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宇宙のしくみ、心のしくみ 実は自由意志なんて無い?

慶応大学の前野隆司教授の著書『脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説』を読んだ時は大きな衝撃を受けました。
 youtubeでも前野教授の講演が記録されているので、興味のある方は御覧ください。

 この本では、脳を詳細に調べると非常に奇妙な事実がわかってきたそうです。
 以下はカリフォルニア大学サンフランシスコ校のベンジャミン・リベット教授が1983年に行った実験だそうです。 
 例えば、眼の前にあるリンゴを掴もうとします。普通に考えれば、思考を司る大脳辺縁系の神経細胞が働き、次に脳の運動野といわれる筋肉に電気を伝える部分が働くはずです。
 実験では、被験者の脳の指を司る運動野にセンサーを取り付け、被験者の眼の前には点滅する複数の電球があります。
 被験者に指を曲げるように指示します。そのときどのランプがついていたか被験者に尋ねることで、被験者が指をまげようと考えた時間がわかる仕組みです。
 この実験結果は驚くべきことに、脳の運動野が働き始める時間の方が、被験者が指をまげようと考えた時間よりも、0.35秒も早かったそうです。
 つまり、指を曲げようと思う前にすでに脳は指を曲げる司令を発令しているのです。
  順番でいうと以下のようになります。
  1 運動野が指を曲げる司令を出す
  2 0.35秒後 指をまげようと思う
  3 指が曲がる 
 
 さらに、2008年ネイチャーニューロサイエンスでは、例えば「さあ、歩き出そう」と意識が考える4-8秒前にすでに運動野はその準備をしているという衝撃の結果が発表されていたそうです。
 この実験が事実であれば意識は行動の後追いをしているだけの存在ということになりそうです。
 さらに興味深い実験があります。ダートマス大学マイケル・S・ガザニガ教授の実験です。
 昔は、てんかん発作の患者の治療に脳梁切断手術という方法が使われていました。これは、左右の脳を繋ぐ脳梁を切断してしまうというかなり野蛮な方法です。
 当然、左脳と右脳は通信できなくなります。だから、右脳に繋がつている左耳で聞こえた音は左脳には聞こえません。
 そこで、左耳だけに聞こえる小さな声で「前に歩いてください」と分離脳の被験者にささやきます。
 すると被験者はあるき始めます、今度は歩いている被験者の右耳に「なぜ歩いているのですか?」と小さな声で尋ねます。
 普通だと、「分かりません」という答えが返ってくると思いますが、返答は意外なものでした、「喉が乾いたので、自動販売機に飲み物を買いに行こうと思って」と答えたと言います。
 実際、彼の行く先には自動販売機があったそうです。
 なんと、脳は、行動を始めたあとから、その行動の動機づけを(解釈)創作していたということになります。
 なんと、行動を選択している自分と、それを解釈している自分は別だったのです。
 そうであれば、言行不一致など当たり前の出来事です。
 前野教授の主張では、脳内には細分化されたたくさんの小人が状況に応じて様々な判断をして行動が生み出される、意識とはそれをエピソード記憶として記録するために存在する、これが「受動意識仮説」ということです。
 実はこの説に似た説を唱えていた人物が昔存在しました。性格診断によく使われるエニアグラムを世に広めたアルメニア生まれの思想家ゲオルギイ・イヴァノヴィチ・グルジエフは、著書「グルジェフ・弟子たちに語る」の中で以下のように述べています。
 人間は複数の存在である。自己について話すとき、普通、「私」と言う。「私はこうした」、「私はこう考える」、「私はこうしたい」と言う、だがこれは間違っている。
 こんな「私」などありはしない、いや、むしろ、われわれ一人一人の中に、無数の小さな「私」がいる、と言うべきであろう。我々は分裂しているのであるが、自分が複数であるということは、自己を観察し、研究しなれば、認識できない。ある瞬間にはある「私」が出演し、次の瞬間には別の「私」である。人間が調和的に機能しないのは、われわれの中の「無数の私」が互いに矛盾しているからである。
 通常われわれは、自分の機能と力の、微小な部分だけしか使わずに生きているが、自分が機械であることを認識せず、自己のメカニズムの性質と働きを知らないからである、私たちは機械なのだ。
 これは、かなり前野教授の受動意識仮説と近い考え方ですね。
 私もその話を聞いてから、自分を良く観察するようになりましたが、確かに、複数の自分を観察できる事はよくあります。例えば、「今、耳をさわったけど、自分で触ろうと考えて触ったのではないよな」とか、何気ない仕草を無意識にやってしまっている事はよくある事に気づきます、「無くて七癖」というのは、まさに複数の自分の事であると思いました。
 もし、そうなのであれば、人間の脳は以下のような構造であることが想像できます。
 

