【334記事記念】アイラブノウミサン!遅咲きのエース・能見篤史へのラブレター。
なんと、これが記念すべき334記事めである。
大事なことなのでもう一度言うが、
334記事め
である。
エリートやきう民として、334記事めに阪神について書かずして何を書く!ということで、永遠の虎のプリンス・ノウミサンをただただ愛でるだけの記事を書いてみようと思う。
中年になっても輝く奇跡の38歳・能見篤史。
(Photo by 阪神タイガースHP)
能見さんといえば、入団当時からその端正な顔立ちでおばさまたちからの視線を一身に浴びてきたイケメンである。
どのくらいイケメンかというと、「能見篤史」のサジェストで「かっこいい」がトップにくるレベルだ。
そして能見さんがすごいのは、若い頃から現在までほぼ見た目が変わっていないこと。
この写真は13年前の大阪ガス時代の能見さんだが、「おおお〜〜〜!!若い!!!」とならない。全然ならない。能見さんは今も昔もノウミサンである。
(Photo by 大ガス写真館)
ちなみに、巷では綾瀬はるかににているという噂もある。
能見さんの美しさの真骨頂・ワインドアップ。
(Photo by 文春オンライン)
能見さんを語る上で欠かせないのが、彼の投球フォームである。
180cmの長身から伸びるすらりとした手足をめいっぱい使った「ワインドアップ」と呼ばれるフォームが彼の代名詞だ。
(厳密に言うと「ワインドアップ」は軸足を後ろに出す投球動作のことで、腕をあげるかどうかはあまり関係ない。イナバウアーみたいなものである。)
ランナーなしでもセットアップポジションをとる投手が増えてきた中で、能見さんは数少ないワインドアップ派の投手である。
特にこの振りかぶる動作は、クセやリリースポイントがわかりやすくなってしまうため若い選手でやっている人はほとんどいない。
しかし、この鶴のような静謐さを感じる美しい佇まいが好きだ、という野球ファンも少なくないのだ。
野球ファンの間で語り継がれる「能見さんは用具入れで『いい能見』に生まれ変わった」説
能見さんを語る上で欠かせないもうひとつのエピソードが、「用具入れ事件」である。
これは2007年に日刊スポーツが「能見どこ行くの」というキャプション付きで、出口と間違えて用具箱に入る→間違いに気づいて恥ずかしそうにでてくる能見さんという一連の流れを報じたことが発端だ。
さらにこの後、鳴かず飛ばずの成績だった能見さんが突然覚醒したことで
「きっとあのとき能見は入れ替わったんだ」
「『いい能見』になって帰ってきた」
と話題になり、いまだにうだつの上がらない若手がいると「一度用具入れに入ってこい」と言われる。
こういう天然なところが能見さんの人気の秘密とも言えるだろう。
ちなみに、バラエティで大蛇を首に巻きつけて平然と「ひんやりしてますね」というコメントと共に蛇にキスをするなど、普通の人とは違う感性の持ち主でもある。
アイラブノウミサン!マートンとの歴史的和解によってうまれた「ノウミサン」表記
(Photo by デイリースポーツ)
能見さんがカタカナで「ノウミサン」と書かれることが多いのは、マートンの「アイドントライクノウミサン」発言がきっかけである。
マートンと能見さんの因縁は、2012年6月のオリックス戦ではじまった。
打撃不信でイライラしていたマートンが、試合後の囲み取材で「能見さんが嫌いだから相手に勝たせるように仕向けた」「アイドントライクノウミサン」などの発言をし、物議を醸した記事をきっかけに、能見さんの先発試合で誰かがミスするたびに「アイドントライクノウミサン」と書き込まれるのが定番化。
その後紆余曲折を経て、1年後の巨人戦でマートンと能見さんが共にお立ち台に立つチャンスが到来する。
そこでマートンが「アイラブノウミサン!」とインタビューに答え、二人が熱い抱擁を交わした事でこの事件は終結した。
遅咲きの先発投手だからこそ。華やかさはなくても淡々と投げる姿が、私たちの胸を打つ。
能見さんは、前述の通り大阪ガスという社会人チームに所属していたこともあって、プロ入り時点で25歳だった。
顔立ちは昔からまったく変わらないが、写真を見てもわかるように社会人時代は野球選手とは思えないほど細身で、プロ入り1年目は増量のために毎日奥さんにおにぎりを作ってもらっていたというかわいらしいエピソードもある。
そんな苦労を重ねながら少しずつ、でも着実に成績を上げていった能見さん。
