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向かい風の中で、心を掴まれた日のこと

第一印象は最悪だった。
一目惚れ体質の私は、はじめの印象が後から覆ったケースはほとんどない。
「嫌いだった人を好きになる」なんて、漫画の世界だけだと思っていた。

でも、どうやら現実の世界にもそんな奇跡は案外ころがっているらしい。

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今となっては日本球界のエースとして押しも押されぬ人気を誇る菅野だが、プロになりたての頃は批難の声も多かった。

そのきっかけは、「巨人に行きたいから」と、ドラフト一巡目で指名した日ハムへの入団を断って1年浪人したことだった。
この菅野の決断は、当時大きな論争を巻き起こした。

そもそも、一巡目指名を辞退するケースはかなり少ない。
平成の怪物・松坂ですら、希望していた横浜ではなく西武が交渉権を獲得した際、最終的に西武への入団を決めた。

ましてや、プロ入りの代わりに大学進学や社会人チームへの入団ではなく、1年の浪人という決断である。
日ハムからしたら、「あなたのチームには行きたくありません」と言われるに等しい。

さらに、希望球団が巨人であったこと、原監督の甥という立場もあって、世論は菅野に冷たかった。

私が菅野の存在を知ったのも、ちょうどこのドラフト騒動の頃だった。
このとき何もわかっていなかった私は、野球エリートのおぼっちゃんが自分の希望球団に行くためにわがままを通したくらいにしか考えていなかった。

これだけの批判を受けながら、選手として1年間どこにも所属することなく、実戦経験を積むこともできず、1年またドラフトのときを待つ覚悟がどれほどのものか、私はまったくわかっていなかったのだ。

もし私が新卒学生だったとして、第一志望の会社に行けなかったからといって就職浪人をしてでも、もう一度志望企業を受けなおそうと思えるだろうか。
ましてや、連日メディアに騒がれ、ネットで好き勝手に悪口を書かれることを覚悟した決断ができるだろうか。

彼がなぜそこまで巨人にこだわったのかの真意はわからないけれど、世界を敵に回したとしても叶えたい夢のために、彼は自分の野球人生のすべてをかけた。
もしかしたら来年もっといい選手が現れて、自分の指名はなくなるかもしれない。
インタビューで当時を振り返った菅野は「ずっと不安だった」と語っていた。

たとえ順当に来年巨人から指名されたとしても、1年分を無駄にすることに変わりはない。
野球選手、それも大卒選手にとっての1年は貴重だ。
30歳あたりが選手としてのピークだとすると、卒業時点で22歳の大卒選手には猶予がない。
もし海外FAも視野に入れるとすると、1年でも無駄にしたくないのが本音だろう。

それでも彼は浪人の道を選び、結果として無事に巨人に入団した。

しかしそれは決してハッピーエンドを意味しない。
むしろ、そこまでして入ったのだからというファンからの期待は大きく、一方で他球団のファンからは冷たい目でみられ続けてきた。

そんな風向きが変わり始めたのは、彼が入団1年目からコンスタントに10勝をあげつづけ、沢村賞を受賞し、「巨人の菅野」から「日本球界の菅野」になった頃。

彼は何年もの間、自分が抱いてきた苦悩について多くを語ることなく、実績で野球ファンの心を掴んできた。

私が菅野を好きになったのも、ちょうどこの頃だった。

それまでニュースでしか知らなかった菅野の投球を見たとき、素人ながら「なんて綺麗な投球なんだろう」と思った。

抜群のコントロールで、すうっとミットに吸い込まれていく白球。

実際の投球を見たときの感動は、それまで菅野にまとわりついていた負のイメージすべてを吹き飛ばすほどのインパクトがあった。

それからずっと、菅野は私が応援する投手の一番手として君臨し続けている。

菅野の投球に惚れてはじめて、彼の半生は決して私がイメージしたような順風満帆なものではなかったことも知った。
むしろ、向かい風の中をずっと歩いてきたような人だった。

