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「秘密」の価値

時々、「本当に秘密主義だよねぇ」と諦めたような口調で言われる。

いつもオープンに話しているように見えて、一番大切なことだけ巧みにかわして表に出さない私の癖は、わかる人にはわかってしまう。

それでも無理やり聞いてきたりしないのが、私のまわりはみんな大人だなあ、と思うところでもある。

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昔は比較的あれこれ話す子だったような気がするのだけど、年を重ねるごとに自分の中だけで留めることが多くなったように思う。

別に話したくないわけではないけれど、話す必要を感じなくなったのは、つまり話すことで客観的な「お墨付き」をもらう必要性を感じなくなったことと同義だと思う。

自分の認識に自信がないとき、人は他者からの「お墨付き」をもらいたがる。

そして、社会的な立場、ラベルを得ることで安心する。

もちろんそれ自体が悪いわけではないけれど、誰かに「話したい」と思う時、私は自分の中に不安を見つける。

その不安は人に話したところで根本的な解決になるはずもなく、むしろ相手への攻撃に向かうことすらある。

やっぱり、一般的にみてこれっておかしい!

そうやって「一般的」を盾にして攻めても、何も解決しないことは大人になった今ならよくわかる。

だから、私はわざわざ人に話さないし、人に話すより先に相手と話すべきなんじゃないかと思っている。

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恋愛や人との関係に限らず、私は「あえて言わない」秘密をたくさん持っている。

誰かに話したところで何の影響もないことだけど、だからこそあえて胸にしまっておきたいこと。

旅行中に見た夕日がすごく綺麗だったとか、はじめてバーボンの味を知ったとか、話の内容は忘れたけれど帰り道に転げそうなほど笑ったとか、きっとずっと胸に残しておくであろう素敵な言葉をもらったとか。

シェアしようと思えばすぐにシェアできる、一瞬で人に伝えることができる時代に、あえて自分だけの秘密にしておくこと。

それもひとつの贅沢なんじゃないかと思うのだ。

嬉しいこと、楽しいことはたしかに人とシェアすると何倍にも幸せな気持ちになれるけれど、幸せを口に出すことで発散させてしまわずに、じっくり自分の中で醸成しては時々取り出して眺めるのも、ひとつの人生の味わい方ではないだろうか。

「秘密」について考えるとき、私はいつも山崎方代のこの歌を思い出す。

一度だけ 本当の恋がありまして 南天の実が知っております

誰も知らない秘密、つまり自分が死んでしまったらなかったことになるような、そんな宝物のような秘密を抱えながら、生きてみるのも悪くないと思うのだ。

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