その街の名は「TOKYO」。
お店に入った瞬間、「ああ、ここは "TOKYO"だ」と思った。
薄暗い照明、芸術品のような一皿、品よくグラスにおさまるアルコール、そして都会の夜を彩るきらびやかな人たちの集まり。
寝坊してすっぴんで走ったり、友達と酔っぱらってゲラゲラ笑いながら歩いたり、そうやって過ごすいつもの「東京」ではなくて、ここは「TOKYO」なんだと。
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夜になると街灯ひとつないような田舎から東京に出てきて、もうすぐ10年が経とうとしている。
いつか地元に帰りたいとは思うけれど、この街が私の心をつかんで離さないのは、きっとこの「TOKYO」なのだと思う。
昔はあんなに憧れた東京も、住んでしまえばもはや当たり前の日常で、地元の友人に憧れられるような生活をしているわけではなくて。
住めば都というけれど、正しく表現するなら「住めば地元」だろう、と思う。
普段の生活を振り返ってみると、地元の暮らしとそう大差があるようには思えない。
東京という街は、己のフィルターを試される場所なのだ。
ここにはなんでもある。でも、見ようと思わなければ、何もない。
そして年を重ねるごとに、楽しむ街から過ごす街へと変容していく。よくもわるくも。
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生きるだけなら、どこでもできるものだと思う。
仕事をする。1日に3回ごはんを食べる。ときどき、友達と遊びにいく。
それだけを求めるなら、東京にいても地方にいてもできることだから、わざわざ高いお金をかけて東京にいる意味なんてない。
じゃあなぜ私がまだしぶとく東京にいるかというと、「TOKYO」の空気はここでしか味わえないからだ、と思う。
ここには、キラキラする自由がある。
キラキラの自由を享受できるのは、東京という都会の、さらに限定的な人種だけだ。
誰も「地に足つけろ」なんてしたり顔で説教したりしない、自由な場所はここにしかない。
人生は夢と不安のせめぎあいで、その間を取り持つのが「現実」という安定なのだけど、そうしたすべてをうやむやにしてくれるのが、東京という街の魔力だと思う。
日常の「東京」に疲れたら、夢の国としての「TOKYO」が不安も迷いもうやむやにしてくれる。
現実と夢が交錯する街に、私たちは住んでいる。
でも、そもそも人生なんて夢みたいなものなのだ。
私たちの人生は、思い通りにいかないことに腹を立てたり、こなしてもこなしても終わらないタスクをさばくためにあるわけじゃない。
年を重ねるほど、日常生活の中で頭を悩ますことばかりが増えていくけれど、「生きてきてよかった」と感動するくらい素敵な空間があらゆる場所にあるのが、東京という街の強さだと思う。
キラキラだけじゃ生きていけない。でも、キラキラがなかったら人生に意味なんてない。
きっと私はまだしばらく、この街から離れられない。
その街の名は、「TOKYO」。