菅野の家族は、野球ファンなら知らない人はいないほど有名な野球一族だ。
おじいさんは東海大相模高校野球部監督の原貢。
伯父は野球界のスターであり、巨人監督でもある原辰徳。
まさに、野球をするために生まれてきたような家系である。

そして菅野は、(おそらく)まわりの期待にきっちり応えて、東海大相模から東海大へと野球エリートの道を進み、巨人に入団した。

これだけ聞くととんでもない野球エリートだが、前述の通りプロ入り前に浪人も経験しているし、甲子園には出場できなかったし、大学時代には怪我でベンチにすら入れない時期もあった。

何より、家族や周囲の期待という名のプレッシャーと戦い続けてきた選手である。
その重圧は、他の選手とは比べ物にならないほど大きなものだったのではないかと思う。

そもそも、野球において二世、三世が成功することは非常に稀だ。
理由はいろいろあるだろうけれど、日本のスポーツ界でもっとも影響力のある野球というスポーツにおいて、選手の子供が受けるプレッシャーがその才能を潰してしまうからなのではないか、と私は思っている。

菅野も、大学時代に怪我で出場できなかった際に「原辰徳の甥なのにベンチにも入ってないなんて」と言われたエピソードを語っていた。
そのエピソードは氷山の一角でしかなく、彼はこれまでにも数え切れないくらい同じような経験をしてきたのだと思う。

インタビューやドキュメンタリーを見る限り、菅野は努力型の選手だ。
感覚ではなく理論で自分のやっていることを説明できるし、練習メニューや試合に向けた考え方も一貫している。
彼が今の立場を勝ち取ったのは、生まれのおかげでも天からの才能でもなく、彼自身の努力のおかげなのだと私は思う。

しかし、恵まれた環境ゆえに彼のその努力は傍目からは見えず、「菅野だからできるんだよね」と片付けられてしまう。
むしろ、はじめて二桁勝利に達しなかったときにはその期待が「菅野なのに」という落胆にすら変わった。

腰痛を抱えながらも9勝したことは本来なら褒められてもいいほどのがんばりだが、私たちが期待する菅野の姿とは程遠かった。

菅野は、そうやって毎年私たちの中にある「理想の菅野」と戦ってきたのだ。

はじめはただ投球が好きだっただけなのに、そんな彼の姿勢を知るごとに、いつのまにか私は心を掴まれ始めていた。

彼の野球人生を振り返ってみると、向かい風の時期も多い。
それでも菅野は、挫折するたびにパワーアップして帰ってくる。
何があっても必ず強くなって戻ってくる。
それこそが、私たちがエースに託す希望なのだ。

そして今シーズンもまた、菅野は向かい風の中に立っている。

昨年悩まされた腰痛を克服するため、大幅にフォームを変えて臨んだ今シーズン。
しかしいつ開幕するのか、いまだ誰にもわからない状況だ。
菅野だけでなく、開幕に向けて調整してきた選手たちにとって、変則的シーズンになりそうな今年は試練の年になるだろう。

さらに昨年最多勝をあげた山口が抜けた今、エースの肩にかかる重圧は昨年以上に増している。
例年通りにはいかない環境の中で、巨人のエースとして期待を超えていかなければならない。

いつも難しい状況に立たされ続ける菅野の姿を見ていると、なぜこの人はそうまでして野球をやりつづけるのだろう、と思うこともある。

それでも私たちは、向かい風のときでも黙々と野球に向き合うエースの姿にいつも励まされ、希望を与えられている。

3月20日。
今日は本来であれば、菅野が開幕戦のマウンドに立っていたはずの日だ。

今は、誰にとっても辛い時期だ。
先の見えない状況に、足がすくんでしまうこともある。
でも、逆風吹き荒れる嵐の中を努力で突き進んできた菅野の姿に、まず目の前のことに丁寧に向き合い続けるしかないな、と改めて教えられた。

終わりの見えない不安の中で、あの日はじめて見た菅野の投球が、今日も一筋の光となって私の心に差し込んでいる。

私は今日も、野球に生かされている。

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最所あさみ
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