しかし先発ローテ入りする頃、彼はすでに30歳になっていた。
通常、プロ野球選手としてのピークは25歳〜32歳の間である。
そんな中で、30歳にしてやっとプロ野球の第一線に立つことができた能見さんだが、先発ローテ入りして8年経つ今も第一線で働き続けている。
これは、能見さんのプロ入りからの年度別の成績表だ。
(出典:阪神タイガース公式HP)
通算成績で言えば、防御率は3点台、勝ち星とほぼ同じだけの負けがついている。投手成績としては「そこそこ」といったところだ。
(2017シーズンは8/26日現在で4勝6敗なので、現時点での通算成績は96勝88敗。)
開幕投手を務めたり、巨人戦先発カードの1番手として登板したりと「エース」のイメージが強い能見さんだが、通算で見ると負け越した年も多い。
球が速いわけではない。三振を多くとれるわけでもない。
それでもチームメイトからもファンからも厚い信頼を寄せられているのは、彼が安定して試合を作れる投手だからだろう、と思う。
チームには、絶対に負けない「エース」が必要だ。
自分たちも相手ファンも、「こいつで負けたら仕方ない」と思わせる、そんな絶対的なエースが。
しかし、そんなエース級の投手は普通、チームに1人いるかいないかである。そしてたとえエースがいたとしても、野球の試合は週に6日ある。
だからこそ、QSを達成しないまでも大きく炎上はしない、毎回5回3失点くらいでまとめてくれる安定したピッチャーが必要とされている。
そして、能見さんはまさにそういう安定したピッチャーなのだ。
細身の体に似合わず頑丈で大きな怪我もしないし、年に数回の大炎上をのぞけば、あの涼しい顔で飄々と5、6回投げている。
気づけば先発ピッチャー最高齢となり中継ぎ転向の可能性も囁かれているが、たとえ配置転換があったとしても、彼はきっとどの立ち位置でも淡々と投げ続けるだけだろう。
それが「能見篤史」というピッチャーなのである。
また昨年から能見さんは、ルーキー捕手の坂本とバッテリーを組み、プロ野球恒例のベテラン投手がルーキー捕手を育てる、という役割も与えられている。
「基本、首は振らない。じっと待つ。」という能見さんの基本方針は、優しそうに見えて実は厳しい。
能見さんが首を振らないのは「首を振ったあとはこれを投げてくる」という癖がバレるからという理由で、どの捕手に対してもあまり振らないのだが、ルーキー捕手にとって投手の意思表示がないということは、すべての配球の判断を自分でしなければならないということである。
そして捕手の要求通りに投げて打たれたら、能見さんはただ「ゴメンな」と言う。俺が引っ張ってあげられなくてゴメン、と。
もちろん配球の基本は教えているだろうけれど、そこは攻めるべきじゃないというときも勝負しようとする血気盛んなルーキー捕手の配球にも、きちんと付き合ってあげている。
「まだあいつは怖さを知らないから。これから怖くなってくると思う。優勝がかかった試合、これは絶対に負けられないという試合、そういう経験をすると、『怖い』と思う瞬間がくる。そのときにどうするか。でも、それって人に言われてもできないんですよ。だから言っても意味がなくて、自分で経験して理解するしかない。」(【虎バン】能見がルーキー坂本とバッテリーを組む理由)
プロ13年目、数多の大舞台を経てきたベテランの眼差しは優しく、厳しい。
能見さんはブレない人なのだ。
チームを勝たせるために、今日もすらりとした美しいフォームからボールを放つ。彼の中にあるのは、ただそれだけだ。
それはまるで永遠に続く習慣のように、いつもそこにある。
でも、そう遠くない未来に、私たちの "能見さん"という習慣が打ち崩される日がくる。
あと何回、この佇まいを見ていられるのだろう。
あと何回、先発として甲子園のマウンドに上がれるのだろう。
あと何回、お立ち台で微笑む姿を目にすることができるのだろう。
あと何回、あと何日。
ベテラン選手の応援には、いつもカウントダウンがついてまわる。
毎回、「これが最後かもしれない」と思う。
昨年番長が引退したときもだいぶ大泣きしたけれど、能見さんが引退する日のことを考えると今からすでに胸がつぶれそうになる。
誰にだっていつかはくるものとはいえ、あと数年はこのままでいさせてほしい。
淡々と続く、私たちの "能見さん"という習慣。
苦労人の通算100勝めは、もう目の前だ。
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