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好意は、距離に比例する。
ついこないだまで面白おかしく悪口を言っていた芸能人と直接会ったり話したりしたあと、すっかりファンになってしまったという経験はないだろうか。
こうした変化を人は「面と向かって何も言えない奴」とバカにするけれど、それは人の弱さというよりも、直接会うと好意が増すという法則が影響しているのではないかと思う。
人は、直接会った相手のことを公の場では悪く言えないようにできている。
関係が近づきすぎれば、「愚痴」というかたちで秘密裏に悪く言うことはあるかもしれないが、例えばその人が作ったものを公に貶したり、全世界に後悔するかたちで人格否定をするようなことはほとんどないはずだ。
つまり、「叩く」という行為は、相手との距離が遠いことによって同じ人間だという体感が伴っていないことによって起きる。
逆に言えば、人に好意を持ってもらうためには直に接する場を多く持てばよい、ということでもある。
この心理を活用している典型が政治家の選挙活動だ。
ネット全盛の時代にも関わらず、とにかく握手して回り、直接語りかける街頭演説を繰り返すことには、合理的な理由があるのだ。
こうした考え方は何も有名人に限ったことではなく、私たちの日常生活でも同じようなことが起きている。
特に今後はリモートワークやパラレルキャリアが進むことで、チームの中で物理的に顔を合わせる機会が減っていく。
すると、顔を見たら許せるようなミスへのイライラが募ったり、ふとした言葉が相手を傷つけたりする可能性がグッと上がる。
だからこそ、リモートであればあるほど何気ない雑談をしたり、ひとつひとつの仕事に感謝やいいね!の気持ちを伝えることを意識しなければならないのだ。
好意は、物理的な距離に比例する。
そんな当たり前の法則を、私たちは忘れてはいけないのだと思う。
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距離は、縮まるだけではない。
近かった人が、気づいた時には遠くに行ってしまっていた、ということもある。
いつのまにか自分の味方をしてくれなくなってはじめて、「ああ、もうこの人は他人なのだ」と気づかされる。
世界を敵に回しても、なんて言うけれど、絶対的な味方さえいれば人は自分の力で戦えるはず。
つまり、大事な人を大事にするとは、ただ側にいるというシンプルなことなのかもしれない。
だから、味方でいつづけてほしい人には頻繁に会うべきだし、自分の想いを語るべきだし、自分も相手の味方でいつづけるべきなのだ。
もちろん人が仲間でいられる人数には限りがあって、悲しいかな入れ替えも発生してしまうから、手を離すと決めた後に味方をしてくれなくなっても受け入れるしかない。
そうやって私たちはたくさんの人と近づいたり離れたりしながら、自分の居心地がいい場所を探しているのだろう。
もし何もかも失ってしまっても、絶対的に味方でいてくれる人を探して。
(photo by tomoko morishige)
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