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不動のものを、愛すること
早朝の日を受けて輝く水面と、刺すような冷たい北風に揺れる木立。
何年も何十年も、下手すれば百年単位でずっとそこにある景色を見ていたとき、ふと人が自然にアイデンティティを感じる意味がわかった気がした。
山生まれの人は山を、海育ちの人は海を、平野育ちの人は野原を。
『地元』という言葉を想起する際に浮かぶものは、なぜか自然の一部であることが多い。
かくいう私も、有名な一級河川に抱かれて育った平野の子なので、世界のどこに行っても大河を見るときが一番心安らぐ瞬間だ。
激しく流れゆく渓流でもなく、終わりの見えない海でもなく。
流れが見えないほどゆっくりと、でも確実に運ばれゆく大河の姿は、私の心の拠り所だ。
あっというまに変わりゆく世の中で、唯一変わらないもの。
今、レジャーやスポーツの一環として自然が愛されるのはきっと、それが不動のものだからなのだと思う。
私たちは表向きには自由を求めながら、実は無意識のうちに人生の重石もまた求めている。
たとえ自分が変わっても、変わらずそこにあるもの。
そして自分をいつだって、無言で受け入れてくれるもの。
何があっても、ただそこにある。それ以上に慰められることってあるだろうか。
***
人が不安になるのは、こうした『自分にとって不動のもの』を手放してしまった瞬間なのではないだろうか、と私は思う。
特に都会に住んでいると、気づけばあらゆるものが可変になってしまう。
それが便利だし、合理的だから。
住む場所も人付き合いも街の景色さえも、変わらずにいてくれるものはほとんどない。
結婚したいとか家を買いたいという欲求も、もしかすると『不動のもの』を求める気持ちが根底にあるんじゃないかと思う。
毎年の季節ごとの行事も、変わらずにあるためのマイルストーンのような気もする。
私たちは飽きっぽくて、すぐに新しいものに飛び付きたがる生き物だ。
でもそれは、戻れる場所があるという安心感あってこそのものなんじゃないだろうか。
すぐに目移りしては次々と消費していく私たちにとって、不動のものは心のセーフティネットたりえるのではないか、と思うのだ。
だから私は、変わらないものを作りたいと思う。
話題になりそうなもの、流行りそうなものではなくて、いつも同じように無言で人を受け入れてくれるようなものを。
このnoteは私にとってその営みのひとつだと思っている。
山や海や川のように、ただそこにあること。
そして時折人の心を映す鏡として、慰めや励ましの存在になること。
気を衒わず、阿らず、私は私のペースで『不動のもの』を紡いでいこうと思うのだ。
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