知的体力のすゝめ
最近、体力がある。それは身体的体力のことである。これについては毎日10km職場や行き帰りまたは、トレーニングによって歩くことができ、10000歩以上に達することが普通である。
仕事は正確なものであり、スピードは増すばかりである。健康面については独自の栄養学により、栄養は完全に取れ、健康診断でのすべての数値はほぼ中央値といったところであろう。これらに問題はない。
「矛盾する両輪」
当たり前のことであるがあなたが率先して積極的に動かないことには何を為すにしても、何を効率化するにせよ、いやはやそれなくば何の得もありはせず、活動することすらままならず、まして効率や生産性といった類のことは起こり得ない。
そもそも、効率や生産性といった良さは知的体力や生命エネルギーあっての効率や生産性なのである。たしかに、理系は文系をバカにし頭が悪いだの効率が悪いだの言い出すものであり、実際にそうかもしれない。また、文系は理系をバカにし意味がないだのオタクだの悪いことをいうものであり、実際にそうかもしれない。しかしこれは対人間関係の問題であって個人的な問題ではないといえる。なぜなら、試験においてほとんどすべてをカバーせねばならず、得意科目だけで押し切ることができるのは検定試験くらいであり、難易度を高めようとすればそれらを混ぜ合わせることが普通であるからだ。少なくとも言えるのは先ほど言ったとおり、あなたが動かなければ何も起きないということである。まして効率や生産性というものさえ生じえないことになる。
このことは以前申し上げたアキレスと亀に登場することだと言える。すなわち、アキレスが亀に追いつかないというのは物理現象の問題で発生する矛盾であるのだがそれが個人の頭の中だけでは実際、矛盾なく存在できることが示されている例と同じであるということだ。
つまり、文系における活動とその頭の悪さ加減と理系における活動とその頭の良さ加減が物理現象のように対人間関係においては矛盾の成立はあっても、それが個人の頭の中では矛盾なく存在できるということなのである。
この意味で人間関係という2人以上の物理関係とか、アキレスと亀のようなパラドックスはおよそ物理現象であり、物質における法則・性質・考え方だといえ、それが矛盾することなく存在できる脳内においては精神現象であり、精神における法則・性質・考え方であると思える。これは異なる2つ以上の物質における関係の法則が唯一の精神における心の関係の法則と相矛盾するということではないだろうか。
ところで、知的体力とはその生命エネルギーを活用して活動するときの体力であるといえる。そして誰もがこれなして活動は不可能であるのだっった。これはこれで磨くことができる。例えば次のようなことで身につけることができる。
①音読
②語彙を覚える
③運動する
④読書
⑤簡単なことを大量にこなす
⑥難しいことの前に簡単なことをする
例;難しい数学の問題の前に皿洗いする
このようなことをすることで知的体力は磨かれる。なぜこのような話をしているかというと何を隠そう私自身が効率や生産性というさも良さそうでそれだけによって解決されるようなことに目を向け実際にそうであるように振る舞った結果、知的体力がなくなり、活動そのものが停滞しているから、知的体力を身につけようという気になったからである。皆さんも、ぜひ、知的体力を磨いて、そのあとに効率や生産性を豪語するようになって頂きたい。
ということで知的体力は素晴らしいものだ!
という紹介をさせてもらいました。
以上
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