かくいう私も、転職や独立を通して自分の居場所を自分でデザインしてきた一人だ。
「パフォーマンス=自分の能力×環境」だからこそ、自分の能力が最大限に生かせる場所を求めるのは当然のことだ。
ましてや、環境によってマイナスになるのなら一刻も早く離れた方がいい。
私はずっとそう思って生きてきた。
環境とパフォーマンスの話になるたび、私がいつも思い出すのは大田泰示の存在だ。
東海大相模から巨人に1位指名され、「松井秀喜のあとを継ぐ存在になるように」と55番をつけ、期待を一身に背負ってきた大田泰示は、長年結果を出せずにいた。
巨人の4番は、12球団の中でも特殊なポジションだ。
「第◯代4番打者」と呼ばれ注目されるプレッシャーは、並大抵のものではない。
なかなか期待に応えられず、焦る日々。
そんなある日、大田泰示の日ハムへのトレードが発表された。
ドラフト1位の選手は特別な存在であり、トレードで外に出すことはあまりない。
それでもトレードに出したのは、彼にとっては環境を変えることこそが重要だと首脳陣も判断したからなのかもしれない。
そしてこのトレードが功を奏し、大田泰示は今やトレードの成功例として語り継がれるほどの活躍を見せている。
巨人時代には一軍定着も危うかったものの、日ハムでは押しも押されぬスタメンとして定着。
のびのびしたバッティングでヒットを量産し、盗塁に守備にと日ハムで必要不可欠な選手になった。
見た目も巨人時代とはだいぶ変わり、彼を知らない人であれば同一人物だとわからないかもしれない。
もちろん、今の大田泰示の活躍は巨人での指導や練習の結果が根底にあるのは疑いようのない事実だ。
しかし、彼の力を最大限に生かすには、タイミングも含めて巨人より日ハムの方があっていた。ただそれだけのことなのだと思う。
この大田泰示の成功は、野球ファンの脳裏に「今はダメでも環境を変えれば何かが変わるかもしれない」という考えを刻み込んだ。
以後、成績が上がらない選手に対して環境を変えた方がよいのではないか?という論調が強まることになる。
その代表格が、阪神の藤浪晋太郎である。
春夏連覇した大阪桐蔭のエースピッチャーとして、大谷以上に注目されていた藤浪。
3年目あたりまでは順調に勝ちを重ねているように見えたが、だんだん荒れ球が増え、死球数も増えていった。
そしてだんだんと藤浪が先発する日は相手チームが勝利以上に「当たらないこと」を意識するようになっていった。
二軍の試合ですら、「これでは試合にならない」と言われることもあった。
毎年「今年こそは」とファンは期待したけれど、いざマウンドに立つと球がすっぽぬけてバッターを危険にさらしてしまう。
もしくは、四球やワイルドピッチで自滅してしまう。
そんなシーズンを繰り返す姿をみながら、ファンは「環境を変えろ」と言い続けてきた。
阪神も巨人と並び、その伝統ゆえにファンからのプレッシャーが大きい特殊な球団だ。
それが直接の原因ではないとはいえ、あまり注目されない場所でのびのび投げ、じっくり修正させた方がいいのではないか。
そう考えたのはファンだけではなく、実際にいくつかのパ・リーグ球団がトレードの打診をしたという報道もあった。
しかし、藤浪は「ここでやってダメならどこに行っても同じ」と言い切り、頑なに阪神に残ることを選んできた。
もちろんチームへの愛着もあっただろうし、球団のせいにしたくないというプライドもあっただろう。
移籍してもダメだったら、という恐怖ももしかしたらあったかもしれない。
このままずるずると悪化し続けて、野球人生が終わるようなことにはならないでほしい。
他球団のファンですらもそう願うようになってきた頃のことだった。
オープン戦で久しぶりに上がった一軍のマウンド。
彼の球は、5年近く前の輝きが戻ってきていた。
そして何より、4回投げて四球はたった1つ。死球はゼロだった。
一時期は1回で4死球出していたことを考えると、大復活といっても過言ではない活躍だった。
もちろんこの日がたまたまよかっただけかもしれないし、シーズンを通して投げてみないと復活したかどうかはまだわからない。
それでも、復活の「兆し」が見えたことが私たちにとっての大きな希望だった。
と同時に、彼は今いる場所で咲くことを選んだのだと気づいた。
阪神の藤浪晋太郎として、限界まで挑戦したい。
それこそが彼が今の環境にこだわった理由なのではないか、と。
実際の考えがどうなのかは知る由もないけれど、環境を変えること自体は簡単にできる時代だからこそ、あえてその環境にこだわる姿もまたひとつのかっこよさだと思った。
もしかしたら、他の球団に移っていればもっと簡単に復活できたかもしれない。
でも今のこの苦しみを乗り越えて、今いる場所で結果を出すからこそ与えられる夢と感動もある。
その選択に正誤があるわけではない。
ただ、本人がどうしたいか、どうありたいか、そして野球人としてどんなスタイルで生きていきたいか。
そういう価値観と美学の問題なのだと思う。
大田泰示の選択も、藤浪の選択も、それが本当に正しかったのかどうかは引退するまでわからない。
いや、一生わからないものなのかもしれない。
ただ、彼らは自分が選んだ道を正解にするために必死に努力し、実際に結果を出している。
どんな環境であろうと、それはすべての野球選手に共通している姿勢だ。
環境を変えればすべてが解決するわけではないし、環境が私たちの努力の価値を打ち消すわけでもない。
その選択を価値あるものにするのは、私たち自身の努力なのだから。
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「春夏優勝投手」「大谷最大のライバル」と注目されてきた藤浪からしたら、今の自分はみんなに夢を与えられていないと自分を責めるような気持ちにもなっているかもしれない。
でも、そうやって輝かしい人生を歩んできた藤浪が、これ以上ないくらいに苦しみながらも、もがきつづけている姿こそが与えられる夢と希望もあると私は思う。
これから同年代の活躍に焦る日もあるだろうし、期待に応えられなくて不甲斐ない日もあるだろう。
でもみんなが藤浪を応援しているのは、単にその結果だけを求めているからだけではなく、藤浪が楽しそうに、嬉しそうに野球をする姿をまた見たいと思っているからだ、ということが本人に届けばいいなと思う。
嬉しい日も、苦しい日も、輝かしいときも、挫折のときも、いつも一番に声援を送るために、ファンはいるのだから。
負けるな、藤浪。
あなたがまたマウンド上で白い歯を見せて笑う日を、私たちは楽しみに待っています。