時間と空間:内的報酬と外的報酬
〈時間的処理か、空間的処理〉
空間処理は、排反であり、時間処理は、独立だ。
この意味で、whyとknowが、排反しているのが、法学なやり方であり、空間処理だ。
これは、将棋の実戦と、詰将棋が、排反なのと同じだ。「個々のが、全体へと」
対して、化学、音楽、経済学は、時間処理すなわち、排反な処理で良い。
つまり、先見の明や、推論がされている状況だ。[全体から、個々へと]
疑問を拡張させつつも、その疑問が、本を積読、速読しているときに、出てきたものを知識で解決という方針を取りたい。
必ず、why→knowだ。
してあげたことは山ほどある。
それを実現するためというのは、ほとんど嘘である。つまり、最強の職として、弁護士があるとしても、それは、それで楽しまなければならない。それから、お金を得られたとしても、それは、そのおかげでサービスを施さないとあまり意味がない。
そこで、考えがちなのが、お金が出来たら、これをしたいということを、想像する。
しかし、それはあまりよくない。
なぜなら、制約、条件がついているからだ。
つまり、職業としての弁護士は別に存在するべきであり、サービス諸々が、それによって,得られた空想の産物であってはならないのだ。
ここで言いたいこととを要約すると・・・・
“お金があったらする、というふうに何かがあったら、幸福だとかと、何かがあったら、するという想像をしないこと。または、何かを得たらする、ということも想像しないことが、大切だ”
〈要約の技術を磨く〉
私の文章は、長ったらしい、それは長所ともいえるが、短所として、それを短く言い表すということができていないのである。
しかし、これらは、“排反”に存在していることに注目しよう。
長ったらしい文章を、要約した文章を作りあげることは、別に、可能だということだ。
なので、要約する技術も、磨いていっていいのではないだろうか。
〈雑学としてのサイエンス、ソサイエティ、アート〉
さて、雑学と化した、サイエンス、ソサイエティ、アートがある。
これらをどう処理するかは、まだ決まっていない。とはいえ、言いたいこと、それも要約された言いたい事を軸に、先見の明で捉えるということや、株と化学が、その推論によって、成り立つということもなどもまた、決まってきていることだ。しょうみ、弁護士の知識としての糧として、これらを用いて良いだろうと考えている。利用する形、応用する形としての雑学とみなそう。そもそも,現実的には、科学が有用というのは、いつまでもは無理な話だ。
ここまでを要約すると・・・。
“科学が有用でありつづけるという理論は、すでに崩壊している”
“一体何が、言いたいことなのかを要約し、
その言葉を軸に、推論する形で、あてにゆく”
(先見の明)
外的報酬とは、給料や昇給、昇進・昇格といった金銭・地位といった具体的報酬一方、内的報酬とは、成長・やりがい・充実といった精神的報酬です。
外的報酬が有効な手段である場合、商品と結びつけて良いのではないか。
そう考えた。
例えば、ITだ。
ITは、それそれのものをするのに、多大な労力がかりそうなものであり、知識を得るにしても、外的な報酬すなわち、モノや、地位、お金というものを利用すると良さそうだ。
なので、弁護士でも使うこの技術を、外的報酬に結びつけるというのはどうだろうというお話さ。
外的報酬に向くのは、お金、地位、モノが直接結びつくものだ。それのいい例として、ITがあり、
モノとして、パソコンがある。