 7才までで基本的な性格プログラミングは終了する?
 生存に不可欠な反射プログラムは、おそらく、遺伝子レベルで折込済みとおもいますが、それから下のプログラム群(小人たち)はいつ生成されるのでしょう?
 量子力学、分子生物学から意識の謎を解き明かそうとしておられるブルース・リプトン博士によれば、人間の基本的なプログラムは7才までで完了するそうです。
 7才までの子供の脳波は日常的に成人では稀なθ波(4-7Hzの脳波)がよく出てくるそうです、以下はθ波についてのwkipediaからの引用です。
 学習の際に特徴的に現れる脳回路活動(シータ波)によって、記憶形成を担う海馬新生ニューロンの分化が促進されることが判明した[2]
 海馬にシータ波が伝わるとニューロン前駆細胞が刺激され、ニューロンへの分化が促進されることを発見した。この際、最終的には新生ニューロンの数が増加することも証明した
 つまり、7才までにお手本として見た大人たちの行動を模倣して、こうした意識群が確立するのだそうです。
 こちらに、博士のインタビュー動画のリンクを張っておきますので、興味のある方は是非視聴してみてください。

 これから子育てをされる皆さんはぜひ覚えておいてください。
7才までで基本的な性格は決まり、そこからこれを修正するのはちょっと大変だということです。
 これは、実物の大人に限らず、本やテレビ、ラジオなどで見聞きしたものもその対象になるようです。
 ですから、偉人たちの伝記を7才までに読み聞かせるというのは、とても大事なことです。
 ちなみに、私の幼少期で印象に残っている伝記的な物語は、「発明王エジソン」と「ロビンソン・クルーソー」確かに、私の性格プログラムにすごく影響しているなとふりかってみるとよくわかります。


 そして、ブルース・リプトン博士によればプログラムがわかれば、それを適時修正する事も可能だそうです。

 純粋な認識とは?

 前野教授とは少し違う解釈ですが、我々の行動や解釈がプログラムだったとしても、純粋な認識だけは残ると思います。
 私はその純粋な認識こそが、仏教でいう仏性ではないかと推測しています、これが確率の波を収束させるのか、それとも、収束した確率を宇宙が再認識するのかは分かりませんがそういう純粋な認識が私たちには確かに存在すると思います。


 さて、一度、前章からの話と今回の話をまとめてみましょう、

1 前章の認識論の前者「リンゴは過去に遡って実体化している」の場合は
意識がリンゴを認識0.2-0.5秒時間を遡ってリンゴの物質としての確率波が収束してリンゴが出現、リンゴを取ろうと考える4-8秒前には運動野が準備を始め、リンゴを掴もうと思う0.35秒前に運動野はリンゴを掴むための信号を筋肉に送っているわけてず。うーん、意識はリンゴを時間を遡って出現る事はできるが、自由意志はない。
2 認識論の後者「実体化したリンゴを意識がなぞっている」の場合では
リンゴの物質としての確率波が収束してリンゴが出現、それを見てリンゴと認識するのに0.2-0.5秒、リンゴを取ろうと考える4-8秒前には運動野が準備を始め、リンゴを掴もうと思う0.35秒前に運動野はリンゴを掴むための信号を筋肉に送っているわけでどこにも自由意志はありません。
 

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