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法則と性質
内的報酬に向くものと、外的報酬に向くものがある。内的報酬に向くのは、研究だ。
対して、外的報酬に向くのは、弁護士だ。
このように、それそれぞれには、性質があり、それに則ったものでなければ,力を発揮することができないのだ。
〈大人になったら外的報酬は、結構使える〉
子供の頃はもちろんのこと、あまりお金がないものだ。自分で稼げないからだ。
そうした意味で、外的報酬は得られにくい。
その点、内的報酬は得られやすい。
大人になればなるほど、外的報酬を欲するようになる。また、その方が良い。
〈必要、というのは、疑問に対する答え〉
何かが必要であるということは、それはすなわち、ある疑問に対して、答え同然のようなものであるといえる。
なぜなら、そのあるイデアに対して、必要であったのだから。つまり、知性の世界では、疑問というものに対する、答えが、必要性があるということなのである。
そして、疑問ありき、必要性であるから、すべての答え(必要性があるもの)を出すには、疑問が多くなければならないのだ。
〈知能と知性〉
知能とは、ある問いに対するあからさまな唯一の答えのことである。しかし、知性の場合、ある問いの答えは、多くの疑問に対する十分な必要性であった。
〈法則と性質〉
法則と、性質というものがある。
これは、空間の法則(排反)と、時間の性質(独立)があるように思う。
光の二重性を表す場合に、光は、法則と、性質を同時に持つといえるのかもしれない。
〈知性のものは、面白いが、知能のものは、それに対する訓練場になる〉
知能とは、下級扱いしてもよいことではないが、やはり、知性の範囲が占める割合の方が大きいのである。
知性は、多くの疑問に対する十分な必要性である(論理と集合)のようのものであったが、この場合、知能より、知性の方が大きくなるのは必然である。
知能は、ある問いに対する唯一の答えを答えるものであるが、知性の訓練場になる可能性が高いのである。